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晩餐は、フィナとエルのお披露目を目的としたものである。
部屋に入ると、四人の魔族が既に席についていた。そのうちの一人は昼間に会ったフラウで、相変わらず無愛想な表情をしていた。
(あら、子供もいるのね)
フィナが驚いたのは、アルに「俺の信頼している眷属だけだから緊張することないぞ」と言われていたからである。――とはいえフラウがいるとわかっただけで既に緊張しているのだが。自分より二つか三つ年上に見えるその男の子は、まさかアルに仕えているわけではないだろう。
三人の姿を認め、全員が立ち上がり頭を垂れる。
少人数のため、広いテーブルに全員が着席する形式で催される予定だ。部屋の中には給仕係と近衛も数名控えていた。
「お、みんな揃ってるな。紹介しよう、今日俺の子になったフィナとエルだ。宜しく頼む」
「はじめまして。お父様に娘にしていただいた、フィナ・スピーゲルと申します」
「……エル・スピーゲルです」
にこにこと愛想を振りまきながら挨拶をするフィナに対し、エルは俯き加減に名乗るのみだ。
病弱なあまり社交の機会は少なかったが、伯爵家の一員としての振る舞いは身に付けさせられているフィナにしてみれば、エルの態度は落第である。隣に立っていたなら、足を踏むなり肘を食らわすなりしていただろう。
(もうっ、そんなんじゃお父様に傷がつくのに)
だが幸いなことに誰もエルの態度を気にする様子もなく、四人の魔族が自己紹介をし、フィナはそれぞれに「宜しくお願いします」と挨拶を返した。
上座に配置された一つだけ豪華な装飾の椅子にアルが座り、続いて左右にフィナとアルが腰を下ろすと、向かい合う形で四人も着席した。
そして酒が入ったおとな達が陽気になり、宴もたけなわな頃。
「おめでとうございます、アル様。これで赤の領も安泰ですな」
オッド・レイバンと名乗った、大きな鹿の角が特徴的な白髪交じりの年配の男性が言祝いだ。ちなみに三回目だ。好々爺然とした穏やかな琥珀色の眼を細めている彼は宰相を務めており、先々代の赤の王の頃から仕えているため、アルの信頼も厚い。
「ありがとう、オッド。でももういいぞ」
「まさか二人も連れてくるとは思わなかったな。お前に子育てなんてできるのか?」
そう茶化したのは側近の一人、レン・ビオパトリだ。とんがった耳が前に垂れているような愛嬌のある角を持っており、実際彼自身愛嬌のある性格をしている。
「お前よりはましだろう。それにこの子たちはなかなか賢いぞ。いや、お前と同じくらいの精神年齢だ」
クツクツと笑いながらアルがそう返せば、レンは悪戯気に茶色の瞳を輝かせ、フィナとエルに「今度一緒に遊ぼうな」と誘いをかけた。
「おや、二人の遊び相手にでもなればと思いまして我が息子を連れてまいりましたが、不要でしたかな?」
宰相のオッド・レイバンが、隣に座っていた息子を示す。リード・レイバン――紺色の髪、黒い眼を持つ、利発そうな男の子だ。左側に三本生えている濃紺の角が目を惹いた。一番上が一番長く、下に行くにつれて短くなっている。
親子にもかかわらず、父であるオッドとは持っている色彩も角の形も全く似ていないことにフィナは驚いたが、生誕池という池から生まれる魔族には遺伝がないのだ。よく考えれば自分とアルも全く似ていないと気が付いた。
「珍しい角ね」
これまで自分も含めて周りにいた人間には角がなかったからか、フィナは魔族の持つ角に興味津々である。褒めるつもりでそう言ったのだが、
「全く同じ角を持ってる奴なんていない。そういう意味じゃみんな珍しいだろ」
すげなく返された。
「あら、でもみんな二本よ? 三本も、しかも片側だけに生えているなんて珍しいわよ」
「お前、『みんな』って誰だよ。そんなに魔族と会ったことあるのかよ」
「今日会った魔族はみんな二本だったもの!」
「今日会った魔族だけ見て決めつけるなんて馬鹿だろ」
