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お前を見ている(6)

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……!」


 寝室の中を、山内さんの情けない声が覆った。


「俺じゃない! 俺はこんなもの、知らない!」


 虚しく響く彼の叫びの後、誰も声を発さない。ただ、この場にいる山内さん以外の六対の視線のみが彼を刺している。

 そんな凍った時間を動かしたのは石間さんの声だった。


「最低……」


 石間さんが立川さんをかばうように、彼女の前に出る。


「そういえば、晴馬くん、優奈の浮気を疑ってたよね……。それでこんな事したの……?」


「だから違うって!」


 山内さんは訴える。彼の表情と声色から伺えるのは、焦り、動揺そのもの。


「優奈! 信じてくれ! 違うんだって! 俺は知らないんだって!」


 山内さんが立川さんに左手を伸ばそうとする。しかしその手が彼女に届くことは無かった。恩田さんが、彼の手を強かに払い除けたからだった。


「触るな!」


 一括した後、恩田さんも石間さんと並び立つように立川さんの前に出る。


「今日の落書きも、あんたなら可能だ。……昨日、この部屋に泊まってたんだろう」


 確かに恩田さんの言う通りだ。

 部屋に泊まった山内さんであれば、立川さんが寝てしまったタイミングに外に出て、扉に落書きをすることが可能だ。仮に恩田さんがマンションの入口で見張っていたとしても、気づかれずに犯行に及ぶことが出来る。


「違う……誤解だって……信じてくれ……!」


 山内さんは打ち払われた左手をかばいながら震えた声で無実を訴える。


「……そうだ! 証拠が無い! 俺が仕掛けたという証拠はどこだ! 俺がぬいぐるみを買ったタイミングで、すでに盗聴器が仕掛けられていたかもしれないだろ!」


「なら、探そうか」


 恩田さんは一歩も引かない。


「落書きが書かれてからあんたはこのマンションから出ていない。赤いペンキがどこかから出てくるはずだ。立川さんの部屋か……それともこのマンションの敷地のどこかから」


「ああ、探せよ……! 絶対に出てくることはない!」


 山内さんが叫んだところで、ぱん、と手を叩く音がした。言い争っていた三人が押し黙り、手を叩いた人間に視線をやる。

 千島さんが笑顔で両手を合わせていた。


「いや、探す必要はないですよ。まあ、ゴミ捨て場にでも置いてあるんでしょう」


「悠斗……?」


 訝しげな宮間さん。千島さんの言葉の真意を探っているようだ。いや、それは彼女だけではない。俺も、他の四人も同じだっただろう。


「ちょっと話を聞いてもらえますかね」


 千島さんはそう言うと、クマのぬいぐるみから取り出した盗聴器を俺の方に放り投げてきた。俺は慌てて受け取る。証拠に対してなんて乱暴な扱いをするんだこの人は。


「久喜、それは盗聴器だ。でも、盗聴器にしては不思議だと思わないか?」


「え、不思議……?」


 俺は手のひらの中の黒い箱を見る。『不思議』というと、それは『不思議な力』の様な、魔力やら何やらの非現実的なものだろうか。


「よく見てみろ」


 その千島さんの言葉を聞いて、俺はオカルトじみた発想を振り落とす。

 違う。千島さんは『不思議な力』については何も知らない。非現実そうじゃなくて、もっと現実的な特徴だ。俺は黒い長方形を裏返しながら観察する。


「あ、れ……」


 裏返した盗聴器には小さな穴が沢山空いていた。これは恐らくマイクではない。マイクと仕組みは似ているかもしれないが、概念としては真逆のもの――。


「――スピーカー、みたいなものが」


「ああ。そうだ。スピーカーだ」


 千島さんが出来の悪い生徒に正解を与える教師のように頷く。


「そもそも本件は、『盗聴器が見つかりました。ハイ解決』というものではありません。それじゃあ片手落ちです。もう一つ、あるでしょう。それも判明してやっと解決として両輪揃う。ずっと引っかかってたんですよ……『予知夢』について」


 そうだ。今回の事件には『ストーカー』と『予知夢』の二軸の脅威があった。どちらかだけの解決では見えてこない。今回の全貌は。


「『予知夢』について、何かわかったんですか?」


 俺は千島さんに質問をぶつける。彼は確信に満ちた表情でうなずいた。


「そもそも、夢というのは現実の延長線だ。久喜にも経験はないか? 居間でテレビを付けたままうたた寝をしていたら、テレビの内容が夢に反映されたなんてことは」


「それは……確かに」


「その現象は、夢分析の専門家にも認められているものだ。催眠術くらい、聞いたことあるだろう?」


 催眠術。ゲームに出てくるような『眠らせる』だとか『操る』だけの技ではない。催眠術は技術だ。熟練した術師は言葉や暗示を巧みに操り、患者を誘導して忘れていたはずの過去の光景を思い出させることも、夢を操ることも出来ると聞く。

