プロローグ
暗闇の続く視界という認識が、ただ続いていた。
(あれ……僕、どうしたんだっけ?)
自分の起きた出来事を、靄の掛かった記憶から探り出す。
そう、あれは確か、二十四回目の面接だ。
面接で落ちたことを確信し、たしか自分は住んでいるアパートに帰宅中だった。
そして、その帰路の途中で……。
揺蕩う眠りの中のような、微睡みの中にいるような不思議な感覚の中、自分は死んだのだと理解した。
体を動かすことが出来ない。いや、動いている感覚がない。ただの「認識」が、この闇の中にいる。
(……嫌な天国だな。いや地獄か。そりゃそうだよなぁ。いろいろな人に迷惑かけて……仕事もロクに出来ないクズだし。コミュ障だし。馬鹿だし。彼女もできない小心者だし)
天国なんていけるはずない。地獄で永遠の苦しみを味わう方が、自分の罪に合っている。
『……あー……自己嫌悪中のところ悪いんだけど、いいか?』
唐突に闇の中に響き渡った声に、ギョッとした。男性の低い声だった。
どこから聞こえるか分からない声に恐々としながらも、闇の中に目を凝らす。
……いや、そもそも自分には目という器官があるのかも不明なのだが。
(え、えーと……だ、誰ですか?もしかして閻魔大王様?あのーできればあんまりキツい地獄は遠慮したいというか……針山とか、血の池とか、釜で煮やされるのもちょっと……あ、いや、別に反省する気がないってわけじゃないですけども!ただ、流石に死ぬような痛みを永遠と受け続けるのは嫌というかでも―――)
『お前、ちょっと何言ってるか分からんから静かにしろ』
(ひっ……!?ご、ごめんなさい!!いやあの、で、でもですよ、あんな地獄は時代遅れだと思うんですよ?あんなことをするより、身内に自分のPC探られる映像見せるとか、エロ本の隠し場所探られてる映像見せられる方がよっぽと苦痛だと思うし、後は――――)
『……静かにしろの意味分かってるか?』
(す、すみませんっ!し、失礼しました……)
闇の中で呆れるような気配がした。っていうか本当に誰だ?閻魔大王でもないし、ましてや天使や神様でもないみたいだし。
闇の中から響く声は、一呼吸置いて口を開いた。
『まあ、いろいろと察しはいいみたいだから、今の状況について説明しとくぞ。お前は今、魂だけの存在になってる。いわゆる精神体ってやつだ。現実の肉体はすでに死んでる』
へー、魂。精神体。
なるほど。
(あー……RPGとかでよく見る、ゴーストとかウィル・オ・ウィスプってやつですね)
『RPGってなんだよ。とにかく、お前は死んでこの空間の中で転生待ちの魂ってことになる。ここまでいいか?』
(転生待ち……なるほど、ということは地獄じゃないんですね!)
あれ、ってことはもしかしてまた生まれ変われるのか?
人生がやり直しできるなんて最高じゃないか。コミュ障を卒業して、今度は誰かのリーダーになれるような人生を送りたい。
舞い上がっている優斗のテンションに気がついたのか、また闇の中にいる声の主が呆れているようだ。
『……おい、さっきの罪ってやつ、償う気そもそもないだろ、お前』
(細かいことは気にしないで、話の続きを)
『安心した途端に上から目線だなおい!?』
いや、だって開き直るしかないよね?
自分は死人。魂だけの存在。転生待ち。
こんな現実感溢れた『現実』を、夢と吐き捨てるほど彼は愚かではなかった。
『……ったく、でだ、通常なら転生まで千年以上待たなきゃならないんだが、ちょっと頼みたいことがあってな』
……千年?こんな真っ暗なところに千年じっとしていろと?
漫画もテレビもインターネットもないこんな空間で千年過ごすとか一番の拷問じゃないか。
ある意味地獄だここは。
(頼みたいこと、ですか?えーと……あの、自分でいうのもなんですが、こんなクズ人間に何頼んでも無駄だと思いますよ?)
『ネガティブすぎて逆に哀れになってくるな……』
ああ、哀れみの声が心に突き刺さる。
……そもそも今って心臓ないのか。
(それに、僕って魂だけの存在なんですよね?手伝えることなんて特にないんじゃ)
『いや、ちょっと早めに転生してくれないかってだけだ』
(え?な、なぜ!?なんの特権!?い、嫌がらせか何かですか!?早めに転生させてパシリにするつもりですか!?)
『……すまん、もうなんというかお前のトラウマ掘り起こすつもりなんてなかったからすぐに落ち着け』
人の善意(というか現在会話してるのが人かどうかも不明だが)が恐ろしいことを知っている。
それはもう痛いほど知っているとも。
「閉店セール!」なんて表にでかい広告出してる商店とか「ハンカチ、落としましたよ?」なんてこちらに落としものを差し出してくる人たちのなんと怖いことか。
あとはあれだ、カフェとか電車の席とか、なんでコミュ力高い人は普通に他人の隣に座ることが出来るのか分からない。
なぜ?怖くないの?
自分は怖い。人間。怖い。
コワイ。ニンゲン、コワイ。
『……不安要素はあるが……お前には、直ちに転生してもらって、ある人物の護衛をしてもらいたい』
(……え?ご、護衛?)
『ああ、見たところ適性もあるし、ちょっと頼まれてくれないか』
(いや、その……護衛って……なんの取り柄もないし、空手とか剣道の心得もない自分が誰かを護衛するなんて絶対に無理だと思うんですけども……)
『心配するな。そのための『天恵』は抽出してある。それに……』
声の主は言葉を切る。と、ふぅと息を吐くような声が続く。
『……いや、これはいいか。あのな、俺はお前にしか託せないからこんなことを話してんだ。ここで首を縦に振ってくれないと』
(……振ってくれないと?)
『お前の記憶の中にある「闇の独奏曲~我が力~」を音読する』
(やります!やらせて下さい!)
卑怯すぎるだろ!ここで中学に書いたあの黒歴史ノートの話を持ち込まれるとは……なんて鬼畜な!
というか、この状況になぜこんなにも慣れてしまっているのだろう。
魂、転生か。
死んだ時の、あの一瞬の想像を絶する激痛は覚えている。
死んだことは間違いない。
そして、この状況。
通常なら発狂していてもおかしくない状況だと思うが、ここまで冷静なのは、この声が信頼できる存在であると、心のどこかで思っているからだろうか。
『よし、じゃあちょっと待ってろよ……』
声の主は何か準備をしているようだった。すると、自分の意識の外で妙な音が聞こえてくる。
何歯車が動き出すような、時計の針が動くような音だった。
『お、結構タイミング良かったな。お前がギリギリ現れてくれて助かった。じゃあ、後はよろしく頼むぜ』
ボゥ!と炎が拡散する音。周囲を見ると、闇の中で直線上に炎の燭台が灯されて一つの道を創りあげている。
その先に見える僅かな光が、徐々に大きくなっていった。
『言い忘れてたが、転生したら俺のことは忘れることになってるからな。護衛っていう約束だけは絶対に忘れないようにしてるから』
(恐ろしいことを平然と言いますね!?)
記憶操作、なんてこともできるのか。
転生というと、確かに前世の記憶を持ってたら色々不都合が起こったりするんだろう。
……しかし、前世の記憶は消さないで、今会話している存在のことを忘れてしまうというのは……意味がないように思える。
『ま、俺にできるのはここまでだし、後は天恵の定着を……と』
(そ、そういえば名前を教えてもらってないですよ!護衛する人の名前も!)
『あ?名前は……いいだろ。それに俺はお前の名前分かるし。異世界人とは驚きだけどな。護衛対象の人物は……お前が次に初めて会う人物だ。理解はしたな?』
(え?今なんて……?)
『よし!転生のための扉は開いたし、全部お前に任せたぞ!よろしくなユート!』
(ご、強引過ぎるでしょう!?って、ちょ……引っ張られ……ッ!!?)
光が大きくなっていく。それに伴い、自分の意識がその光に引っ張られていくのが分かった。
闇の中に響いていた声は、すでに沈黙を保っている。
目が眩むほど光が辺りを包み、自分の認識がまた剥離していく。
意識がまた混濁し、光の中を揺蕩うようだった。
襲い来る睡魔に、優斗の意識はまた沈んでいった。