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ブロロロ…と煙を上げながら、引越し業者のトラックが去って行った。
その様子をぼーっと眺めて、都宮司は溜息を吐いた。
バスもない。遊ぶ場所もない。あるのは広い田んぼと畑、あとは必要最低限のスーパー。
高校二年の夏。
遊び盛りの司には、これは考え得る限り最悪に近い環境だった。
両親の勧めで学生寮のある田舎の学校に通うことになったが、まさかここまで田舎とは…と、司は都会では絶対に見られないくらいに澄んだ空を仰いだ。
司はあまり体の強い少年ではなかった。都会の空気が良くないことなんて、どこに住んでいても大抵の人は解る。これを心配した両親の気持ちも分かるが、
「これは……逆に身体を壊しそうだよ、父さん母さん」
司は寮母に挨拶を済ませ、部屋に案内してもらった。大きな荷物はあらかじめ運送業者に頼んでおいてあったので、司は真っ先にベッドへと倒れ込んだ。
「知り合いが一人もいないこの村で、僕は一体どうやって過ごせばいいんだ…」
軋むベッドの上から、光の差し込む窓へと顔を向ける。空は相変わらず、嫌味な程に澄んでいた。
本日何度目かも分からない溜息を吐く。
最近は引越しの準備やらでいろいろ切羽詰まっていたし、きっと僕も疲れたんだ。
怠い身体と浮かない気持ちの理由をそう決めつけて、司は重たい瞼を閉じた。
司が目を覚ましたのは、次の日の朝五時頃だった。
「……起きなきゃ」
今度は寝過ぎたのだろうか、未だに怠い身体に活を入れ、のそのそと起き上がった。
引越し用のダンボールの中に入った制服を取り出す。幸い、ビニール越しに見える制服に、皺は出来ていないようだった。
シャワーで汗を流し、丁寧に髪をドライヤーで乾かしてから、ビニールの中の制服を出して袖を通す。着慣れていないせいか、心なしか司は、この制服が普通のものより動きづらいような気がしてならなかった。
靴は、昨日も履いた慣れている物を着用し、朝食を摂るべく食堂へ向かった。
「おはよう、朝は随分早いのね都宮くん」
昨日部屋に案内してくれた寮母が、端の席に座った司の前に朝食を置き、自分もどかりと座った。
「おはようございます寮母さん。なんだか早く目が覚めてしまって」
「まあ、慣れない土地なんだもの、仕方ないわ。コーヒー、飲む?」
お願いしますと一言告げると、寮母は元気にポニーテールを揺らしながらキッチンへと向かっていった。
その後司は寮母と少々話し込んで、人が増えてきた頃に食堂を後にした。
学校へ行くにはまだ時間が早い。司は学校の周囲を探ってみることにした。
しかし、これと言って面白そうな物はない。しいて言えば、学校の裏にビニールハウスがあって、その影に大きな向日葵が一輪咲いていたくらいだ。
他に司が気になったのは、学校をちょっと越えたところにある、雑木林。
特に何かあったという訳ではないが、司は何処と無くその雑木林から異変を感じ取った。
しかし異変と言えど、この村の住人からしたら対したことではないのかも知れない。それに所詮は人間の勘だ。司は自分にそう言い聞かせて、すっかり遅くなってしまった時間を気にしながら、学校へと戻った。
司が転校してきた時期は、丁度周りが夏休みを堪能した後のことだった。
田舎の学校に都会から転校生がやってきたと、クラス中どころか学校中で騒がれて、挙句には他の学年の人間まで司を見に来る始末だった。
「僕を観察しても、つまらないよ」
これは司の本心だった。
何を隠そう、都宮司は凡人だった。
頭が良い訳でもないし、運動が出来る訳でもないし、凄く物知りな訳でもなければ、得意な事だってない。司は、ただの優しい青年だった。
そんな司がまるでアイドルかのように見ものにされるのは、本人としてもあまり、気分の良い事ではなかった。
いずれ皆「なんだ、ただの凡人か」と残念そうな顔をして去って行くのだ。そんな未来が見えるのだから、憂鬱にならないはずがないのだ。
始業式後はすぐに解散で、仲の良い友人達が集まって教室を出て行くのを、司は黙って眺めていた。
そんな司に不意に、自分に話しかけてくる女の子の声が耳に届いた。
僕は君達が思っているような今風な人間じゃない、とつい言ってしまいそうになるのをぐっと堪え、疲れきった首をぐるりと回す。
そこには、どこか外人のような空気を漂わせる、赤毛っぽい少女がいた。
「都宮くん、今日この後暇ですかっ?良かったら私、この村を案内しますよ!」
ニコッと人懐っこそうな顔を歪める。ふわふわに纏められたお下げの髪が小さく左右に揺れた。
「え、えっと」
「あ…そうですよね。今日、初めましてですもんね!」
当たり前の事をまるで今思い出したかのような口振りで呟く少女は、右手を差し出して、
「私は古壱菜緒と申します!えっと、私のパパはドイツ人で、たまーに外国人に見間違われることがあるんですけど、生まれも育ちもこの村なので、日本語も案内役も心配無用ですよっ!」
司はこの押しの強い少女・古壱菜緒に圧倒されながらも、小さく「よろしく…」と返し、手を握った。