 千島さんは「加えて」と話を続ける。寝室の中で彼の話に口を挟む者はいない。


「精神状態も大きな影響を与える。かつてユングが提唱した夢分析なんか、そのいい例だ。『ストーカーに狙われている』『ストーカーが望むものは?』『恋人との破局』……そんな自動思考を、人間は無意識下で行い続けている。余計、催眠術にかかりやすくなる……夢を操ることが出来る」


 そして「ここまでするには綿密な計画性が必要だ」と結ぶ。


「それは、晴馬くんが犯人ではないということに、何か関係があるんですか?」


 立川さんが千島さんに聞いた。一縷の望みをかけているようにも見えた。


「ええ、立川さん。もう一つ、不思議な事があるんです。……あの落書きです」


 千島さんは携帯を取り出すと、例の写真を画面に写して全員に見せるように差し出す。


「これは、久喜が気づいたんですが……。この文字の荒れ方、左利きの人間特有の特徴があるんですよ。左利きの方は横棒を右から左へ払う時、角度の問題で最初、筆が引っかかってしまう。それが如実にあらわれている。……左利きの山内さんは、わかるでしょう?」


 突然話を振られた山内さんは驚いてからうなずいた。


「た、確かにそうかもしれないが、何故、俺が左利きだと――」


「――今日、カップでハーブティを飲んだでしょう」


「……あの時かっ……」


 彼にとって不利な情報が出てきてしまい、更に焦った表情になる山内さん。

 それを受けて、石間さんが「やっぱり晴馬くんが犯人じゃん……!」と言い放った。


「この中にいる左利きは晴馬くんだけだよ!」


「……そうですね。ですが、ここで一つ問題が」


 千島さんは携帯をしまって石間さんに一歩詰め寄る。


「立川さんは毎日のように例の『予知夢』を見ていた。つまり、犯人は驚くほど計画的に、じっくりと長い間催眠をかけていたんです。そんな慎重な犯人が『利き腕』というこんなわかりやすいヒントを残すでしょうか? もしわたくしであればそんなことはしませんね。ただし……左利きのフリをして、特定の左利きの人間を嵌める、という目的があれば別ですが」


「つまり、犯人は右利きで、山内さんに恨みのある人物……!」


 宮間さんの相槌に、千島さんが笑みを見せた。


「ああ、その通りだ明里。……以上のことから推察される主犯は――」


 千島さんは更に一歩進む。石間さんの目の前に来て、彼女を指さした。


「――あなたです。石間佐織さん」


 再び、場の空気が凍る。しかし、石間さんがすぐに切り返す。


「待ってください! 右利きなんて他にも沢山いるじゃないですか!」


 言いながら石間さんの視線が恩田さんに行く。確かに、彼はハーブティの入ったカップを右手で持っていた。しかし、千島さんは頭を振った。


「そうですね。ですが、この場にいる中では依頼を受けたわたくしどもと被害者の立川さんを除いて、右利きはあなただけですよ。ねえ、『左利きの』恩田さん」


 恩田さんは目を閉じて、深い溜め息をついた。


「……気付いていたか」


「ええ。ハーブティは慣れない右手で飲んでいたみたいですが、先程明里の代わりに探知機を持った時、左手で持ってから慌てて右手に持ち替えていました」


 俺はふと思い出す。それだけではない。


「……初めてお会いした時も、左手でモップを持って、掃除をされていましたよね」


 俺がそう言うと、恩田さんは観念したかのようにうなずいた。


「……ああ。俺は左利きだよ。右利きのふりをしようと思ったんだが、上手く行かなかったみたいだな」


「ええ。あなたの中の罪悪感が抵抗していたのかもしれないですね。無意識のうちに。……目的のためとはいえ、共犯者となって、想い人である立川さんを怖がらせることに対する罪悪感が」


「……降参だよ、糞探偵。……石間も、もういいだろ」


 恩田さんは石間さんに目を向ける。彼女はうつむいたまま、それでも抵抗しようと言葉を紡ぐ。


「知りません。勝手な言いがかりです」


「それであれば、わたくしが『利き腕』の話をした直後に『左利きは山内さんしかいない』と断定した理由を知りたいですね。『利き腕』の話になる前から全員の『利き腕』を確認していたとも考えがたい。それと、唐突に恩田さんをハーブティに誘って、わたくしどもに対して『恩田さんは右利きである』と確認させた理由も」


 石間さんは黙りこくってしまった。きちんと整理すれば、覆すための理屈は見つかったのかもしれない。それでも彼女にはもう、抵抗する意志が無かったのだろう。


 こうして、この予知夢ストーカー事件は石間さんと恩田さんの共犯という結末で幕を下ろすことになった。



「立川さん、無事引っ越したって」


 事務所で今回の顛末の報告書をまとめていた俺が、偶然同じ日に事務所に出勤していた宮間さんからその話を聞いたのは事件解決から数日たってからだった。

 曰く、石間さんは山内さんを想っており、立川さんと別れさせたかったのだと聞いた。そして、同じく立川さんを想っていた恩田さんを巻き込んでこの予知夢ストーカー事件を起こしたのだという。

