第26章 それは新たなる脅威(1)
◇◇◇
__地上、〈戴冠の女王軍 総本部〉西棟、高さ約390mのヘリポートにて__
「……ぐっ……うぅ……」
命からがら〈総本部〉へと辿り着いたリリーナだが、体力は限界に近く、ヘリポートの中央で倒れ込んでいた。
傷からの流血は未だ治まることなく、白いコンクリートやタイルをも、鮮血の液に染めてしまう。
(ユウ……キ……居る……よね……せめて……連絡くらい……とらな……きゃ……)
虚ろな目で、微かな瞬きを繰り返しながら、リリーナはそんな事を思った。
とはいえ、身体はもう動かないので、携帯を取り出す気力はない。
だが、リリーナはもう1つの手段を試みる。それは通信機器無しでも、相手と連絡を繋ぐ方法だった。
(応え……て……《ブレイン=ナノマシン》……通信形態に……変換……)
紅色の《覚醒瞳》が煌めく彼女の周囲に、一粒の《ナノマシン》が浮遊する。
いつかのダマスカスで使用した方法だ。
変幻自在な《ブレイン=ナノマシン》の特性を利用して、1粒の《ナノマシン》粒子を《通信機》に変換、使役している。
この場合、その粒子は特殊電波の発信機となり、通信機器は彼女自身の《改造手術》を施された『大脳』そのものが役割を担う。
秘密裏に、至る場所で、誰にも盗聴されることなく、彼女の大脳だけで、通信相手との『脳内会話』が実現できる。この国で、彼女だけが。
しかし__
(あれ……? キルトもユウキも……通話に応じてくれない……?
私の脳から直接《発信》してるから……電波障害なんて関係ないのに……電源が切れてる様子でもないのに……)
リリーナは困り果てた。
携帯の着信に気がつかないだけなのか。だが、敵との交戦はすでに終えているようなので、応答する余裕はあるはずだが……
(仕方ない……動いて……私の身体……)
事態は一刻を争う。しばらく連絡の《発信状態》を維持しつつ、この身体を引きずってでもユウキ達に会おうと、震えながら右手を動かそうとした。
__刹那、鉄製の物体が、カチャリと耳元に当てられる。
「動くなよ? 抹殺対象のリリーナ=フェルメールちゃんよぉ?」
__耳に入るは、低く強張った声。
(えっ!? ここ本部だよね? 一体誰が……?)
気力を削って、恐る恐る目線を空にやると、大柄な軍人体型の男達が2人、拳銃を突きつけて自身を見下ろしていた。
(……!?)
リリーナは目を見開いた。
驚愕したのは彼等の服装で、どういうことか、見覚えのある馴染み深いそれ。
「何だ? 自軍の軍服がそんなに衝撃的か!? 俺達ァこれを着て総本部に長期間潜伏してたんだよ!
今日の今日まで気づかねぇんだよなァ! お前等が平和ボケしてるから楽な潜伏だったぜオイ!」
彼等が身に纏っていたのは、《戴冠の女王軍》護衛兵の歴とした軍服であった。
見た目はよくある迷彩色のそれだが、襟元等の作りや腕章などの形状は、言わずもがな__
過去も現在も、その軍によって記章等、特徴の相違は必ずあるものだ。
リリーナは軍属学園の生徒、自軍の軍服を見間違えるはずがない。
本部の者達は、容易く欺かれていた。
リリーナは驚愕し屈辱に苦しむ。
「オイ! この女は確かに標的だが手に掛ける手間はいらねぇだろ! 放っときゃ出血多量で死ぬぜ?」
「いや、コイツは利用価値がある! ユウキって奴の居場所だって、ヴィザロⅡ様のおかげで特定してんだ!
人質にして狼狽させて、まとめて始末するんだよ!
