第39章 救えぬ現実、汚れた理想(1)
♢♢♢♢♢
(………………!!)
__硝煙の雲が立ち昇る中、
リリーナは独り呆然と、無傷で綺麗な福祉施設『翡翠の園』のビルを眺めていた。
その顔に活気や安堵の表情は一切なく、まるで入院していた時のように暗く、青ざめたようなそれ。
「おい……どうしたリリーナ? 深刻な顔して……!?
やっぱり身体が本調子じゃねぇのか……!?」
「……いや、私は大丈夫。ただ……シェリーが……」
「へっ? シェリーがどうしたって?」
不思議そうに聞き返すユウキだが、リリーナはそれをよそに、正面の建物『翡翠の園』を見続けたまま、
そこを目掛けて一心に歩を進める__
(何だろう……この違和感? シェリー……貴女はどこにいるの? 教えて!! 私の《覚醒瞳!!)
リリーナの瞳は再び、紅色に煌めく《粒子器発動の覚醒瞳》に変化した。
通常は《ギルソード》使用時に強制的に現れる《覚醒瞳》ではあるが、距離50km内のあらゆる《ナノマシン》を透視・察知できるその眼は、誰かを探す際も役に立つ。
(あシェリーが《ギルソード使い》だから、彼女の輝きを辿って居場所がわかる……!
……っ? あそこは、あの子の部屋かな? )
リリーナは、傷1つ無く聳える建物『翡翠の園』の、地上90m程の中階層を見やった。
彼女の瞳は、その地点にシェリーが放つ淡藤色の《ナノマシン》の光を透視できている。
この時点で、シェリーは無事に生存していると、リリーナは確信を得た。
__しかし、胸の内の不安感は消えなかった。
その光の動きは、本人の動作をも表す。
彼女の見る限り、そこで微動だにしていない。
さらには観測上、その輝きも何故だか弱々しい。
「…………………!」
「ちょ……リリーナ!? 待てって!? さっきから様子が変だぞ!? 何か異変でも起きたってのか!?」
状況が理解できず、リリーナを呼び止めるユウキだが、リリーナには聞こえれど、意識に届いていない。
ただ蒼白とした顔のまま__
目の前の高層ビル『翡翠の園』の中階層に目を留めては、中央玄関へと走り抜ける。
ユウキをはじめ、ヴィクトリアやルフィールから見たリリーナの後姿は、すぐに遠くなっていった。
「あれ? えっ? どうしちゃったのよリリーナ……?
もう敵のテロリスト達は制圧したし、もう慌てる要素は何も無いんじゃあ……?」
「__なら、行かせてあげなさいよ。あの子にしか持ってない考えと感性で動いてるんでしょう?
ほら、こっちの仕事に集中なさいよ。
まず捕縛したこの連中、さっさと護送車に乗せて!」
「えぇ?分かったわよ!やればいいんでしょ!?
でも……放っとけないのよねぇ〜!
リリーナのあの顔、また独りで何か抱えて……」
ルフィールに促され、事件の後始末に追われるも、
不安な顔で走り去っていくリリーナの後姿を、ヴィクトリアは見過ごせず、目で追いかけていた。
__だが、その心境を誰よりも抱いているだろう。
真っ先にリリーナを追ったのは、ユウキだった。
「悪いなキルト、ヴィクトリア、ルフィール。 ここの仕事は任せるぜ。アイツの様子を見てくる!」
「あぁ分かった、何かと忙しいなお前達は__ 」
キルトの軽い冗談すら耳に入らず__
ユウキはただ彼女だけを追って、同じ『翡翠の園』の中央ロビーへと向かっていく。
「シェリー……! シェリー………!!」
ロビーまでの道中、リリーナはいつの間にか無我夢中になって走り出していた。
戦闘で荒れ果て、罅割れた石造りの街道を駆け抜けると、
ようやくロビーの自動ゲート前に辿り着いた__
◇◇◇◇◇
軍立病院から大通りの向かい側には地上280m程と高く聳える、翡翠色の高層住宅型ビルが聳え建つ。
特別福祉支援施設『翡翠の園』__
他の地上400m級ビル群よりは目立たないものの、一際異彩を放つ翡翠色の外観は、鉄筋のビル群に隠れた泉のようである。
案の定、軍用の戦闘車両に囲まれているロータリーを過ぎて、リリーナは中央ロビーへと飛び入った。
「はァ……はァ……ここが『翡翠の園』……?」
長らく全力疾走していなかったリリーナは、呼吸が荒いまま、施設の中央受付へと歩き続けていた。
本調子に戻ったものの、病み上がりは嫌なものだ。
通常は大した運動でもないのに、少しの間動かなっただけで、甘えた基礎体力が低下するのだから。
呼吸を整えつつ、リリーナは一度辺りを見渡す。
フロアに浮上する、案内用の3Dディスプレイ。
配膳及び介護に徹する移動式AI制御ロボット。
