最初の依頼者らしいです。
◇
朝の日差しが差し込む辺境の街、アンフェール。ユートが訪れた最初の街は、辺境とは言っても活気に満ちた生命力溢れる街だった。
王国の中心地から離れているとはいえ、未採掘の鉱山や未踏破の遺跡など、冒険者たちの好奇心をくすぐるものが数多くあったためにこのような賑わいを見せている。
街のいたる所で冒険話や遺跡探索の話に花を咲かせていた冒険者たち。その合間を縫うように、ボロ布同然の外套付きのフードを被った人物が、視線をさけるようにこそこそと歩いている。
それに気がついた冒険者の一部が、ひそひそ声で会話をする。
「おい、あいつ……」
「バカ、関わるなよ。関わったら面倒なことになるぞ」
後ろから聞こえる声に、フードを深く被り直しながら、街を突っ切っていく。
(これ以上の戯言は許さん!これ以上税を滞納するのなら、お前たちに与えた土地は返してもらうぞ!)
領主に言われた言葉が脳内で響き渡った。
フードの人物は、目元に浮かぶ涙を拭いながら、人のいない裏路地に回って小さくしゃがみこんだ。
「どうしよう……どうすれば……」
溢れ出す涙に混じる嗚咽が、路地裏に小さく響いていた。
―――税を納めることさえできれば、私たちはあの土地にいられる。でも……
もう自分たちではどうすることもできなかった。この街に来たのも、領主の街に行くための中継地点として利用させてもらったからだ。
必死に水と食糧を計算して使いながら。
しかし、それももう終わりに近い。
このまま戻っても、皆になんて言えば良いのか分からない。
小さくうずくまりながら、膝の上に頭を置く。
―――窃盗?
いや、いけない。そんなことをしたら、もっと評判が悪くなる。でも、でも……
「どうしたら……どうしたらいいの……」
静寂の中、その人物はずっと顔を下に向けたままじっとすることしかできなかった。
しかし、どうしようもないことは明白だった。
皆の下に戻って、ありのまま、領主様に言われたことを伝えるしか選択肢はない。
ぐっ、と膝に力を入れて立ち上がろうとしたとき、その声は聞こえた。
若い冒険者たちの声だ。おそらく、これから探索が済んでいない遺跡に向かうのだろう。武器や防具、遺跡の内部に関する話をしているようだ。
あまり、人の前に姿を現すのは悪いと思い、そこで立ち竦む。
「財宝が手に入りゃ、俺たち億万長者だぜ?まだまだ他の奴らの探索も済んでないし、どんな宝が出てくるのか楽しみだよな!」
「そうは言っても、そういう財宝がないことが多いでしょ。アンタ、他の奴らの口車に乗せられやすいんだから気をつけてよね」
「まあまあ、いいじゃん。遺跡の探索結構面白いし、魔物を狩って俺たちも強くなれるから一石二鳥だし」
「アンタは堅実的よね。ま、アタシもそれでいいけどさ」
ふぅ、と息を吐き出した女性の冒険者は、そういえば、と話を区切る。
「聞いた?例の噂話」
「ん?なんだよ、噂話って」
「あーあれか、『揺り籠の使者』ってやつ」
「そう、その話よ」
うん?と冒険者の一人が首をかしげる。
「なんだ、その使者ってやつ」
「最近冒険者たちの間で噂になってるのよ。自分ではどうしようもない悩み事があるんなら、この街の丘の上にある大樹の根元に悩み事を書いた紙を挟むんだってさ」
「へぇ、それで?」
「そうしたら、現れるらしいのよ。その悩み事を解決してくれる、『揺り籠の使者』って奴が」
ぽかんとした表情をした男が、次の瞬間吹き出した。
「ハハハッ!!なんだよそれ、おとぎ話かなんかか?」
「まあ、普通はそうなるよな。だけどさ、実際、そいつに助けられたって冒険者がいるらしいんだ」
「……マジで?」
「大マジよ、大マジ」
はー、と感心したような声を出して、男が次の瞬間ニンマリと表情を緩めた。
「……俺も、その使者とやらに願うか。億万長者になれますように、って」
「欲望ダダ漏れじゃないの。……っていうか悩み事じゃなくて願いだし。そんなの聞いてくれるわけないでしょ。さっさと武器手入れして遺跡に向かうわよ」
「いいじゃんかー!何事も試してみないとさ!」
「まーた始まったぞ……試してみないと分からない理論が……」
「馬鹿にすんなよ!いいか、俺だってな―――」
やがて小さくなっていく冒険者たちの声に、ぼろぼろのフードを被った人物は、茫然とした後に唾をゴクリと飲み込んだ。
―――『揺り籠の使者』?