オラ行くぞッ! あのガキは、奥のエレベーターの下にいるらしいぜ!?」
男達はそう言うと、リリーナの首に片腕を括って、無理やり起き上がらせた。
「ぐっ……けほっ………」
無抵抗なまま、リリーナは敵の男達によって、奥の『地下廃棄物処理施設』直結のエレベーターへと乱暴に引きずられていく。
地を擦る足元から形成されるは、だらりと流れ出る血液の跡。
(ユウ……キ……)
リリーナはその名を胸の内に思ったまま、人形のように脱力して目を閉じた。
◇◇◇
〈新都市マリューレイズ『地下産業廃棄物処理施設』〉
「電波障害って何だよ? お前の携帯がぶっ壊れただけじゃねぇのか? それとも通信制限か?」
気の抜けた顔で、ユウキはキルトに軽口を叩く。
「ふざけ倒せよ馬鹿野郎! 人が真剣に対処してる傍で! 疑ってるなら、お前の携帯も確認してみろ!」
苛立ったキルトはそう言って、その手のスマートフォンのディスプレイを彼に突きつけた。
ディスプレイの右端を見ると、確かに電波状況を表すアイコンには『通信圏外』を表すマークが表示されている。
「あぁ? どうなってんだ!?」
と、怪訝な顔でぼやいたユウキが、ポケットから取り出した自分のそれと見比べると……
その意外な状態に、ユウキはきょとんとした。
ユウキのスマホ携帯にも、『圏外』のアイコンは発生していたが、しかし何故だか__
ディスプレイを割ってもいないのに、画面の一部が液晶漏れしたかの如く、色がざらついて映りが悪い。
よく見れば、キルトの持つそれのディスプレイにも、画面右端や中央に液晶のバグが発生している。
無論、互いにスマートフォンに損傷を与えた心当たりは皆無だった。
「……妙だぜキルト! これ電波障害じゃねぇぞ! 何か電脳ウィルスでも撒き散らされたか?」
「知らん……! だが事態は厄介だな! よく考えれば緊急事態だっていうのに、軍の『無線放送』が機能していない!
通信室はどうした!? 何かしらのトラブルでも抱えているのか!?」
キルトが言う『無線放送』とは、軍の通信指令室が管理する『緊急・防災用無線音声放送』のことだ。
地下・地上問わず、都市の至る施設に専用スピーカーが備えられ、火災・河川反乱・事件等の緊急時、この無線放送で国土全体に周知される。
それの役割は、緊急事態を告知するだけでない。
軍事活動の命令・情報伝達の要として、時には『最高司令室』と共に《戴冠の女王軍》を指揮する軍の重要機関。
麻痺しては国の安全に関わる__
「……ったく問題だな! 軍の頭脳の一部がそんな状態ってのは……! なぁキルト、俺達で通信室とか調べに行こうぜ? それで俺達の仕事は終わりだ!」
気の抜けたように、ユウキは頭を掻きながらキルトに提案した。
キルトはそれに唖然とする。
「……ちょっと待て! あの男の追撃は……!?」
「……あの男ォ?」
「お前……!? ヴィザロⅡと一緒に、もう1人の男が地下施設に潜入していただろう!? 奴だって一刻も早く倒す必要が……!」
不安要素は、大事になる前に逸早く摘み取らねばならない。
焦燥と危機感に駆られたキルトの説得に、ユウキは……
「そうかァ? でもアイツは《ギルソード使い》じゃねぇだろ?
うちの護衛兵に《それ》を持ってる人間が何百人いると思ってんだよ!? にも関わらず、奴は単独行動してんだろ? 自殺志願者としか思えねぇよ!」
「そうかもしれんが……! 念には念を入れて……!」
「いいや! 無謀にも孤立したアイツは、別働隊に集団リンチされるのも時間の問題だ!
勝手にイキがった挙句、後悔して葬られればいい!
俺達が直接手を下す必要もねぇよ!
