・迫り来る絶望(2)
「何をやっているんだろ……私………」
ラティファは虚ろな目で呟きながら、未だ故人アフメドの棺から離れられないでいた。
まるで心の奥底に大きな空洞を空けられたような絶望に打ちひしがれ、悲しむどころか思考や感情の働きさえもままならない。
それでは、いつまでも状況の打破へと導かれることはない。
その者を思っていた故人は、立ち上がって前へ進むのを望んでいるはずなのに__
死者への悲しみに堪えられず自らの道を閉ざすなど、その者を思う故人への度し難い冒涜であろう__
そんなこと、ラティファ自身が最も理解し痛感していたはずだった。
だが、もはや精神を自己で制御を失っていた。前を見つめる気力など尚更__
ラティファは、そんな脆い自身を激しく責めていた。
「ラティファ……お姉ちゃん……?」
司令室の扉から眩い光が射し、幼くあどけない少女の声が聞こえた。
気力を振り絞って振り返れば、そこではミーナが、今にもぐずりそうな不安顔で、こちらを見つめている。
「ミーナ…悪いけど……今はあんたに構ってあげられる元気は無いの……ごめんね……こんな情けないお姉ちゃんでさ……」
まるで廃人のような無表情でぴしゃりと言ってやるや否や、ミーナは突進するように彼女の元へ向かい、その背中にぶつかるように抱きついた。
「わかる……! ミーナ……わかるよ……! お姉ちゃんの……悲しいの……! だって……! ママが死んじゃったとき……悲しかった……!ママと離れたくなかった……! ミーナも……ひぐっ……一緒……に……!」
「ミーナ……ダメだよ……? そんなこと言ったら……お婆ちゃんが悲しむよ……? 私達は……死んじゃった人の分まで……! 強く……! 生きて……!」
溢れんばかりの涙を零しながら、ラティファとミーナは、暫くの間、お互いの深い悲しみを洗い流すように泣き続けた。
「ラティファ姉ちゃん…… やっぱりいたんだな……!」
入口の方から、幼い少年らしき声が聞こえた。
慌てて涙を拭って振り向くと、地下豪の子供達が入口に集まって覗いていた。
「みんなでラティファ姉ちゃんと一緒にいたかったんだ……これでもう……最後の時間になるからさ……」
「最……後……?」
ラティファが目をカッと開いて驚いたが、ミーナもまた、彼らの後に続いて言った。
「うん……これで最後だね……? ラティファお姉ちゃん……」
違和感があった。さっきまで泣いていた様子とは打って変わり、落ち着いて全てを受け入れたような声。
「一体何……? 何の話をしてるの……!? お願い教えてよ……!!」
「……聞かされてないんだね……? よかったら集会場においでよ……みんな会いたがってるよ……?」
子供達は、混乱するラティファの疑問に誰1人として即答せず、ただ彼女を外へ導くように司令室を後にした。
◇◇◇◇◇
子供達の後を追って、ラティファとミーナは地下豪の大広間である集会場へと赴いていた。
地下の避難民達が公共の場として利用するそこには、老若男女全ての避難民の他、外で見張り等を行っていた筈の兵士達までもが、一斉にこの場へと集結していた。
「おぉラティファ……もう大丈夫かい……? 少しは落ち着いたかい……?」
1人の夫人がラティファを見るなり、気が気でないような表情で彼女を案じる。
「えぇ…すみません。もう大丈夫です。ミーナや子供達に少し勇勇気づけられましたし、これ以上うずくまっていては、アフメドの父に怒られます……」
やはり気は滅入るものの、ラティファは自身を気遣ってれた女性に感謝の意を込めて、無理な作り笑顔ですこし微笑んだ。
幼少時からラティファを知る一部の避難民は、そんな彼女の顔に、すこし安堵のため息を漏らす。
まだ立ち直れていないと一目でわかるものの、彼女の顔と声が見られたことに少し安心ができたのだろう。
「そうかい……? お前さんは強いんだねぇ……あんま無理するんじゃないよ……? そう顔に書いてあるんだから……」
「ありがとうございます……ところで……? その………?」
ラティファの表情から、作り笑顔は即座に消えた。
寧ろ、民衆の異様なまでに引きつった笑顔、厳重な警戒態勢を解いてこの場に集う兵士達、そして何か希望を捨てたような皆の重々しい雰囲気に、ラティファは違和感を覚えるしかなかった。
「これって……何の集まり何ですか……? 重大な作戦会議とは思えないですし……そもそも……私達兵士は……皆を守るために……周囲の偵察に行くべきでは……」
ラティファがそう口にした瞬間、ついに民衆達の目から生気は失われた。
「もうそれらは行わない……やる意味が無いことが判明したからだ……!」
そう背後からぴしゃりとそう告げたのは、〈自由軍〉の部隊長だ。名をゾノという。
生真面目かつ辣腕と評される部隊長であり、イザールの片腕として彼や部下達からも厚く信頼される程の男だが、そんな彼が何故そのような言葉を口にするのか。
「部隊長……どういうことですか……? 皆を守ることを諦めろと……? 貴方程の方が……どうしてそんな無責任な事を……!」
「ラティファ……私の言葉に対する君の気持ちは痛いほど分かる……! 私とてこんな決断など自分でも許せんよ……しかしだなぁ……」