 俺たちが……というより、千島さんが看破しなければ、恩田さんがマンションのゴミ捨て場に予め隠していた赤いペンキを持ってきて、それを証拠としてそのまま山内さんを犯人に仕立て上げるつもりだったらしい。


「事件にはしなかったんですか?」


「みたい。お互いにもう関わり合わないって約束で、特に通報も何もしなかったんだって」


「そうですか……」


 立川さんにとって恩田さんは格安でマンションに住まわせてくれた恩人だろうし、石間さんも大学を卒業して社会人になってからもずっと付き合ってきた友人だ。訴えるなんてことは出来なかったのもうなずける。犯人に仕立て上げられそうになった山内さんもそんな立川さんの気持ちを尊重したのだろうか。

 落書きにあった『お前を見ている』という言葉を思い出した。

 犯人たちは確かにずっと二人のことを『見てい』たのかもしれない。でも、同じように立川さんも犯人たちのことを『見てい』たんだ。

 ……そこに係る想いはそれぞれ違ったとしても。


 複雑な心境で彼らのことを考えていたら、宮間さんが「そういえば」と思い出したように声を上げる。


「久喜くんの家には盗聴器……というか、スピーカーはあったの?」


「いえ……やっぱり見つかりませんでした」


 俺は事件が終わった後にそのまま盗聴器探知機を借りて、ダメ元で自宅を捜索してみた。理由は単純なもので、今も俺が度々見ている『繰り返し見る夢』の原因を探るためだった。

 今回の事件で立川さんが見た『予知夢』は心理的なものと催眠術の合わせ技による人工的なものだということがわかった。そうであるならば、俺が見ている夢も何かによって『見せられているもの』だと思ったのだ。

 ただ、例の夢は俺が現在の場所で一人暮らしをする前、実家にいた高校生の頃からずっと見ているものだ。実家を出たタイミングでわざわざ盗聴器が仕掛け直されているとも思えない。

 だから、何も見つかりはしないだろうな、とは考えていた。


「あ、俺、そろそろ講義あるので……失礼します」


「はーい。単位目指して頑張れー」


「ありがとうございます」


 宮間さんに別れを告げて事務所を出て、大学へ向かう。

 日本の秋が短くなっているのか、一日ごとに肌寒さが加速度的に高まっていく。シャツ一枚の人も減ってきた。枯れ葉を踏みしめながら道をゆく。

 今日は俺のお気に入りの授業でもある心理学の講義だ。少しだけ足が早くなる。肌寒いから更に足が早くなる。

 そして、大学にたどり着いて教室に入った俺は意外な人物がいた事に驚いた。


「千島さん。この講義とってたんですね」


 机に着席してぼうっと携帯電話をいじりながら呆けている後ろ姿に声をかける。振り向いた千島さんが一つ席をずらした。俺は空けてくれたその席に座る。


「お前は気付いてなかったかもしれないけど、俺はずっと前から知ってたぞ。同じ講義取ってるって」


「もしかしてですけど、あの時――事件の推理の時やけに心理学に詳しかったのも」


「ああ。興味あって授業終わった後に教授に色々聞いたんだよ」


 成る程。別に騙されたわけでも何でもないが、なぜか悔しい。

 千島さんは思い出したように鼻で笑った。


「お前が可愛い女の子に話しかけられて気まずそうにしてるのも何度も見てたわ。モテるねえ。ゲーセンの子、悲しむぞー」


 天見さんのことだろう。見てたなら声をかけてくれてもいいのに。


「……性格悪いっすね」


「そりゃどうも。後これ」


 千島さんが茶封筒を渡してくる。俺が不思議に思って開けると、五万円と手書きの明細が入っていた。


「所長に渡してくれって頼まれたんだよ。お疲れ。ボーナスだ」


「どうも……ってこれ、なんですか?」


「ん? ああ、所長のお茶目だよ」


 明細の隅っこに、花マルと一緒に『大変良く出来ました』という一筆が添えられていた。

 何だか小学生に戻ったような気持ちになり、照れくさくなる。


「……あれ」


 早速五万円を財布に移してから、俺はふと違和感を覚えた。


「所長って、右利きでしたっけ?」


「また利き腕の話か? 右だよ右。この前俺がパーチで晩飯奢ってもらった時、コーヒーカップ右手で持ってたし」


 俺は明細書を睨み、花マルの書き方を再度確認してから、脳裏に残っている落書きを思い出した。

 思い出したのは『夢と違う』の方ではない。『お前を見ている』の方だ。そして、引っかかるのはその文字ではなく、添えられるように描かれた二重丸。

 目を、イメージしたような二重丸。


「――同じだ」


「ん?」


「あ、いや、何でもないです」


 千島さんは言っていた。『そんな慎重な犯人が利き腕というこんなわかりやすいヒントを残すでしょうか?』と。

 そうであれば何故、この二重丸だけ左利きの書き方ではなく、右利きの書き方なのだろう。


 心臓が掴まれたような気持ちになる。厭な違和感だ。

 まるであの二重丸だけ、立川さんじゃなくて別の誰かを……。


 俺を、『見ている』、とでも伝えてきているような。

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