自分ではどうしようもなくなった悩み事を、解決してくれる謎の人物。
本来なら、信じようともしなかっただろう。だが、今現在置かれている状況は自分ではどうすることもできない。逃れられない運命の只中。
ぐっ、と両手を握りしめて、フードの人物は走り出す。
街の丘の上、一本の大樹、そこを目指して。
◇
ザー、と水が浴槽に落ちる音がユートに耳に刺さる。
ふー、と息を吐きながら、頭の上にタオルを置いてユートはステータス板を見つめていた。
「……でっかいよなぁ」
小さく呟いて。
全身に感じる温もりと、睡魔に襲われながら、ユートは今現在、風呂場の中である。
しかも、特大サイズの。
およそ二十畳は超える巨大な風呂場。真横にある獅子を象ったオブジェの口からはお湯が溢れ出しており、風呂の水と混ざり合っている。
レティに朝風呂を勧められて今入っているが、やはり規格外すぎる。
「明らかに屋敷の大きさと合ってないのも魔法の力って……何でもありだなホントに」
レティからあの後屋敷のことを聞いたら、『クリエイト・ディメンション』とかいう魔法で空間を拡張しているというのだ。
レティの角が消えたのも、幻術の魔法で誤魔化しているらしい。
ユートは湯に浸かったまま、ステータス板の情報を覗き見る。
本来なら魔法具などでしか確認できない自分のステータスは、ユートの天恵『観察眼』による恩恵によって見ることができている。
そこのステータス板の中にあった「取得魔法一覧」を確認する。
膨大な情報には、『???』が乱立しており、書かれているものと言えば、最初に使用した『ファイアーボール』、防御魔法の『イージス』、森の中で使用した『フリーズ』、そして街で使用した足力強化の『ヘイスト』ぐらいだ。
……いや、天恵『鋭キ刃』の効果で変性した魔法、『フレア・レイン』と、『フリージング・ミスト』、『アブソリュート』もある。
「自分で分からない魔法は、どこかで学ぶ必要がある、と」
魔法書はエイシャにあげてしまったし、また街に行って他の魔法書を探してみようか、と考えたが、あの男たちに会いそうなので抵抗感がある。
「他に魔法を学ぶ方法ってあるのかな……」
「なんだ、そんなことか。私がユートに魔法を教えれば良いだろう?」
「え、ホントに?ありがとう、レ―――」
―――今、何か妙な声が聞こえたような。
恐る恐る横を見ると、長い髪を結って湯に浸かる魔王の姿。
「……」
「ユートの魔法力は他の人間なんてメではないし、中級の魔法から教えた方が―――」
「……ねぇ」
「いや、しかし、イージスという防御魔法を使えるのだから、上級の魔法を教えてから下位の魔法を教えるのも吝かでは―――」
「聞いて。お願いだから僕の話を聞いて」
「なんだ、ユート。顔が真っ赤だぞ?」
「真っ赤だよ!!ああそうだとも真っ赤だよ!!なんでいるの!?入ってこないでって言ったよね!?」
「ふふん、魔王を侮るなよ?嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉があるだろう。何を恥ずかしがる必要がある。お前は私の配下なのだぞ?」
「家族でもそんなことしないよ!?思春期だよ僕みたいなお年頃は!?なんなの、家族なら何でもしていいって思ってるの!?」
「むー、ユートは頑固だな。ほら、こっちに来るといい。魔法について教えてやるぞ」
「いい!いいから!ぼ、僕はもう出る―――いやあああああああああああああああ魔法でそんなのやだああああああああああああああああ!!」
結局のところ、レティの魔法で身動きが取れなくなったところで、またガッチリとホールドされるという絵が出来上がった。
背中に当たる生の感覚に、ユートの体の一部が大変なことになっているのだが、気付かずにレティは話を続ける。
「そうだな……ではまず炎の魔法から」
「■△%$@#&¥*●+!!!!!???」
「ユートは奇妙な声を出すなぁ。マンドレイクでもそんな声を出さないぞ?」
「は、はな……はなれ……はなれてくらはい……おねがい……はなれて……」
「炎の中級魔法である、『フレア・バースト』という魔法だがこれは―――む?」
そこで、レティの片手が何かに触れる。
「何か固いものが」
「ひぎいいいいいいいいああああああああああああああああああああああああ《フリーズ!!》《フリイイイイイイイイイイイイイイイイイイズ!!!!》」
何故か「やめて」を「フリーズ」で言い直したのか―――ユート本人でもその意味も分からずにただ絶叫しただけだとは思うが、魔法名を言ってしまったことでユートの周辺から膨大な冷気が湧き上がる。
瞬間、風呂場全体を覆い尽くす氷の怒涛。
「お、おお!?」
