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スピーゲル家の子供たち  作者: タンゴ
はじまりの章
1/21

1

「……はぁ……はぁ……」


 フィナはベッドの中で朝からじっと横になっていた。いや、朝からというのは正確ではない。朝、侍女に手伝ってもらいながら粥を二口食べ、苦い薬を飲ませられてからずっと横になっているというだけで、もう三ヶ月もの間、自宅で寝たきりの状態なのだ。更に言えば、生まれた時から寝付いたり起きたりを繰り返している。そう、フィナは生まれながらに体が弱く、医者からは三歳まで生きられるかどうかと言われていた。

 そう言われていたにもかかわらずフィナが五歳の誕生日を迎えることができたのは、ひとえに両親のおかげである。父親が侯爵という身分を持っていたおかげで、高名な医者に診てもらったり、極東の異国でしか手に入らないような貴重な薬を飲むことができたのだ。

 とはいえ、両親がフィナに対して愛情を持っていたかと言えばそうでもない。父親が病弱な娘のために手を尽くすのは、単に体裁のためであったし、母親は一年の三分の二をベッドの上で過ごすフィナよりも、あちこちで開催されるお茶会に連れ出すことのできる妹を可愛がっていた。

 この家に仕える者も、フィナが両親に大切にされているわけではないことを知っているからか、最低限の世話をする以外はフィナに関わろうとはしなかった。現に今、どんどん息が苦しくなっていくフィナの周りには誰もいない。

 可愛らしくピンクと白で調度品をまとめられた部屋の中、ただフィナの苦しそうな息遣いだけが聞こえていた。

 

(今度こそ死んじゃうのかな)


 物心ついた時から弱々しい自分の身体と付き合っており、多少の具合の悪さでは驚かないフィナだったが、今回はいつもと何かが違うと感じていた。普段の体調の悪さであれば、体力を奪われる代わりに体の奥から新たな体力が湧いてくる気がしていた。しかし今回は奪われるばかりで、新たな力が生み出されている気がしない。それは単なるフィナ自身の感覚の話であって、確証のない事ではあるが、なぜかそう感じていた。このまま体力を奪われ続けたらどうなってしまうのか。

 また、フィナは風が吹けば熱を出すような体の弱さだが、三ヶ月もの間ベッドから起き上がれないというのは初めてのことである。そのことも心細さに拍車をかける。せめて誰かが付き添っていてくれれば良かったのかもしれないが、幼いころから一人で病と向き合ってきた彼女には、そんな発想は湧かなかった。


 だから、今枕元に誰かが立ったのも、彼女の妄想ではないのだろう。

 熱のせいか死への恐怖のせいか、涙でぼんやりと霞む視界の中で、小さな少年がフィナに向き合って立っていた。少年はフィナとさほど変わらない年齢のようだ。プラチナブロンドの髪に薄い水色の眼、翼はないが頭の上には白い輪が浮き、背後の窓から光が差すその姿はまるで天使のようだ。


「あれ、ちょっと早く来ちゃった」


 自分は苦しくて息も絶え絶えな状態だというのに、場違いに明るい声を出されてフィナはイラっとした。


(あっち行ってくれないかな)


 少年に直接言いたいのだが、最早声を出すことができない。

 そんなフィナの様子に頓着することなく、その少年はフィナの前髪を掻きあげると額に触れた。熱を測るように置かれた、ひんやりした手が気持がいい。そういえば額に乗せられていた濡れタオルもいつの間にかどこかに落ちてしまったようだ。


「うん、もうちょっとで君、死ぬよ」


 少年は嬉しそうにフィナの顔を覗き込みながら、天使の微笑みで悪魔のようなことを囁いた。

 暑くて仕方がなかった身体から一気に冷や汗が出た。がたがた震える自分の身体を抱きしめながら、相変わらず楽しそうな表情で見下ろしてくる少年を見つめた。


(悪魔が……私を殺しに来たの?)


 相変わらず口からは苦しげな音しか出すことができず、少年に言いたいことを一言も言ってやることができないまま、フィナの意識は途絶えた。




 気が付けばフィナは白い空間に立っていた。右も左も前も後ろも、周りのすべてが白い空間である。あまりにも真っ白すぎて距離感がつかめず、すぐ目の前に壁があってもわからないくらいだ。

 何気なく腕を前に突き出し、空間が広がっていることを確かめて驚いた。腕が上がったのだ。先ほどまで重くて仕方がなかったこの腕が。


「私死んじゃったの?」


 問いかけた相手は隣に立っている少年である。ベッドの脇に立っていた悪魔のような少年は、相変わらず楽しくてしょうがないといった様子でフィナの質問に答えた。


「そう!」

「ふぅん。ここどこ?」


 生まれた時からずっと死の淵をさまようような生き方をしていたフィナにとって、自分が死んだというのはさほど驚くことではなかった。死への恐怖も、死んだ今となっては最早なくなっていた。そして生への執着も特にない。


「ここは狭間の空間。死んだ人間はここを通って、天国か、地獄か、異世界のどこかに行くことができるんだ。本当は善い人間は天国で魂を綺麗にして生まれ変わるのが普通なんだけど、君は特別にこのまま直接異世界に行けるんだよ」

「異世界って何?」

「君が生きていたのとは違う世界ってこと。全部違うよ」

「よくわかんない……」

「大丈夫! 僕が連れて行ってあげるから」


 少年に手を掴まれ、「こっちだよ」と引っ張られた。が、すぐさまフィナはその手を振りほどいた。


「やだ。私地獄に行きたい」

「ええっ!? 何で? みんな異世界に行きたがるのに! と、特別なんだよ!?」


 少年は狼狽し、フィナの手を再び取ろうとしてきたので、さっと両手を後ろに隠して抗議の姿勢を示した。


「君は親にも愛されず、たった五歳で死んじゃった可哀想な女の子だからね! 優しい神様が特別にそのまま異世界に行っていいよって許してくれたんだよ?」


 どうにか説得しようと試みた少年の発言に、フィナは再びイラっとした。

 最初に会った時からフィナの神経を逆なでするような奴だと思っていたが、今度の発言は自分で思った以上にイラっとしたらしい。気づけば腕を振り上げていた。


 ぱきんっ。


 フィナが振り下ろした腕は、少年の頭上にふよふよ浮いていた白い輪を、真っ二つに割っていた。

 からん、と軽い音を立てて二つになった輪が地面に落ちた。


「あーーーっ!! なんてことするのさ!」


 少年が慌てて輪の残骸を拾い上げ、涙目でフィナを睨みつけた。

 しかし、フィナは自分の思い通りに動く身体に感動を覚えていた。今まで寝込んでばかりで重かった身体が嘘のようだ。


「貰ったばかりだったのに」


 輪を胸に抱えてぐすぐすと泣きだした少年に、さすがに悪いと思って謝ろうとした、ちょうどそのとき。

 この白い空間の遠くの方に黒い穴が開いているのに気が付いた。


(なにあれ)


 目を凝らして穴を見ていると、最初は拳大に見えていた穴がだんだんと大きくなり、さらさらと周りを崩しながらこちらに近づいてきた。


「ちょっと、あれ」


 少年の服をぐいぐい引っ張り、穴の方を指差した。

 フィナが指差すものを確認した少年の顔が真っ青になった。


「ほ、崩壊してる……」

「崩壊って? 壊れるってこと? どうなっちゃうの?」

「わかんないよ! 君が輪を壊したせいだろ!!」


 少年は想定外の事態に直面し、パニックになっていた。そもそも彼にとってフィナを異世界に連れて行くというのが、天使になって初めての仕事なのである。ゆえに浮かれていた。ようやく一人前の天使として働くことができる自分に浮かれまくっていた。

 それなのにフィナは異世界に行くことを拒み、更には天使の力の源である輪を壊してしまった。こうなっては少年の未熟な力で狭間の空間を保つことはできない。場数を踏んだベテランの天使であれば何かしら対応はできたのかもしれないが、少年はただ狼狽するだけだ。


「逃げよう!」


 仕方がないのでフィナは少年の手を取って、穴とは逆の方向に向かって駈け出した。

 どこに向かえばいいのかフィナにはさっぱり見当もつかないが、とにかく穴から逃れるように懸命に走る。しかし所詮は子供の足。崩壊しながら近づいてくる穴は、あっという間に二人に追いついた。

さらさらと砂の城が崩れる時のような音がフィナの耳のすぐそばで聞こえた。


少年にぐっと抱き寄せられ、そして再び、フィナは意識を失った。



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