あの野郎は放置して、通信指令室の様子でも確かめに行こうぜ! 奥のエレベーターが近いんだろ?」
「オイ! ちょっと待てユウキ!!」
不機嫌なしかめっ面を見せるキルトをよそに、ユウキは悠長な足取りで、100m先の『地上行きエレベーター』へ繋がる通路を歩き出した。
キルトはそれを慌てて追う。
「……だから待てよユウキ! 俺の話を聞けって!」
「何だよキルト。今の状況がそんなに危機的か?」
「あぁ危機的だな! 冷静に考えてみろ! ここは史上稀に見る巨大軍事国家〈新都市マリューレイズ〉だぞ!?
海上や地上は勿論のこと、地下だってセキュリティは厳重! 一般兵の戦闘能力だって並大抵じゃねぇ!
そんな場所に長期間潜伏して、部下まで総動員で隠密行動させていた手腕の男が! なんの対策も無しに敵地で孤立して討たれるとは到底思わんだろ!?
何かしら仕込んだカラクリに、自信と勝算があるんじゃないのか!? 放っておいていいのか!?」
「ったく! お前は心配性だなぁキルト! その感が当たったらこの国史上最悪の事件が決定するぜ?
けどアイツは、この国の防衛システムを舐めすぎだ! どうせ長持ちしねぇよ! せいぜい袋の鼠になって足掻けってんだ! ほら着いたぜ!」
言い合いしながら足だけ動かしていると、いつの間にか『地上行きエレベーター』の目前まで辿り着いていた。
__この設備は普段使われることがないのか、少々老朽化が目立っている。ドアも古びてメンテ状態がよくない。
「これが『地上行きエレベーター』だな! これ確か西棟のヘリポートに繋がってんだろ?」
キルトやリリーナ程ではないが、ユウキもまた、この地下施設を含めた軍事施設〈戴冠の女王軍総本部〉の見取り図面は大凡把握していた。
このエレベーターがどのフロアを辿って、どこに到達するのかは検討がつく。
「………あァ?」
真横の階床表示灯を見つめて、ユウキは眉をひそめる。
「どうしたユウキ……? ………っ!?」
「誰かが降りてきてるぜ……?」
エレベーターの表示灯には、上下の移動方向を表す矢印と、現在の階数を表す数字が、液晶モニターに記されている。
矢印は下向きに、階数表示は最上階である地上90階から止まることなく、88……87……86……そして80階へと急速に降下している。
エレベーターの機動騒音は激しさを増す。60……50と、停止する気配を全く感じさせない。目的地はこのB40階の地下最深部〈廃棄物処理施設〉と見て間違いようだ。
「この非常時に? 一体この場所へ何の用だ……!?」
「地下の異常を察知した援軍……だったら超絶ラッキーだが、どうも怪しいぜ。コイツに関しては用心が必要だな……! キルト! お前は下がってろ……!」
睨みを利かせたユウキは、自身の武器である《高速射撃の剣》を発動・実体化させると、その刃を正面の扉へと突きつけて半歩ずつ接近する。
40……38……35……高速のエレベーターは速度を落とすことなく、この地下最下層へ向けて急降下していく__
20……16……12……7……3……B1……B3……
B11……B15……B20……やがて幾つもの地下フロアをも通り過ぎるエレベーターは、間もなく終着の時を迎える。
「俺さァ、こういう時に張ったヤマは当たるんだよ! 中の連中は援軍じゃねぇな? ヤバい匂い満点だぜ!
最上階は屋上のヘリポート以外何もねぇ! そんな所からまっすぐ降りてくるのは不自然だ! 味方なんて思えねぇ! 降りる寸前で再起不能にしてやる!」
すでにユウキは、エレベーター前の乗降口に仁王立ちしていた。
狩猟者の如き眼光で、左の利き手に握った《剣》を大きく振り翳し、到着と同時に内部を一刀両断すべく、彼は静か待ち構える。
(ここの階数は……B40階だったな! さっさと降りてこい! ドアの開いた瞬間がお前の終末だ!)
B29……B22……B35……B37……
__ついに、その到着を告げるチャイムが鳴り、エレベーターの重い扉はゆっくりと開かれる。
ニヤリと微笑するユウキ……だが刹那、その余裕に満ちた表情は、一瞬で崩れ去った。
「ユウキ=アラストルって奴はァ……お前だな!?」
「………………っ!?」
扉の奥から現れた者__
まず、自軍《戴冠の女王軍》護衛兵の軍服を纏ったガラの悪い男2人組。
1人は腕の太い大柄な男。もう1人は非力そうな痩せた男。
そして、大柄な男が抱きかかえる腕の中には……
「おっと! そこを動くなよォ? この死にかけたお嬢ちゃんが目に映ってるよなァ? 大事な相棒だろォ?
下手な行動すると、コイツの喉元にナイフ突っ立てて楽にしちまうぜぇ!? なぁオイ!!」
血にまみれた病衣の少女、リリーナ=フェルメールの姿があった。
その身に何が起きたのか、全身の包帯も、病衣も、赤黒く染まり果てた凄惨な姿が、ユウキを絶望に追い込んでいく。
すでにショックで震え上がり、ユウキは身動きが取れない。
「貴様等!《革新の激戦地》が送った潜伏者か! よくも国をここまで混乱に陥れてくれたな!!」
血相を変えたキルトが、ユウキに代わって男達に食って掛かる。
「あァ!? 怒るんなら自国のセキュリティの甘々さ加減に怒りやがれ!
ほらどうした!? この女の状況が分かってんのか!? 言うこと聞かなけりゃ殺す! コイツも抹殺対象だからな!
だが、大人しく俺達に従えば、助けてやらねぇこともねぇぜ? キヒヒッ!
まずユウキというガキ、その《剣》で首を斬って自害しやがれ! 女の命が惜しくねぇのかよ!?」
大柄な男はそう叫ぶと、2人揃ってヘラヘラと笑い出す。
「………………」
ユウキは希望を絶たれた__
震えながら生気のない瞳で、振り翳した《高速射撃の剣》をゆっくりと下ろし、相手の意のままに刃を首筋へ当ててしまう。
「オイ! ユウキ何してる……? お前ともあろう者が冷静になれ……! 分かるはずだ……! 連中がリリーナを助けるかよ……騙して2人共殺す気だぞ……!」
キルトは小声でユウキに訴えかけたが、彼は……
「うるせぇ黙ってろ…… リリーナが目の前で死にかけてんだ…… 他にどうしろってんだよ……? 首1つなんざくれてやる……! 俺はリリーナを……」
独りでボソボソ呟くように、ユウキは彼の言葉を拒絶する。
自我を奪われ、人形と化したかのように、ユウキは震える手で、首筋の刃を押さえ切り落とそうとする。
「……やめろユウキ!!」
必死にキルトが静止させるも、ユウキは手を止めようとしない。ほんの微かだが、ゆっくりと確実に首の肉に刃が食い込んでいる。
そんな光景を見て楽しいのか、2人の男達は愉悦に浸った笑顔で嘲笑う。
「……あの下衆野郎共が! 瀕死で動けない女子を人質に取るなど、人間の血が通っていないのか!?」
「オイうるせぇぞ! そこの緑髪のクソガキ! 聞こえなかったのか? この女は抹殺対象だ!! 元々慈悲もクソもありゃしねぇ!
それをユウキの首1つで助けてやるっつってんだ! 慈悲と思え! お前もガタガタ言ってると、この女の首斬っちまうぞ!」
「……畜生ォ! 絶対に殺してやる……!」
胸の内で必死に堪えるも、キルトは湧き溢れる怒りで正気を失いそうだ。
「…………………」
絶望に打ちのめされたユウキは、ただ俯いたまま、首筋の刃を押さえて動かない。
その首筋からは、すでに血の雫が滴り落ちている。
(……待てよ!? そもそもリリーナの奴!)
__キルトはふと正気に返った瞬間、解せない疑問が脳裏から離れなくなる。
そもそも、あのリリーナが何故こうして人質に取られているのか……? ということだ。
しばらく首を捻って、キルトは考察する。
(アイツ……本当に意識はないのか……?)