高い天井と大きな総合受付カウンター。
この辺りの設備や構造は、軍立病院と共通しているが、周囲の景観は別世界の如く相違で溢れていた。
広い中央玄関を囲む、若草色の巨大なステンドグラスには、聖母と天使の肖像が描かれている。
その景観の神々しさたるや、教会や大聖堂のそれ。
また、通路を往来する自動機械に紛れて、大型犬や小動物、多くの動物達が、公共施設を闊歩している。
病院、福祉施設、軍技術__
そんな人間の概念を忘れさせ、ここでは同じ生命が種別を超え、互いに手を取り合って、この楽園で生きているかのようだった。
(……不思議、まるで絵本の世界みたい……)
驚く程に温かな光景__
リリーナは衝撃を受けつつも、肝心なる情報、シェリーの居場所はどこなのか、
手掛かりを探るべく、総合受付へ歩いていくと__
「おぉ? オイ野郎共! アイツはリリーナじゃねぇか!? 久し振りだなオイ!」
正面から男子同級生の声、聞き覚えがある__
「えっ? あぁ……クラウス? 」
面食らって見やれば、黄色の学用ブレザーを着た白髪の男子生徒、クラウス=ドランセルが、陽気に笑って手を降っていた。
彼の周囲には、施設の警護のため、中央ロビーに待機していた学園の十数人生徒達が、一斉にリリーナの元へ集まって来る。
「本当に安心したよ、そういえば、退院が今日だって聞いていたな。ユウキは一緒じゃないのかい?」
もう1人、黒ブレザーを纏う同級生が顔を出す。
黒髪と眼鏡が目立つ物静かな生徒、
スタイン=アロノード__
そして彼に続いて、リリーナを知る男子や女子の同級生達が、彼女を案じて次々に集い寄ってくる。
「えっと……あのぉ! 心配してくれてありがとう!
後でお礼言うから、ごめんね!
今はどうしても、安否を知りたい人がいるの!
シェリーって女の子を知らないかな?
この施設で生活してるって聞いてるんだけど……!」
先を急いで焦るリリーナは、余裕のない目つきと曇った声で、周囲の学園生徒達に問いかけた。
彼女の慌てた表情を不思議に思いながらも、クラウスや周囲の学友達は、互いに情報を探し、手掛かりを確かめ合う。
「あぁシェリーちゃんだろ? 知らねぇワケねぇよ。
指令書に会った第一護衛対象だぞ! もう全部キルトから話は聞いてんだよ!なぁスタイン!」
「そう、彼女の部屋は28階の居住フロアだけど、今はそこから出ないように伝えてある。
面会は総合受付の了承が必要だが、スタッフは住居者の安全確保に追われている。何か急な用事でも?」
「……いや、ありがと……クラウス、スタイン……」
言葉では礼を伝えるも、リリーナは内心で困り果てて、その表情は引きつっていた。
胸の奥の不安が拭えない。気のせいなのか、直感が誠なのか。明確な説明も断定も難しい__
だが事があっては遅い。迷惑承知でも、強引にカウンターへ問い合わせ、面会しなければ気がすまない。
そう思い、リリーナ行動に移そうとした。
その瞬間、今度は背後から老婆の声__
「あら、シェリーさんへの面会ですか? それは良かったわ! 43階の第7居住フロアまで、お供しますよ?」
「っ!? レヴェリー先生!?」
声を聞くや否や、リリーナは慌てて振り返った。
年齢の経過を感じない、淑やかな声帯は、ついこの間まで非常に聞き馴染みがあったからだ。
振り向けば、その老婆はもう背後に立っていた。
軍医かつ技術者にして、〈翡翠の園〉の施設創設者
レヴェリー=シュリーマン__
170cm程の高身長、癖毛の白髪に尖った魔女鼻、白衣から覗く両腕両足の黒い義肢。
この老婆の存在感は周囲より群を抜いており、その容姿を見慣れない者も見慣れた者でも、一度はすれ違う際に振り返るという。
「……レヴェリー先生! 無事で何よりです! それで、あの子は! シェリーの部屋は43階なんですよね!?」
「えっ……えぇそうですけど? 何をそんなに焦って、一体何かありましたの? リリーナさん__?」
「えっと、それが……そのぉ………!」
シェリーの事実上保護者であるレヴェリーに、状況の説明を試みるも、いざ話すとなると言葉に困った。
そもそも自身が焦る理由__
それはシェリーの身体に何かあったのでは、という直感が走っているが故、事態に確証が取れていない。
そんな彼女の苦悶の表情を見るや否やか、
次にレヴェリーが発した言葉は、実に意外なもので、リリーナを驚かせた。
「いえ、愚問でしたわ。まずは私と共に、シェリーさんのお部屋へ急ぎましょう!
