闇花を愛でる
赤い紅を唇に引いた女性はくすりと笑みを零す。彼女は掌で男を転がすことに慣れていた。いや、慣れ過ぎている。それが暗闇に包まれた世界で生きる術として、身につけなければいけないものだった。
「いやね、翰はすぐに機嫌が悪くなるんだから」
自分の背後に現れた人物の気配を彼女はすぐに理解した。するりと背後から回った腕が女性を包む。
後ろに首を傾けると秀麗な男の顔があった。美しい顔には、返り血がついている。それを撫でて、女性は指先についた血を舐めた。
「香、あなたが悪いんです」
「とんでもない言いがかりね」
ふふ、と軽やかに笑う香の首筋に顔を埋めて男は顔をしかめる。
「いやな匂いがします。腹が立って、苛々します。私以外、あなたには必要ないでしょう?」
「あら、必要よ。だって役に立つもの。面白い情報を手にできるのよ? あなたは私にしか興味がなくて、面白い情報なんてなーんにも持っていないじゃない」
「面白い情報なんて世の中にはありません。全部ただの屑です。香、あなたのために仙人となり、あなたのために地に堕ちて悪魔となりました」
仙人として仙術を扱い、悪魔としての魔力を操る。恐ろしいまでの化け物といえる男は、香のためなら国を簡単に滅ぼす。
「ねえ、香。あなたに触れた塵屑は消してよかったですよね? もちろん、反論は受けつけません」
彼女がゲームのように男を転がす姿にぞくぞくしつつ、苛々が募ってつい彼女と関わった者を手にかけてしまうほど狂っている。
ああ、許せない。
麗しい手に触れた。
ああ、赦せない。
愛しい唇に触れた。
香が自分以外にすべてを預けないとわかっている。その身を他者に許さないと知っている。けれど、心を引き裂く激情は仙人の冷静な部分を破壊する。悪魔の嫉妬を増幅させるのだ。
「ふふ、いいわよ。身も心も翰のものだもの。面白い情報はもうあるから、好きにすればいいわ。これからは勝手にしてちょうだい。確認にもならない問いなんて必要ないわ」
「私が香のものであるように、あなたは翰のものです。離れることは絶対にありえません」
折れてしまいそうな細い首筋に赤い花を咲かせて、美しい男は笑みを浮かべた。薄い唇は術を唱え、目の前の景色は変わっている。
壮麗な部屋に移動すると、翰は瞳を細めた。
「消毒しましょう。私から離れたら壊します。ついでにつまらないものすべて壊します」
「つまらないもの?」
「ええ、あなた以外はすべてつまらない塵屑です。綺麗に掃除しないといけないでしょう?」
「綺麗好き、だったかしら?」
柔らかなベッドに押し倒された香は、自身の手を執拗に舐める男を見上げた。手に口付けを落とした客の感触を忘れさせるように、何度も熱い舌が手を溶かす。
「あなたが離れる要素がなければいいんです。だから綺麗にするんですよ。大丈夫です。壊しても大事にしますから」
香のつける髪飾りを外し、甘い言葉を囁くように恐ろしい台詞を翰は口にする。
「壊さないでね」
「そうですね。では、あなたを誘惑した愚かなものを破壊してから考えます」
翰は唇に弧を描くと、自らが愛するたった一人の女性へ口付けを落とす。それと同時に彼女の身体に触れた者を知らせる術を刻みつけ、暗く歪んだ光を瞳に灯した。




