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さて、フィナたち三人は王城に呼んだ家庭教師に勉強を教わっているわけだが、他の二人に比べフィナはさほど勉強が好きではなかった。病弱で日がな一日ベッドで寝ていた頃は、いずれ学校に通ってみんなと勉強してみたいと願っていたものだが、勉強ができる環境になった途端、自分は勉強が嫌いなのだと気が付いた。今では、こんな小難しい勉強よりも早く中等学校へ入学して魔力について学びたい、と思っている。
だが残念なことに、魔力の勉強ができるのは、初等学校あるいは家庭教師などのそれに準じる環境で一般教養を身に付けた後、中等学校に入学してからと法律で決まっている。五年間中等学校で魔力について学べば一人前とされ、王を選んで眷属となることもできるし、もっと専門分野を学びたいという意欲のある者は高等学校へ進むこともできる。
(毒林檎を作って綺麗なお姫様を殺したり、声を奪って人魚を泡に還したりするのかしら? 王子様をカエルに変身させてぷちっと踏んづけたり?)
魔力を使えるようになった自分を想像して心躍らせるフィナだが、その内容をリードが聞いていれば「魔族がそんな卑怯な戦い方をするものか!」と怒っていただろう。毒などという卑劣な手段を取らないあたり、意外と騎士道精神を備えているのかと思いきや、単に毒を仕込む方法を考えるのが面倒という、正面からかかってこいや精神に基づいている。
そしてエルが聞いていれば「それ魔女だから」と間違いの元を正確に把握して突っ込んでいただろう。寝込んでばかりで童話を読むくらいの事しかできなかったフィナは悲しい事に魔女と魔族を混同し、未だに魔族が何たるかを正確に理解していないのだった。
そんなある日、家庭教師の授業が終わってフィナとエルが自室に戻ろうと、リードが自宅に帰ろうとしていたところ、ひょっこり顔を見せたのはレンだった。
「よお、ガキ共。ヒマか?」
「レン様! お久しぶりです」
満面の笑みで歓迎したのはフィナである。彼は以前約束したとおり、たまにこうして遊びに来てくれるのだ。
「むず痒い」
「あっ、ごめんなさい。久しぶりね、レン」
レンに渋い顔をされてしまい、フィナは慌てて言い直した。
侯爵令嬢時代に礼儀を叩きこまれ、おとなにはきちんと敬語を使うフィナだが、レンに「敬語はむず痒いから普通に話してくれ」と頼まれたため、砕けた話し方をするようになった。
「ご無沙汰しています」
「今日はお休みですか?」
ただ何故か、エルとリードが敬語を使っても何も言わないのだが。もっとも彼自身君主であるアルには敬語を使わないのに、宰相でありリードの父であるオッドには敬語を使ったりと、彼の中では何か基準があるらしい。
「今日は休みだ。買い物に出かけたら面白い魔道具を見つけてな。フィナがいっつも使ってみたいって言ってるだろ? 買ってきてやったぞ」
「えっ! 魔道具!? 見せて見せて!!」
早速食いついてきたフィナに気をよくしたレンは、持参した紙袋の中からゆっくりと何かを取り出した。おとなのレンなら片手で持ち上げられ、フィナならば両手で持たないと落としてしまいそうな大きさだった。表に目盛りのついた丸い円盤がくっ付いており、二本の針が目盛りを指している。
(これって、……アレよね?)
想定外というよりは馴染のある物を出され、フィナはどんな反応をすべきか戸惑った。エルを見れば同じように困惑した表情で「アレだよね?」と視線でフィナに問うている。フィナは頷きを返した。勿体つけるように取り出したレンの表情を見れば「さあ驚け!」といわんばかりで、「これって時計ですよね」とは言い出しにくい。
反応できない二人の代わりに反応したのはリードだった。
「これはなんですか? ……この十二まである目盛りは見覚えがあるような……あっ、まさか! 時計ですか!?」
「ええっ!?」
フィナの『ええっ!?』はもちろん、驚いているリードに驚いているのである。
「そうだ。ずいぶん小さいだろ」
「小さいですね! あっ、ちゃんと針が動いてる! こんなに小さいのに本当に時計なんですね」
小さい小さいと騒ぐリードに、ようやくフィナとエルは納得した。
フィナの生まれた世界では懐中時計が貴族のみならず裕福な一般市民の間でも普及しており、それに比べれば置時計ほどの大きさのあるこの時計は決して小さいとは言えない。しかし確かにこの世界の時計と比べれば、リードが小さいと驚くのも頷ける。この世界では技術があまり発達していないらしく、普通の時計はとても大きいのだ。一つの建物を占領するくらい大きい。当然個人で所有できるようなものではなく、王城と市街に数か所設置されている時計塔が一時間ごと鐘を鳴らして時間を知らせる。
そういう点では確かに珍しいといえるだろうが、レンは魔道具と言っていたはずである。これのどこが魔道具なのか、とフィナが疑問に思った時、エルがあることに気が付いた。
「あれ、この時計螺子がないんですか?」
「よく気が付いたな! この時計は小さいだけじゃねぇぞ。何と! 魔力を込めることで螺子を巻く手間が省ける!」
気が付いたエルを褒めて頭をがしゃがしゃ撫でながら、レンが自慢した。フィナがいた世界でも時計を動かすには螺子を巻く必要があった。一度止まってしまうと時計を合わせなければいけなくなるため止まる前に螺子を巻かねばならず、結局毎日螺子を巻くことになるのだ。その手間が省けるなら、それは確かにすごいとフィナはようやく感心した。
しかし、次いでレンが発した「三日に一度魔力を込めりゃいい」という台詞に、リードとエルが微妙な顔になった。
「三日に一度……ですか?」
「三日に一度……込めなかったら?」
「……止まるに決まってんだろ」
三日に一度とは意外と多い。最初に込めれば壊れるまで半永久的に動き続けるかと思っていたのだ。
いっそ毎日の方が習慣になるから忘れなくて良いかもしれない。三日に一度だけとは、この時計、絶妙に忘れるタイミングをついてくる。
視線を外しながら答えたレンは、その欠点に気付いているのだろう。フィナも微妙な顔になった。
「でも、私たちまだ魔力込めたりできないし……」
「アルにやってもらえばいいじゃねぇか」
中等学校を卒業するまでは、体の一部である服を除いて、魔力を使うことはもちろんのこと、魔力を込めて使う危険な魔道具の使用も禁じられているのだ。つまりフィナたちが使える魔道具は、あらかじめ製作者の魔力が込められており、さらに殺傷能力のない魔道具のみだ。
やんわりと説明し「それいらない」と主張してみたが、レンは気の弱いエルに狙いを定めてぐいぐいと押し付けてきた。レンの性格ならば確実に時計は止まったまま放置される運命にある事を、本人が一番わかっているのだ。
そもそも誰かに魔力を込めてほしいのではなく、自分が使いたいのだとフィナが主張してみれば、レンはまた一つ紙袋から取り出した。