第35章 隻腕少女と吸血の《鎖》(1)
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不意に、リリーナは昔の記憶を思い出していた。
それは11歳の頃、薄暗い地下の孤児院『雛鳥の宿』で、共に苦しみの渕で過ごしていた、かつての親友の姿__
「リリーナ、笑ってよ。アンタとっても可愛いんだから。
リリーナの笑顔が、私には最高の癒やしなんだよ!」
過酷な地下施設の生活の中で、時に隅で泣いていた自分を慰め、励まし、笑顔をくれたのは__
全身が傷だらけで痛々しい、でも心臓は強く心優しい、そんな13歳の年上少女だった。
彼女の名はリステリア=エーデルフェルト__
もうこの世にはいないが、生前その少女を、リリーナは姉ように慕っていた。
瞳ごと焼け爛れた右目を亜麻色を長い前髪で隠し、薄着のシャツから覗く火傷肌の右腕は、肘から先が欠損していた。
安物で壊れかけだったが、アルミ製の古い義手を装着し、動きの鈍い手つきで、よくリリーナの頬や頭をそっと撫でてくれていた。
心が痛む姿__
しかし孤児院では珍しくない。
そんな凄惨な境遇の子供達を、施設は各地から集め収容していたのだ。
劣悪な環境下、大人達による鍛錬という名目の虐待__
そんな境遇でも、同じ年齢層の子供等は、互いを助けて生きていたが、鬱積による過激な虐めも絶えなかった。
優しい性格のリリーナは、頻繁にその標的にされ、時には貴重な食事も奪われ、痩せた栄養失調の目立つ身体で、彼女はいつも隠れて泣いては暗く沈んでいた。
こんな格好を、幼なじみの男子であるユウキには、とても見せたくなかった。
独りで苦しんでいたリリーナを頻繁に気にかけ、傍に寄り添ってくれたのが、少女リステリアだった__
在りし日の夜、同僚達に殴られ蹴られ、痣だらけの身体で死んだように蹲っていた際__
真っ先に探し出したリステリアは、綻びた右腕の義手で、自身の頭をそっと撫でてくれた。
あの時聞いた言葉を、リリーナは決して忘れなかった。
「苦しいよね、リリーナ……自分が何も悪いことしてないのに、理不尽だよね……!
でも、リリーナがこんなに苦しいのは、アンタ自身がどこまでも優しくて、純粋で、心が綺麗だからなんだよ……!
優しい綺麗な人間こそ、回りから苦しめられる……!」
「私の心……? どうして……そんなの分かるの……? 愚図で……役立たずな……私が……悪いんでしょ……?
もういいよ。私がゴミで……迷惑な存在なんだから……」
この時、それを呆然と聞いていたリリーナは、絶望しきった虚ろな目で、自分を否定する言葉を吐いていた。
だがリステリアは、否定も拒絶も一切しなかった。
彼女を大切に思うからこそ、本気で叱責さえして見せた。
「馬鹿っ! あのクズ共の能書き真に受けてどうすんの!
私だって過去に痛い思いをして、苦しんできたから。虐められるアンタの苦痛を知ってるし! 見ていて辛い!
だから助けたい! 心から笑っていてほしい!!
いい? リリーナ! ほんの少しでいいから、アンタは図々しく意地悪になりなさい……!
それは自分と、大切な誰かを守るためよ。その抱える苦しみを、少しでも和らげてほしいから……
大丈夫! 連中が徒党を組んで潰しに動いたなら、絶対にリステリア姉ちゃんが、身体張って一緒に戦ってやる!
もっと自分に正直なって、時には甘やかして、その身体を大切に使ってやりな。
そして強くなって、同じ苦しみを抱えた子達が傍にいたら、力になって寄り添って、アンタが守ってやるんだよ。
私が保証する__!
リリーナは、必ずそういう人間になれるから__!」
あの暖かな手の温もりと、叱咤激励をくれたリステリアの真剣な眼差しは、何よりも眩しかった。
すでに遠い過去の、在りし日の記憶__
心優しい笑顔と共に手を差し伸べてくれた。あの傷だらけの少女は、今はこの世にいない。
亡き少女リステリアの救いの手と言葉は、今のリリーナの記憶から誓いとなって__
少女の心の奥深くに、刻まれ続けていた。
◆◆◆◇◇◇
(そっか、分かったよリステリア__!
きっとこの出会いは、私があの約束を果たす時が来たって、そういうことなんだ。
貴女には敵わないよ。
だって自分の身体や心の傷をそっちのけで、いつも泣いていた私に寄り添ってくれたんだよね__?
じゃあ、今度は私の番……私が誰かの希望となって、その夢と意思を繋げる。その時が来たんだね__!)
ただ静かに、独りで、心に火を灯しながら__
リリーナは、たった今病院で出会った隻腕少女の、張り切った挨拶を見守っていた。
「リリーナ先輩〜本当に会えて光栄っス♪ この前は、妹同然のシェリーを助けてくれたこと、お礼を言いたかったし〜
話を聞いてから、ずっとお会いしたいと思ってたんスよ!