負けじと言い返すフィナとリードの間に不穏な空気が漂ってきたとき、「おいおい、仲良くしろよ」と言うアルの声が、二人の真っ向から向かい合う視線を切った。
「ごめんなさい、お父様。仲良くしましょうね?」
アルのたった一言でそれまでの態度を一変させ、フィナはすぐさまアルに謝ると、リードににっこりと笑顔を向けた。その変わりように思わず身を引いたリードの表情は、「なんだこいつ」と言わんばかりである。
「らしくていいじゃねぇか。もう少し見ていたかったなぁ」
残念そうなの声を出したのはレンである。力の強い者が優位に立つ魔族にとって、喧嘩は日常茶飯事。喧嘩の野次馬も日常茶飯事のことだ。むしろ興味津々で、勝敗を見たかったのだが。
「うんうん。賢い子ですな」
微笑ましいものを見る表情でオッドが一人頷いているのは、言葉通りフィナのことを褒めているのか、それともリードの言葉に同意しているのか……何はともあれ、つつがなく晩餐は終了した。
始終無言でフィナとエルを値踏みする色を含んだ眼で見ているフラウと、俯き加減でほとんど食事も口にしなかったエルを除いて。
晩餐がお開きになり、フィナとエルは自室へ連れられて行ったが、まだまだ飲み足りないと主張したレンに付き合って、アルは別室でグラスを傾けていた。
からからとグラスに入った氷を指でつつきながら、レンは珍しく神妙な面持ちで切り出した。
「これで黒の王も納得してくれりゃいいが」
「どうだろう。彼が真に望んでいるのは、人族を混沌に貶める存在だからな」
「だが少なくとも、これで赤の領を侵害するのはやめるはずだろ」
一ヵ月前、アルの元から眷属が数名連れ去られた。まだ若く将来有望な力の強い者ばかりだった。恐らく、長年アルに仕えている者より御しやすいと思われたのだろう。彼の狙いは自分の眷属を増やすことだ。
当然抗議したアルに対し、「使わねば宝の持ち腐れぞ。余が有効活用してくれよう」と何とも理不尽かつ、いかにも魔族らしい言い分を抜かした。
不服とあらば己の力となる眷属を増やし、赤の王たる意義を余に示してみよ――それが黒の王から赤の王であるアルに提示された条件だ。条件を果たせなければ、更に眷属を連れ去られ、強制的に黒の王の支配下に置かれることになるだろう。
魔力の強さがそのまま立場の強さになる魔族である。二百歳近い赤の王からしてみれば、四十そこそこのアルはまだまだ若造だ。真正面からやりあえるほど、アルの力は強くない。それでもアルとて魔族を率いる王という立場にある身だ。本来なら自分の眷属に対し威厳を示さなければいけないが、気が置けないレンに対してはたまに弱音を吐いてしまう。
「要するに、俺にもこの世の魔を増やすような働きをしろ。やらないのならば自分がやるから配下を寄こせと、そういうことだ。不甲斐ないな、俺は」
アルは自嘲的な笑みを浮かべ、一口酒を飲む。この酒はこんなに辛かっただろうか。
「お前はよくやっている。奴が時代錯誤なんだ」
「彼の言い分もわからなくはないが……そんなことをすれば、かつてのようにまた人族が魔族を狩に来る」
「俺には難しい事はよくわからんね。とにかくまぁ、あのガキ共に期待だな」
レンは通常仕様の茶目っ気のある瞳に切り替え、肴を一つつまんだ。
「期待? あまり魔力は強くなさそうだ」
「そういう意味じゃねぇよ。フラウの奴がやけに気にしてただろ」
フラウの名にアルが苦笑する。
もともと無口なフラウだが、さすがに晩餐で最初の挨拶以降一言も口を開かなければ、レンもおかしいと気づくだろう。
「あいつが気にするってことは、何かあるってことだろ。良い事か悪い事かはわからないけどな」
「とりあえず明日からはリードを共に行動させる」
「リード? ガキでいいのか?」
「子供には子供を」
「楽しくなるな」
対照的な二人の子供は一体どんな事態を引き起こしてくれるのだろうと、レンは期待に満ちた表情で残っていた酒を一息で飲み干した。