第7章 シチリアを覆う闇(1)
登場人物紹介(追加分)
ロゼッタ=ヴィヴァルディ(14歳)
ロゼッタの友人で、かつてシチリアに存在した三大勢力ファミリー〈ヴィヴァルディ=ファミリー〉の令嬢。
現在ファミリーは巨大な抗争によって壊滅し、両親である頭領と夫人は惨殺され、彼女自身も一晩中の暴行の末、左足を失う重傷を負っている。
現在はロザリアに助けられ、ヴットーリオ邸の裏のスラム街で細々と暮らしている。
町外れの屋敷、ヴィットーリオ邸で迎える朝は、とても涼しくて気分が癒される__
高台に建っているからか、宿泊部屋の窓からは清涼なそよ風が通って心地良い。
外を見渡せば、パレルモの街並みとシチリア沿岸の海景色を一望できる。心が洗われそうな絶景だ。
屋敷で一泊していたユウキは、昨日の昼と同じ格好をして、使用人に招かれながら食堂に入ると、立派に黒いスーツを着用したマフィアの令嬢、ロザリア=ヴィットーリオが、すでに朝食を食べ始めていた。
「遅かったわね、寝坊助さん。昨夜はちゃんと自分のベッドで眠れたかしら?」
「寝坊助って、まだ7時半だろ。まぁ、お陰様でで気持ちよく眠れたよ。故郷のクサレ縁が長電話かましやがったから、寝るの遅かったけどな」
ユウキは愚痴を垂れながら席に座ると、香ばしいカプチーノ、ジャムトースト、スクランブルエッグとサラダの乗った器で、テーブルの上は、優しい香りを豊かな彩りを広げている。
「あっ悪いけどさ、今日はアンタにつき合ってほしい所があんのよ。食事が終わったら、出掛ける準備してよね?」
唐突なロザリアの発言に、ユウキは口へ運ぼうとしたマグカップを、思わず乱暴に受け皿へ戻す。
「いや、ちょっと待ってくれ!アンタには昨日話したと思うが、俺は俺で、この島での仕事があるんだからな? そんな勝手に……」
「少しは手を貸すと言ったら……? 事情はどうあれ、アンタの目的は、1人じゃ死ぬほど難儀するわよ?」
ロザリアの強気な姿勢に、しかめっ面を見せて対抗するも、確かに今必要なのは、結局はマフィアの情報と信頼である。
本来なら、今日は使用人達の目を盗んで、屋敷を隅から隅まで調べる予定だったが、そんなリスクの高い行動をとるよりは、彼女に対して徹底的に恩を売り、協力関係を築く方がまだ安全だ。
絶対的な条件は、自身の探し物を彼女に知られてはならない事だが……
「オーライ、分かったよ! 後で協力を要請するから、いくらでもお付き合いするぜ!」
「オッケィ~! 褒美は考えておくからねぇ~♪」
急に気分が良くなった彼女をよそに、面倒事がまた増えたと、ユウキは溜め息をついて食事をする。
そういえば、彼女は歩くのは平気なのだろうか……
足と肩に怪我を負っていたはずでは……?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……ったく! コイツは面倒事だぜ……!」
「いいじゃないの! 屋敷の裏口から徒歩5分程度よ!? 1キロや2キロおぶっていけって言ってるワケじゃないんだから!!」
気がつけば、ユウキは背中に負傷したロザリアをおぶって、足場の悪い森林の道を歩くはめになっていた。
負傷しているとはいえ、本人はユウキの背中から、速く歩けだの足下注意しろだのと好き勝手に騒ぐ上に、一体何を入れているのか、その小さな背中に、大きく重いリュックサックまで背負っている。
