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それは小ぶりな手鏡だった。裏面には蔦と鳥の装飾が施されていて、一瞬可愛いなとフィナは思ったのだが、
「なんで鶏なのよ? 小鳥でいいじゃない」
蔦に乗るように彫られている鳥には、雄々しいトサカが付いていた。雄鶏だ。女性が持つデザインとしてはどうだろう。
「ただの鶏じゃねぇ。これは闘鶏だ」
闘鶏――読んで字のごとく、戦う雄鶏だ。
なぜそんなものを手鏡に彫ったのかと子供たちが不思議に思ったが、疑問はすぐに解消された。
「この手鏡には、実際の自分より一割強面な顔が映る」
つまり、闘鶏のように雄々しくなりたいという願望を表したものという事だ。
しかしレンのドヤ顔に、また何と返したらいいのかわからなくなった。今回はリードの顔にも驚きよりは困惑が表れている。
「それは……何のために使うんですか?」
「一割っていうところがまた何とも微妙な。せめて三割増くらいにしてくれればいいものを。……いや意外と、一割っていうのは目標として実現可能なイイ線いってるのかもしれませんね」
「誰がわざわざ強面になりたいの? 私は見たくないわ」
レンとしてはなかなか面白いアイテムだと思ったのだが、子供たちには不評だった。リードの「イイ線いっているのかも」という評価も、決して自分が見ることを前提にしていない。フィナなどはうっかり鏡に自分の顔が映らないように顔を背けている。
(魔道具ってなんていうか、しょうもない物ばっかりなのね)
置時計には残念な欠陥があり、手鏡には全く需要を見い出せない。どちらも買ったとしてもあっという間に物置に突っ込まれ、存在を忘れられそうな品物だ。フィナが想像していた魔道具とは趣が違った。
できればもっと「さすが魔族! さすが魔力!」と感激するような物を見てみたい。
「例えば魔力が込められた剣とか、武器はないの?」
「あるっちゃあるな。けど基本的に他人の魔力は自分の魔力と相性が合わねぇから、使いにくいんだ。だからそういう製作者の魔力を込められた武器を使うのは、自分の魔力が低い奴だけだ。強い奴なら魔力が込められていない普通の武器を買って自分の魔力を込めるし、そもそも武器自体が自分の魔力で構成されてる場合が多い」
そういう危険な物の使用はフィナたちはまだ禁止されているが、存在するならばレンが使っているところを見てみたい。フィナはそんな気持ちでレンに尋ねてみたが、そもそもレンは武器を使わず身体で勝負する派だという。
フィナが魔道具への憧れを捨て始めると、それを察したレンが「がっかりするのはまだ早えぞ」と言いながら再び紙袋に手を突っ込んだ。
そして「俺もこれが一番自信あんだ」と言うからには、やはり本人的にもその前の二つの魔道具については思うところがあったのだろう。
最後に紙袋から取り出されたのは、三つの丸い球だった。それは深い藍色の中に、星をちりばめたような銀色の光が浮いており、さながら星空を凝縮させたかのようだった。それがあまりにも幻想的で、三人は食い入るように見つめた。
「綺麗ねぇ」
「夜空みたいだな」
ため息をつくように呟いたフィナの顔はうっとりとしている。キラキラしたものを見つめる女の子らしい表情だ。エルは何も言わないが球体から目を離さない。子供たちの期待が高まっている。
三人の反応に気をよくしたレンが球体を指先がつんつんつつくと、四十五度ほどぱかりと口を開けた。中は空洞になっている。
「この中に誰かの身体の一部を入れてから、次に自分のを入れる。そうするとあら不思議、相手のいる場所まで一瞬で移動できちゃう優れものだ!」
「それよ!」
「そういうのを待ってたんです!」
「瞬間移動!? すごいです!!」
子供たちが口々に褒めそやす。普段おとなの前では――と言うよりフィナと喧嘩する時以外ではほとんど大声を出さないエルでさえ声を張り上げたことからも、いかに感嘆しているかわかろうというもの。三人の賛辞に、レンは誇らしげに胸を張り自信満々だ。
最初に入れる身体の一部の持ち主が移動先に指定されるということで、フィナはエル、エルはリード、リードはフィナの髪の毛を入れた。入れると一旦口が閉まり、再び開いた時には中身が空になっていた。そして次は移動する本人を指定するため、自分の髪の毛を入れた。
あとは指先で三回つつけば発動し、一瞬で移動が完了する。
ちなみにこの魔道具は既に魔力が込められているタイプで、髪の毛は指定するためだけに入れているので子供が使っても違法ではない。
「よし、準備できたな。一人ずつ試してみるか」
最初はフィナがやることになった。
せっかくだから遠い場所から試したいと、フィナは隣の部屋へ行こうとしたのだが、リードが消える瞬間も見てみたいと主張したため、部屋の端から反対の端にいるエルの元へ移動することにした。
「じゃあ、行くわよ!」
わくわくと期待に胸を膨らませながら、教えられたとおりとんとんとんと球体をつついた。
結果は、びゅんと移動した。
そしてエルに激突する寸前に、必死の形相をしたレンに抱きとめられた。その際うまく勢いを殺してくれたため、フィナにはほとんど痛みはなかった。
「……」
「…………」
「………………」
「だ、だいじょぶか?」
顔を青ざめさせた子供たちが沈黙する中、レンが抱き込んだフィナの顔を覗いて怪我の有無を確認してくれたが、フィナはそれどころではない。ばくばくと心臓が早鐘を打っている音がうるさい。
「ま、ままま、待って。びゅんじゃなかったよ。ブワンッ! ゴッ! ガシャン! ドカッ! だったよ!」
「落ち着け。言いたいことは大体わかる」
つまり、球体をつついた途端フィナの身体はすさまじい速さでエル目がけて飛び、机の上にあった置時計や手鏡が風圧で飛ばされ、エルに激突する寸前でレンに助けられたのだ。
そのままエルに突っ込んでいたら、二人とも即死だっただろう。とっさに反応できたレンの身体能力の高さは称賛に値する。流石赤の王の側近である。
「フィナが隣の部屋に行くのを止めた俺のおかげでもあるな。あの勢いで壁にぶつかっていたらと思うと……」
「きゃあっ! 怖いこと言わないでよリード!」
「僕最初じゃなくて良かった」
尋常でないスピードでフィナが飛んでくるのを真正面から見ていたエルが、ようやく呆然自失状態から回復し、心からほっとしたような顔をした。実際に飛んだのがエルだったなら、こんなに早く精神は回復しなかっただろう。
「一瞬で移動と言うから、ぱっと消えてぱっと現れるところを想像していました」
リードの言葉に他の三人もうんうんと頷いて同意を示す。まさか空間を移動するのではなく物理的に移動するとは誰も予想していなかった。
レンがにやりと悪戯気に口の端を上げた。
「まあ、ちょっと面白かったな」
「怖かったわよ!」
ハハハと笑い声を上げたレンを尻目に、やはり魔道具はまともな代物がない、とフィナは遠い目をした。