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スピーゲル家の子供たち  作者: タンゴ
はじまりの章
2/21

2

「ねえ、ここって地獄? 地獄じゃない?」


 目の前の少女がくるりとターンしながら、弾んだ声で聞いてきた。

 よくまあこんな足元が不安定な場所で回るものだと少年は思った。

 こんな場所とは、ごつごつした岩場で、一歩間違えばぐつぐつと煮えたぎる釜に真っ逆様な場所のことである。見渡す限り釜、釜、釜。幸い人間が悲鳴を上げながら釜で茹でられていることはないが、地獄を想像した人間が真っ先に思い浮かべるような光景である。

 少年は落ちないように恐る恐る一歩進んだ。


「何そんなに怖がってるの? 悪魔のくせに」


 呆れたように少女――フィナが腰に手を当てて言った。その様子は、つい先ほど死んだばかりの人間とは思えないほど溌剌としている。


「悪魔じゃない! 天使だ!!」

「え? そうだったの? 天使の笑顔って怖いのね」


 死を目前にして怯えているフィナに「君死ぬよ」と笑顔で言ってくるような相手が天使だったとは驚きである。悪魔だと言われた方が納得できた。


「ちゃんと天使のしるしがあっただろ! ……でも、君が壊したから、もう天使じゃない……」


 少年は自分の頭を指差してから、がっくりとうなだれてしまった。しるしとは頭の上に浮いていた白い輪を差しているのだろうが、今は当然そこに何もない。しかし代わりにある物を、フィナは見つけた。


「あら? ……本当に悪魔になれたみたい」

「は?」


 不穏な言葉に少年は顔を上げ、フィナの視線を辿って自分の頭に手を当てた。さわさわと手を動かし、彼の指がフィナが見ている物にたどり着いた。髪の毛の生え際の左右にある、硬くとがっている何か。


「な、何これ?」


 聞きたくはないが、確認したい。どうか否定してほしい。そんな思いでフィナに尋ねれば。


「角ね!」


 朗らかな笑顔で答えられた。


「嘘だぁぁぁぁ!!」


 少年は頭を抱えて座り込んでしまった。神の使いが悪魔になってしまうとは、少年にとっては不名誉でしかない。

フィナは自分の頭に手を当て、まさぐってみる。天使だった少年に角が生えたなら、自分にだって生えてもいいはずだ。


「あ、あった」


 こめかみの上の辺りにそれはあった。つるりとした触り心地で、丸くなっている。少年の角とは、生えている場所も形も違うらしい。少年の角がツンと尖ったヤギのような形をしているのに対し、フィナのそれは羊のような角だ。


「ねぇ、私の角、何色?」

「ん? 焦げ茶色だよ。よく似合ってるよ」


 髪の毛をかき分けて少年に確認してもらったら、覇気のない声で褒められた。フィナの黒い髪から覗く焦げ茶色の角は、緑の眼とも相性がいいはずだ。さぞかし可愛いだろうと嬉しくなったフィナははにかむ。


「あなたのはね、白いよ」

「……その情報はいらない」

「元気出して。一緒に地獄を楽しみましょう」

「早くここから抜け出そう」


 フィナは座り込んだままだった少年を引き起こし、真逆の目的を持った二人は手をつないで歩きだす。

 地獄に落ちた人間は、生前の罪状に応じて刑罰を受けるのだという。この一帯はさしずめ釜茹で地獄と言ったところか。ならばきっとここを抜ければ他の罰を与えるエリアになるのだろう。どんな刑罰があるのかフィナは想像する。


「炎に焼かれたり、逆にすっごく寒いとかかしらね」

「なんで楽しそうなの。おかしいだろ!」

「おかしいといえば、何で誰もないのかしら」


 フィナの疑問に、少年も首をかしげた。

 ここには釜で茹でられている人間も、それを管理する悪魔も一人も見当たらない。釜の中でぐつぐつと煮えたぎる熱湯はただ蒸発し、二人を蒸し暑くさせるのみである。


「ここって、本当に地獄なのかな。僕が知ってる地獄とちょっと違う気がするんだけど」

「あら、地獄に行ったことがあるの?」

「修行中に先輩に連れてってもらった。死んだ人を連れて行く先がどんなところか知っておくべきだからって……」


 しかし地獄見学研修で回ったのは地獄のごく一部で、全てを見て回ったわけではない。だから本当にここが地獄ではないとも言い切れないが、少なくとも彼が見学した地獄では罪を負った人間が悪魔による拷問を受け、まさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 少年としてはあまり思い出したくない場所であったが、フィナは好奇に輝いた瞳で質問をする。


「どんなところだったの?」

「芋洗いだった」

「芋……?」


 少年が見学したのは油を満たした釜の中にぎゅうぎゅうに人間が詰め込まれ、火を放たれるという刑罰だった。どんなに釜から這い上がろうとしても悪魔によって蹴り落とされ、逃れることができないのだ。


「銭湯みたいに混んでた。だからやっぱり、ここは違うと思う」

「そうなの? 残念ね。じゃあ早く地獄に行きましょう」


 フィナは銭湯というものを知らなかったが、天使であった少年が地獄ではないと判断するのなら違うのだろうと認め、ならば本物の地獄へ行こうと言った。

 しかし少年はなぜフィナがここまで地獄に執着するのかが理解できない。異世界へ行くことを拒絶し、地獄に来られたと舞い上がり、地獄がどんなところか知りたがり、ここが地獄でないとわかれば嬉々として地獄に行こうとする。

 しかし、フィナは異世界に転生する――それが神の決定であり、少年にとってはそれに逆らうなど論外なのである。


「君が行くのは異世界なんだってば!」

「勝手に決めないでよ!」

「勝手じゃない! 尊き神様の決めたことだ!」

「それが勝手だって言ってるの!!」


 口論の末、フィナは少年を両手で突き飛ばした。もともと足場の悪い場所を歩いていたこともあり、少年はあっさりと岩場から釜の中へ落下した。


「た、たすっ……助けっ……」


 派手に水飛沫を上げながら手足をじたばたと動かし、もがくばかりである。これには落とした張本人であるフィナも慌てた。


「きゃあっ! 泳げないの!? 大丈夫!?」


 フィナは岩場に腹ばいになると必死に少年へと手を伸ばすが、もともとの高低差もあり、なかなか掴むことができない。少年も必死にフィナの手を掴もうとするのだが、次第に沈み始め、がぼがぼと口に水が入っている。


(早く助けないと……もうっ!)


 決意するとフィナも釜の中へと飛び込んだ。暴れている少年に近づこうとするのだが、なぜか全く近づけない。むしろ沈んできた。移動することも、浮き上がることもできず、思い通りにならない状況に焦ってくる。しかし焦れば焦るほど思い通りにいかなくなる。


(これは、もしかしてっ……)


 もしかして自分も泳げないのだろうか。

 絶望的な事態に思い当たった時、突如としてフィナは服の襟元を掴まれ、そのまま物凄い力で上に引き上げられた。息苦しい水の中から浮遊感と共に空気の中へ。状況についていけず唖然としていると、げほげほと噎せる音が聞こえた。隣を見ると先ほどまで溺れていた少年も、フィナと同様に首根っこを掴まれた状態でぶら下がっていた。


「大丈夫か?」


 その声に更に首を回してみれば、二人をそれぞれ右手と左手で掴みあげたまま、美丈夫が立っていた。

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