レティが突然引き起こされた魔法に驚き、ユートをがっちりとホールドしていた手が緩んだ。それに気付いてユートが股間を押さえながら一目散に逃げ出す。
「も、もうやだ!もうやだぁああああああ!!拘束の魔法!絶対に拘束の魔法を覚えてやるうううううううううううううううううううう!!」
叫びながら風呂場から出ていったユート。
凍りついた風呂場を見ながら、レティは目をぱちくりさせる。
「拘束の魔法ならば、『バインド』という魔法が……ユート、おい、帰ってこい!ユート!」
バキリ、と凍りついた風呂の湯を難なく砕きながら、レティは周囲に存在する氷にふむふむ、と顎に手を置く。
「なるほど、ユートは氷の魔法適性が高いかもしれないな。後で氷の上級魔法を教えてやるか」
ユートの心情など全く気にも止めず、レティも風呂場を後にした。
数時間後。
屋敷のドアがバン!と開かれる。そこから現れたのは、大きな袋を持ったエイシャだ。
「おはよ!いやー、良い感じに大漁でさ、我慢できなくて持ってきちゃって―――どした?」
そこで、机の上に頭を置いて何かを呟き続けているユートと、用意された朝食をもぐもぐと食べているレティの姿を見てエイシャが首をかしげる。
「おお、エイシャ!待っていたぞ!ほら、ここに座ると良い」
「え、ウソ、あたしの分の朝食もあるの!?いやー悪いね、ユート。……何かあった?」
さっきから机に顔を埋めてボソボソと何か呟いているユートに、エイシャは耳を傾ける。
「忘却、拘束、睡眠、麻痺の魔法……上級魔法覚えないと……絶対に覚えないと……死ぬ……僕が死ぬ……絶対に覚えてやる……絶対に……絶対に覚えてやる……絶対に……絶対に……絶対に……」
まるで呪詛のように繰り返されるユートの言葉に、エイシャの顔がひくついた。
「え、えっと……じゃあいただきまーす……」
関わってはいけないことだと感じたのか、目の前にある朝食にありつくことにする。
数十分後、口のまわりを拭いて、エイシャが持ってきた袋の中身を確認する。
「かなりあるな。どれどれ……」
「まさか、ここまで効果があるとは思ってなかったんだよね。木の根元にあった紙全部持ってきたけど、ギルドの依頼書の束よりも多いかもしんない」
「……『揺り籠の使者』の話広めたのエイシャでしょ?」
「そうだけどさ、噂が拡散するまで結構かかると思ったんだよ?そしたら、自分でも驚くスピードで広まっちゃってさーあはは!」
『揺り籠の使者』。どうにもならない悩み事を持った者を解決する謎の使者。
その噂話を流したのはエイシャだった。
元々の天恵の力もあり、情報を伝播させる技能に関してはエイシャの『偵察者』に勝るものはいないだろう。
笑い声を上げるエイシャに呆れながら、ユートは山盛りの紙の束から一枚取り出す。
「……猫が行方不明になりました。助けてください」
「ふむ……夕飯が決まりません。どうしたらいいですか……だと?」
「……こっちは、お金が欲しいって書いてある」
沈黙の空間が出現。
ぷるぷる、と震えだすレティに、ユートがため息を吐いた。
「むうううう!!なんたることだ!私が求めたのはこのような依頼ではないぞ!!」
「まあ、そりゃこうなるよ……噂話なんて」
まあ、大体想像はしていたのだが。
『揺り籠の使者』について信じている者がいるとすれば、余程のオカルト好きか、物好きな連中だけだろう。
「んー……小さなことからやっていった方がいいかもだね。猫の依頼受ける?」
「そうしようか。小さな依頼から片付けていって信用得れば、必然的に大きな依頼も―――あ」
山盛りにしていた紙の束が雪崩落ちる。ばっさぁ、と大きな音を立てて床に落ちた紙の数々。
「あっちゃー、やっぱり机の上に置ける量じゃないか」
(……にしても、噂話に惹かれまくりじゃないのかこれ)
あの街にいる者たちの欲望が垣間見れてしまう。
おずおずと床に散らばった紙を回収していく。横を見ると、レティがむすっとした表情のまま腕組みをしていた。
やれやれと思いながら、紙を袋の中に押し込めていたユートだったが、白い紙切れの中に、黄土色の布切れが混じっていることに気づく。
「……え」
そして、小さく声を出した。
「レティ、これ……」
「ユート、私はすこぶる機嫌が悪いのだ。今話しかけられるのは―――」
「いいから!これ見て」
むぅ、と不服そうな声を出して、ユートから渡された布切れを見る。
そこに書かれている文字に、レティの眉間に皺が寄る。
「……ユート、決めたぞ」
呟かれたレティの言葉に、に、ユートが小さく頷いた。エイシャもまた、雰囲気の変わったレティの様子に首を傾げている。
レティの持っている布切れに書かれていたのは、ほんの数文字だけだった。
赤黒い、乱雑な文字。それは紛れもない、血で書かれた文字。
『助けてください』、と。