「ていうかお前……! 歩くのしんどいなら、せめて車椅子とか乗っとけよ! まさか屋敷に1台も無いこたぁないだろ! つーか荷物重い!」
「車椅子? あるけど赤く錆びて臭いし、もう骨董品状態で使い物にならないわよ。っていうか! こんな不安定な草木の道で車椅子とかは無理でしょ……!」
「人に重労働させるよりはマシだと思うんだがな……! てか、一体どこに向かってんだ? こんな町外れの山道の奥に何かあるのか?」
ユウキが嫌味を漏らすついでに訪ねると、ロザリアは重い雰囲気で静かに答える。
「………スラム街よ、友達が一人で暮らしてるの」
「………友達?」
「行けば分かるわよ…… そして私がマフィアを嫌いになった理由もね……」
彼女の返答に、ユウキはひとまず「ふぅん?」と頷いて、山林の道を黙々と歩いていった__
◇◇◇◇◇◇
凸凹とした山道を歩くこと5分程度、言われたとおり、腐った木で造られた掘っ建て小屋の集落に辿り着いた。
街という規模とは程遠い、村程度の広さだ。
しかし、その荒廃した景観や悪臭こそ、まさに貧民街と呼ぶのに相応しい姿がそこ存在する__
パレルモの都心部から離れているが、ヴィットーリオ邸の丘からは、丘を降りるだけの近い場所だ。
とはいえ、こんなマフィア様の屋敷の付近に、よく住民達は住めるものだ__
「降ろして。この先は案内するから」
ロザリアの指示で、ユウキはそっと屈んで下ろすと、目的の家が一目で分かるらしく、すいすいとスラム街を進んでいく。
また鎮痛剤を飲んで誤魔化しているのか、片足を若干ひきつっている。
幾多もある似たような小屋の中で、スラム街の中央に位置するそれを迷わず見つけ、ロザリアは扉を叩く。
「ロゼッタ〜! 久しぶり! 私よ! ロザリア=ヴィットーリオよ!」
住人を呼ぶ彼女の声は、正直マフィアの令嬢様とは思えない程に、明るく純粋で、年頃の女の子その物の声だった。
「おはようロザっち…… 来てくれて嬉しいよ……」
少女らしき者の小さくか細い声と共に、小さな扉が軋む音を立ててそっと開く。
2人を出迎えたのは、小柄な茶髪の少女だった__
ロザリアと同い年らしき少女ではあるが、高貴なマフィアの令嬢様の友達とは思えない程に、その姿はみすぼらしかった。
ぼろ切れのようなワンピースを身に纏い、痩せ細った身体は古傷で覆われ、小枝のような手足や、骨の浮きが目立つ胸元は、幾多の火傷や切り傷の痕が刻まれている。
さらに足元に目をやると、左足の膝から下は、木製の『義足』が付けられており、その姿は見るに耐えない程に痛々しい__
「ええっと、お客さん……ですか? その……ロザっちの……」
少女はユウキの顔を見るなり、少々警戒し怖がってしまう。
だが、ロザリアが「いいのよ、コイツは召使いだと思っといて」と間髪入れずに言ったことで、少女も気を許したのか、不器用な笑顔で彼を招き入れた。
無論、ロザリアの台詞に、ユウキが若干を浮かべた事は省略する__
約四畳半程しかない部屋の中は、湿気って足の折れた木製のテーブルと2つの長椅子、蛇口と竈しかない台所と、煤けた本が並んだ本棚以外、特に何もない。
少女が1人で住むには、あまりにも寂しくて不憫な所だ__
「あれ? ロザっち……怪我してる? 包帯がすごく痛々しいよ……薬はいる?」
「あ~大丈夫大丈夫! アンタの古傷に比べたら、かすり傷みたいなもんよ!
それより、大好きなショコラケーキ持ってきたのよ。本当は中心街の美味しいお店で買いたかったけどね。
後は食料や雑貨品とか、そろそろ欲しくなりそうなものも、持ってきたわよ!」
「わぁ…… ロザっちありがとう!」
「ふふっ、こんなのお安い御用よ♪」
少女達の水入らずな会話を邪魔しては悪いので、ユウキは退屈しのぎに辺りを見渡した。
すると彼は、壊れかけた本棚の上に飾られた、1枚の写真立てに目を止める。
表面のひび割れが酷く、顔や身体の一部がよく見えなかったが、そこに写っているのは、どうやら在りし日の3家族の集合写真のようだ。
幼い少女2人が、無邪気な笑顔でピースサインをカメラ目線に送り、隣には少年が不機嫌な仏頂面で、少女達とは2歩ほど離れた位置に立ち、気をつけの姿勢をとっている。
後ろには、子供達3人の両親が凛とした姿勢で撮影に臨んでいるが、その表情は3組それぞれ違っていた。
中央の1組はまるで国の主のような堂々とした強面を、右側の一組は2人して悪魔のような恐ろしい形相を、左側は良き紳士と婦人のような、暖かく優美な笑顔を見せている。
中でもユウキが魅入られたのは、仲睦まじく楽しげに写っていた2人の少女が、明らかにロザリアとこの家の少女の面影がはっきりと見られたことだ。
一体、これはいつ撮影された写真なのだろうか。
「すみません……初めてのお客さんに……来てもらっているのに……私ったら……何も用意してなくて……この前もらったお茶の葉がありますから……すぐに出しますね……」
少女が、棚の前で棒立ちしているユウキを見て、もじもじと申し訳なく声をかける。
心配りが利いていて、褒められる程に優しい子だろう。
「いや、気を使わなくていいよ。こっちこそ悪いな。余所者が押し掛けてきたみたいで。あっ俺のことはユウキって呼んで!」
「あっ…… ご丁寧にありがとうございます…… 私はロゼッタ=ヴッヴァルディっていいます…… ロゼッタで結構ですから……」
「あぁ、よろしく。ところで、これ昔の写真だよな。ロザリアも写ってるし……?」
ユウキは、本棚の写真が気になって、勢いで聞いてしまった。
その瞬間、明るかったロザリアの表情は、気に障ったような不機嫌な表情に変わり果てる。この写真の件には触れたくなかったのだろうか。
「ロザっち…… ごめん…… その写真…… 私が飾りたいから飾ってるの………」
ロゼッタは、彼女の顔を見て察したのか、機嫌を損ねたロザリアを宥めると、ユウキのいる本棚に向かい、写真を手に取った。
そして、先程のたじろぐような素振りを見せることなく、落ち着いた物腰で語り始める__
「これ、思い出の写真なんです。もう7年くらい前かなぁ、私達のパパとママが集まって、仲良くご飯を食べたの。凄く楽しかった思い出で……
真ん中の楽しそうな2人は、私とロザっち、淵に立ってる男の子はローツェっていう子、そのすぐ後ろに居るのが、私達のパパとママ……」
ロゼッタが優しい表情で語っていると、横で座っていたロザリアが、そっぽを向きながら、ぶっきらぼうな口調で会話に入る。
「まだ親同士が仲良くしてた頃だったわねぇ。私達はマフィアという泥沼のような社会で育ってきたけど、それでも私とロゼッタは年相応の少女のように、オママゴトとかやって遊んでたわ……」
「へぇ? 昔から仲良かったのねぇアンタら……ん? ……ってことは…… まさかロゼッタは…… 元はロザリアと同じ……」
ユウキは、その写真から少女達に対する、ある疑問が生まれる。いや、その疑問は最早確信に変わっていた。
「あら、やっぱ気づいたわよね……? そうよ! ロゼッタは昔……マフィアの令嬢だったのよ……!」
ロザリアは肘をついて、ふてぶてしく答える__
どういう事か。この島の権力者の子供として育ったというのに、どうして互いの境遇がこれほど違ってしまっているのだろう。
彼女は、まるで過去を恨みを蒸し返すかのような表情で、淡々と語る__
「その頃はね、シチリア島は3つのファミリーによって統治されていたの。
私の家でシチリア随一の勢力である〈ヴィットーリオ=ファミリー〉__
現在の第二勢力、〈ヴェルニーニ=ファミリー〉__
そして勝手の3番目の勢力、〈ヴィヴァルディ=ファミリー〉__
この3ファミリーは、互いに勢力争いは行っていたけど、その後、共に『血の掟』の下に停戦協定を結んで、シチリア島の近郊と平穏を保っていたの。
あくまで停戦だけで、実際は裏で互いの出し抜き合いはしてたらしいけどね。
でも、それは大人の事情で、私たち子供はそれと関係なく友達でいた。たまにローツェっていう男も、寂しそうだから一緒に遊んでやってたわね。
たまに粋がったチンピラに襲われて、危ない目にも遭ってきたけど、将来はお互いに、その家のファミリーを背負って生きていくんだなって思ってたわ……
………パパ達があんなことしなければ……!!」
「おいロザリア……お前……今何て言った……?」
思いもよらないロザリアの一言に、ユウキは耳を疑った__