部隊長ゾノは、何か怯えるようなか弱い目つきで、1台の旧型デジタルカメラをラティファに差し出した。
「ここには受け入れ難い現実が……免れることのない行く末が……全て写し出されていた……!もう私から言うことはない……お前の目で……この現実を見てみろ……!」
ゾノから差し出されたカメラを手に取り、ラティファは中に保存されたデータフォルダ確認する。
「………な………何………こ………れ…………?」
ラティファが目にしたその写真は、まさに天より理不尽に突きつけられた絶望の神託であった。
それは〈旧政府軍〉の絶大的な全戦力__
荒野を埋め尽くす無数の重装甲車、大型戦車、武装車、兵を乗せた輸送車両__
低空を蜂の群のように飛び交う幾台の戦闘機と武装ヘリ__
さらには、旧時代に開発が見送られた人型機動兵器らしき機体までもが少数見られる。
その背後に写り込むは、怪しく巨大な黒き影__
実体は把握できないが、恐らくは我々の知らない未確認機動兵器__
圧倒的なる軍事力による暴力、殺戮、残忍な所業。
そして最後に、全てを諦めろと告げる決定的な事実が、その写真には記されていた。
「この……兵器……全て……《ギルソード》なの……?」
数枚の画像に写された全種類の戦車、武装ヘリ、人型機動兵器、さらには一兵士が携帯する機関銃などの武器。
1つ1つをよく見ると、その全ての周囲真っ赤に煌めく異様な発光粒子が纏わりついている。
色も輝き方も全てが人工的なそれ、その正体を既に目視で認知からこそ、その正体は《ナノマシン》であると、写る兵器全てが《ギルソード》の類であると、その結論以外に一体何が考えられるというのか。
「そん……な……じゃあ……私達が……持っている《ギルソード》の数じゃあ……」
「無理に決まってる。我々が最終兵器だと思っていたヤツを、向こうは当たり前のように大量投入してきやがった。ただでさえ戦力の差など歴然だというのに……
どの道この進軍からして……奴らは我々の拠点はとっくに把握している……見せしめに俺達を殲滅しようという魂胆だな……」
「……いや……だ……そん……な……」
次第にラティファの声と呼吸は、恐怖と絶望に精神を蝕まれ、徐々に声と眼と手足の震えが酷くなっていく。
「なぁどうする!? 奴らから逃げるか……?」
「だが逃げたところで、逃げ切れることは不可能だ……!
捕まって殺されりゃそれまでだが、逃げ延びるための食料や水なんざ蓄えちゃいねぇ!
明日の食い物さえ困ってる有様なんだ……! 野垂れ死ぬのが目に見えてる……!」
「いや! 俺達は我慢ならねぇ! どうせ殺されるんなら……!
〈自由軍〉の兵士として……! 1人2人は道連れにしてやりてぇよ……!
そしたら『向こう』へ逝った司令官にも!少しはいい報告ができるだろ!?」
「もういいよ……俺達市民は戦う術も逃げる気力もありゃしねぇ……最期の時間くらい……愛する妻と娘と……共に過ごすよ……」
どの道、生き延びるという在るべき可能性が絶たれたのだ。
そう悟った民衆は、最期の時を覚悟し、各々の決意や胸の内を互いにぶつけ合っていく。
「諸君……! まずは落ち着いて聞いてくれたまえ。
こうなった以上、最早我々が立ち上がり、状況を打破できる可能性など1ミリもなくなった。抗えたとしても皆殺しは免れん。だから無理強いはしない。
意を決して自害するもよし、無に等しい可能性に掛けて逃げ出すもよし、敵に立ち向かって玉砕するもよし。
最期の時くらいは、各々の決断に任せるとする。
それでいいな?」
部隊長ゾノは、悟りを開いたような表情でそう語った__
「それでいいな……?ラティファ……」
ゾノの問いに、ラティファは黙して答えなかった。
死骸のような虚ろの目で俯き、言葉どころか呼吸も聞こえない程に硬直して微動だにしない。
「……各自解散! 悔いのない一時を過ごしてくれ。『向こう』で会おう……!」
ゾノの一言によって、最期の決意を抱いた民々は解散した。
彼は去り際にもう一度ラティファに目をやったが、全く反応どころか生気さえ見られない彼女に対し、哀れみの溜め息をついてその場を去った。
「お前等……どうする……?」
「どうって………どうせ最期の一時なんだ……放っておいてくれ……」
「……貴方……今は離れないで……! 私と娘と……一緒にいて……」
「ママ……天国に逝っても……一緒にいれるよね……」
死の絶望に心を砕かれ、啜り泣く民衆の声が、静かに地下壕を響かせる。
「……ラティファお姉ちゃん………」
ミーナは、再度ラティファに寄り添い、その小さな両手をそっと彼女の左腕に差し伸べて抱き寄せようとした刹那。
バシッ……
と、無情にも幼い両手は、彼女の左腕に容易く振り払われた__
「……ひっ!? お………姉………ちゃん……?」
驚き怖がると同時に、拒絶されて傷ついたミーナは、涙の溢れる目でラティファの背後を見続けた。
しかし、絶望と失意に打ち砕かれた少女兵に、誰の声も届く事はない。
涙を流す幼き子供に目をくれることも無く、再び閉鎖された司令室へと篭もるように、その姿は暗闇の中へと消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇




