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「都宮くんはどうしてこの村に来たんですかー?」
やや強引に町中へ連れて行かれた司は、今日一日で何度もされてきた質問に呆れながらも、しっかりと真面目に答える。
「…両親の勧めだよ。僕、あんまり身体が強くないから、都会の空気は合わないだろうって」
菜緒は一度司の顔を見て、「あやや、それは大変ですね〜」と他人事のように言って、ここが本屋だの何だのと繰り返した。
「興味がないなら聞かないでよ」
「ないって訳じゃあないんですよー、偶然にも話すタイミングが本屋さんの紹介と被っちゃったので、泣く泣く本屋さんの紹介を優先させて頂いたまでです!」
「…………」
半信半疑の司は押し黙った。そんな様子を気にすることもなく、菜緒は自己満足レベルの村案内を続けていった。
現在時刻は午後一時。「そろそろお腹も空きましたねー」という菜緒の一言で、二人は菜緒一押しの洋食店で昼食を摂ることにした。
「…この村にも、こんな素敵なお店があるんだね」
「あ、都宮くん!今さりげなく村の事、馬鹿にしましたねっ!」
プンプンと擬音が付きそうな怒り方をする菜緒に、司は「ご、ごめん」と申し訳なさそうに頭を下げた。直ちに菜緒は表情を変え、気にしてないです、冗談ですよと笑って見せた。
「僕、さっきから菜緒さんに振り回されっぱなしな気がする…」
「優男は常に損をしますねぇ、もっとワイルドになりましょう!」
ガオー、と牙を剥く菜緒。本人はライオンのつもりだろうが、はたから見れば威嚇中の猫だった。
しばらくして二人分の注文(司も菜緒も同じ、菜緒の一押しのパスタを注文した)が運ばれて来る。昼食にしてはやや遅めな時間なので、あまり待たされることは無かった。
「どうです、都宮くん!ここのパスタは絶品でしょうー?」
一口含んだ司は正直、感動した。今までの人生で、こんなに美味しい物を食べた記憶がない、そう思えるくらいに菜緒の勧めるパスタは絶品だった。
「……美味しい。本当に」
「でしょでしょーっ?都会にだって負けないんですよ、このお店は!」
パスタ以外も美味しいんですよーと喋り続ける菜緒が突然、ピタリと急停止した。
流石にここまで急ブレーキをかけられると、司の方も心配して菜緒の顔を覗き込んだ。
「な……菜緒さん?」
「………………………と」
「と?」
「都宮くんっ!!」
「うわあっ!?」
菜緒が声を張り上げて立ち上がる。カウンターを食らった司は情けない声を上げた。対して菜緒は、慌てた表情を浮かべて忙しなく手を上下に動かした。
「ごめんなさい都宮くんっ!私、学校に寮の部屋の鍵を置いてきてしまいましたぁ!!」
「だ、大丈夫ですか…僕は心が大丈夫じゃない」
「私は大丈夫です!少しだけ待っていて下さい!走って取ってきますからっ!!」
嫌味のつもりで言った言葉をスルーされて、司のライフは限りなく0に近付く。そんな中菜緒は鞄を置いて、元来た道をすごい勢いで走って戻って行った。
「…財布ごと鞄を置いて行ったってことは、食い逃げって訳じゃないよな…?」
司はまたパスタを口に運んだ。オリーブとガーリックの香りが仄かに広がる。
騒がしい人間がいなくなって、司は不意に今朝の事を思い出した。
「菜緒さんなら、何か知っているかな……」
あの、不思議な気配の雑木林の事。
「只今帰ってきましたぁーっ!!」
「本当に早かったね…」
清々しい笑顔で「鍵、ちゃんと撮ってきましたぁ!」と汗を拭う菜緒に目を向けず、司はコーヒーに口をつけながら窓の外を見た。
菜緒がそんな司の様子を見て、心配そうに首を傾げる。
「都宮くん、大丈夫ですか?…あ、大丈夫じゃないんだった、え、えっと…どう大丈夫じゃないんですかっ!?」
「大丈夫だよ菜緒さん」
「もー!なんなんですかぁ!」
菜緒がうぎぎぃと唸ってテーブルに突っ伏した。先程とは真逆の立場に、司が心の中でガッツポーズしたのは言うまでもない。
やがて突っ伏していた菜緒がむくりと起き上がり、またも心配そうに、
「でも都宮くん、やっぱり少し様子がヘンですよ…?」
と尋ねた。
このまま菜緒に心配をかけさせるのも悪いと考え再びコーヒーを一口飲むと、司は視線を菜緒に向けた。
「都宮くん……?」
「菜緒さん」
「は、はい」
「聞きたいことがあるんだ」
「ええっ!?」
途端、菜緒の顔が真っ赤に染まる。
「そ、そんな急にっ…私、私っ!ちゃんと…しっかりお答えしますぅっ!」
見るからに菜緒の反応がおかしいのは司も気づいているが、あまりにも例の雑木林の事が気がかりだった。しっかりと「多分想像してることとは違うと思うけど…」と前置きして、
「あの、学校を越えたところにある雑木林…何かおかしな感じがしない?今日の村案内でもあの雑木林の近くには行かなかったし……あそこで何かあったりしたの?」
「はいっ!!雑木林ですねっ!!………ああ、雑木林でしたか……はい、その林ではですね」
明らかにテンションが下がったことに触れて良いのか悪いのか考えた結果、司は触れないことにした。
何よりも、その話の続きが一刻も早く聞きたかったのだ。
「あそこ、今まで都宮くん以外にも何かを感じ取っちゃう人がいたんです。稀なんですけどね。
その中でも強く感じてしまった男性がある日、その雑木林の中に入って行ったんです。
するとですね?雑木林の中だと言うのに、妙に綺麗でしっかりとしたお屋敷と庭園があったんですって。
更にその人は…そこで、何を見たと思います……?」
司も菜緒も、ごくりと唾を飲み込む。
一刻間を開けて、菜緒が息を吸い込み——
「ななな、なんと!美しい着物を纏った美しい女性の幽霊が出てきて『一緒に遊ぼう…?』と腕を掴んできたそうなっ!!きゃあああああーっ!!」
「菜緒さん!しーっ!しーっ!!」
店だと言うのに大声で悲鳴を上げた菜緒に、店中の視線が集まる。司が必死に宥めようとするとするが、火の点いた菜緒は止まらない。
「大変ですよぉ都宮くん!?だってだって都宮くんは『感じ取っちゃった人』なんですからぁーっ!きゃあーっ!!」
「分かった!分かったから落ち着いて!………落ち着いた?…よし、もう叫ばないでよ?……もう、そもそもその話、酷くないかな?幽霊だなんて根拠が全く出てこなかったじゃないか」
司のその言葉を聞いた菜緒はハッとした後、少しだけ不貞腐れる。
「まぁ…出てきませんけど…。でもでも変じゃないですかぁ?今時着物とか、遊んでーとか、まず林の中に家があるなんて、全てがおかしいですよー?」
「……でも僕は…。何か、違ったような気がした、んだよなぁ」
ストローの挿さったオレンジジュースをちゅるちゅる吸って、菜緒は暫く不思議そうに司を見つめていた。
「……なんと言いますか。都宮くんは不思議な人ですねぇ。でもでも、本当にもしもの事があったらいけませんし、あまりあの雑木林には近付かない方がいいと思いますよー?」
夕陽の傾いた帰り道、ぽつりと零した菜緒の言葉。
「…考えておくよ」
「〜もうっ!本当にどうなっても知らないですよー!?」
ははは、と赤く染まる村に笑い声が響く。
少し不安な点もあるが、この村でなんとか生活していけそうだと、司は思った。
「あれ、珍しい、箱庭さんのお家に今日は灯りがついてる」
聞き慣れない名前が、菜緒の言葉に混ざる。目を向けると、途轍もなく大きな日本風の屋敷が建っていた。
「珍しい苗字だね。知り合いなの?」
カラカラと、菜緒の軽快な笑い声がこだまする。
「この村は全員が知り合いみたいなものですよぉ。
…………だけど…」
「…?だけど?」
菜緒が再び大きな屋敷を見上げて——
「この箱庭さんという方だけ……皆、知らないんです」
と、言った。