いや〜本当に今日は良い1日っス〜! 是非とも握手させて欲しいっス〜!」
患者服を纏った片腕の少女は、持ち前の天真爛漫なる微笑みで左手を伸ばし、リリーナに握手を求める。
「あっ……ごめんなさいリリーナさん。ねぇラフィアス? 突然にぐいぐい迫ったら、リリーナさん困っちゃうよぉ……?」
その背後のテーブル席に座るシェリーが、遠くから恐る恐る少女を注意するも__
それをよそに、この少女は遠慮無しに目を光らせ、リリーナとの距離を目と鼻の先まで詰めてくる。
その積極性には、リリーナも若干困ってしまう。
「………えっと、ありがとう。でもそんな……少し恥ずかしいよ。そんなこと言ってくれたの、初めてだから……!
私は、リリーナ=フェルメール……って、名前は知ってるんだっけ……? よ……宜しくね……♪」
しかしながら、極力意識を反らそうとも、精一杯に努力はしているが__
先程から己の理性とは正反対に、
リリーナの視線は、目の前の少女ラフィアスの、ある部位へと、その眼球を引き寄せられていた。
その少女が身に纏う患者服の腕部__
中央の半端な位置を団子状に結んだ、本来そこにあるはずの腕が存在しない、右側の袖__
この少女は、生前の親友とは全く別の、恐らく凄惨たる過去を背負ってきた少女だと、頭で理解していたつもりだが、
少女の眩しい笑顔は、昔の親友、リステリアのそれ__
その姿を目の前に、まるで生前の彼女が脳を過って、深層意識に錯覚を見せられる。
__そんな葛藤を抱えながら、リリーナが独りでに、心と記憶の空想に意識が囚われてしまっていると……
「__もう! ラフィアス!? 私は近くでずっと耳を立てて聞いていたけど、初対面の人にぐいぐい攻め過ぎだよ!
少し落ち着いて、ゆっくりと自然な会話をしなきゃ、リリーナさんすごく困ってるよ?」
隻腕少女の背後から、呆然とするリリーナを援護するように、その少女へピシャリと注意を促したのは__
共にお茶話がしたいと、リリーナの診察終わりを心待ちにしていた盲目の少女、シェリー=へレンズケラーであった。
【……クフッ……スンスンッ……】
気がつくと、彼女に寄り添う【総合介助犬】のセイバーも、少女の足元に伏せて待機してうごかなかったはずが、
いつからか、その場を離れて、少女ラフィアスの背後に立って、鼻息を立てて少女の大腿に鼻をこすりつけている。
宥めて抑制を試みているのだろうか__
この行動原理も全ては、シェリーとの《心理の共鳴》、つまり《ギルソード》の能力によるものだ。
「ごめんなさい、リリーナさん。私から紹介しますね。彼女は、ラフィアス=フィラデルフィアっていいます。
私達はこの病院から近い〈特別生活支援施設〉に移住させて頂いていて、彼女はそのルームメイトなんです。
1つ歳上なので、私にとって実の姉のような家族で__
ごめんなさい……! 彼女は興奮するとすぐに回りが見えなくなって、勝手に暴走しちゃうんです……!
でも、優しくて勇敢な人なので、許してあげてください。
ほらラフィアス? 目上の人との会話は礼儀正しく、落ち着いて話すべきでしょ?」
「あはは〜いや〜すいませんっス〜♪ なんか私の悪い癖が出ちゃったみたいッスね〜♪
今じゃあ、シェリーがしっかり者だから、どっちが年上でお姉ちゃんかわかんないっスな〜♪」
隻腕の少女ラフィアスは、恥ずかしげに頬を赤くし、照れるように微笑んだ。
それまで、どこか思い詰めたように、深い考え事をしていたリリーナだが、その引きつった表情には__
目の前の少女達から分け与えられたように、彼女の微笑みが舞い戻ってきた。
◇◇◇
__一方その頃、この休憩広間から広い通路を挟んで真向かいに位置するナースステーションでは……
リリーナの看護を担当する、刺々しい性格を持った女性看護師が、受付カウンターから、休憩所の奥で意気投合する達3人を、じっと睨みつけていた。
右耳には、細くスリムな『小型インカム』を装着しているが、それは当病院から支給された業務道具ではない。
別組織から渡された、極秘の通信手段である__
「……まさか、あの時の盲の小娘と凶暴なクソ犬が、我々の求めていた新型の《ギルソード使い》だったとは……
まずは私が先行して、連中に奇襲を仕掛けます。
合図を出したら、院内の邪魔者は皆殺しって事で__!」
その女性看護師は小声でインカムに吹き込むと、医療制服の両ポケットに隠した、拳銃やスタンガンに手を忍ばせ__
そっと、リリーナ達の方へと忍び寄っていった。
《登場人物紹介(追加分)》
・ラフィアス=フィラデルフィア(15歳)
……盲目のシェリーと同じく、医師レヴェリーの診察を受ける患者の少女。シェリーの姉のような存在。
過去にテロで家族と右腕を失っている。
普段は右腕には《義手》を装着しているが、今回はそれを外し、メンテナンスも兼ねた診察を受けに来院していた。
《ギルソード使い》だが、真相は後に明かしていく。