お部屋の鍵は私も持っているので、付いていらっしゃい。心優しき騎士の側近さん__! 」
「えっ……!? あの……ありがとうございます!!
本当に……すみません。私……どうしても不安で、でも理由をどう説明したらいいか……」
「何を仰りますの。分かりますよ?
誠実で、人の変化や起伏に敏感な貴女ですもの、その顔色には事情があるはず__!
それに、あの子の身体には、不安要素が多くあります。
まさか、とは思いますが__!
それを確かめに、私は急いで戻ってきたのです!」
「…………えっ? それって……?」
リリーナは困惑したが__
そう言ったレヴェリーの表情は、ただ何気ない落ち着いたそれで、口調も何気なくだった。
詳細を事細かく問いかけたくもなったが、
その老婆は、黙ってついて来いと言わんばかりに、黙って奥のエレベーターへと足を運んでいった。
リリーナはひっそりと奥歯を噛み締めるが、黙って歩を進めて、この者の背中についていくことにした。
♢♢♢
__また一連の様子を、学友のクラウスとスタインもまた、傍で静かに、冷静に見守っていた。
「まっ、複雑な事情を抱えてるってのは、傍らから理解はできるが、もどかしいやら水クセぇやら__!
そう思わねぇか? スタイン__?」
「言いたいことは分かるよ。手助けしたい気は山々だが、第三者の干渉はどこまで許されるのか……!
彼女と親しいヴィクトリアやルフィールなら、その判断は得意だろう。特にユウキときたら__!」
などと雑談を始めた矢先、背後から、そんなリリーナを追いかけていた者の声が突如響く。
「で? お前らは何してんだ? 外の警備とか見回りはどうしたよ? 今なら腐る程仕事転がってるぜ!」
「うぉ!? ユウキじゃねぇか!?
あんだよお前! 随分と帰りが予定より早ぇぞ!?」
学友2人が振り返った目の前には、リリーナを心配して後に続いていた、ユウキの姿があった。
いつも通りの、どこか投げやりな目つきな彼だが、
内の奥底で複雑に悩むような、そんな様子がこの時の表情から伺えた。
「どうしたの? リリーナなら、さっきの年配の方と上の階に行っちゃうよ。思い迷うことはあれど、
君だけは、とにかくリリーナの傍にいなよ」
「あぁ分かってるよ、ったく……!」
スタインに後押しされたユウキは、そうぼやきながら、ゆっくりとリリーナ達の後を追った。
◇◇◇◇◇
福祉支援施設〈翡翠の園〉28階、居住フロア__
無言のままに、リリーナとレヴェリーの2人はエレベーターを降りる。
シェリーが身体に抱える『不安要素』とは__
真相をレヴェリーに問いたくて仕方がないのだが、内なる疑問を赤裸々に吐き出すのは如何なものか、彼女は迷いに迷って、悶々としていた。
実際に、レヴェリーの表情を横目に覗けば、
先日は穏やかな表情だった彼女が、今は重く深刻そうなそれに変わり果てているのだから__
「……あの、すみません。シェリーの身体って……」
だが、聞かなければ力にはなれまい。そう思い、迷いを振り切って聞き出そうとした。
その時__
「セイバー? 一体どうしたのです!?」
「__へっ?」
レヴェリーの声に、慌てて前を見やると__
シェリーの忠犬であるセイバーが、高速で階段を駆け下りては、一目散に廊下の奥へ駆け出していった。
何かあったのだろうか__
即座にその姿は遠くなっていたが、その傍らに存在するはずの主人、少女シェリーの姿がそこにない。
そこにもう1人、少女の声がする__
「ちょ……待っ!何だアイツ〜! さっきは歩く元気も無かったのに……急に動きが俊敏になって……!」
上階のテラスから必死に追いかけたのだろう、
彼女の親友ラフィアスが、息を切らした疲労困憊の足取りで、ゆっくりと階段を降りてくる。
「ラフィアスさん、これは何が……?」
「ちょ……セイバーを追わなきゃ……! アイツ……シェリーの部屋に……!」
呼吸絶え絶えに、ラフィアスは懇願するが__
「___セイバー!」
終える直前、真っ先に走ったのはリリーナだった。
__2人が目で追いきれない、持ち前の俊敏さと運動能力で、全力疾走するセイバーを捉えて追跡する。
「ちょっ……廊下は走るものじゃありませんよ!?」
レヴェリーが注意するも、リリーナの姿はない。
その言葉は、傍にいたラフィアス以外の、誰の耳にも入らなかった。
__ただシェリーのことだけを思って、リリーナは全速力で駆け出した。