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冷凍冬眠槽

世界のかたどりと、あるいはパンについて

作者: gaia-73

       1.



 大学というのは海であり、人の満ち引きが潮の流れなのだという小説を、私は新入生歓迎フェスティバルで、「暇」という名の友人にそそのかされて読むことになった。その不定形な上に遠慮のない私の友人は実にしつこく、午後になるまで私の脇腹をつついて笑っていた。「紙上創作サークル」と題打たれたそのサークルの冊子にはそれなりに面白い作品もあり、この作品も悪くはなかった。しかし私は大学が海だというのは、学生の思い上がりにしか過ぎないと思う。

 大学は海ではなく、水槽に似ている。

 ここはやさしい水に満たされた、養殖場以外の何物でもない。――私は新入生研修合宿のころからそんな印象を持っていたから、なかなかどうして授業をやっている先生たちに対しても、真面目に向き合うのが難しかった。 

 私たちは果たしてプランクトンなのか、それともイワシやエビの群れなのか、あるいは与えられるエサによって、無理やり生来の黒い皮膚を赤く染められていく、哀れな商品としての鯛なのか。

 そんな心象だったから、私が総矢町風(そうや まちかぜ)教授と懇意になったのは、奇跡のようなものだったと思う。町風教授は推定では三十代(後半?)くらいの割と端整な顔立ちをした男性であり、文学部の教授であるというのに、彼の研究室には宇宙や鉱物に関する本ばかりが並んでいた。

「きみは存在感がないな」というのが、私に対する町風教授の最初の評価だった。なんて言い草だろうと、その時は思ったものである。

 なんといったって、そのとき私は授業終了後に提出する感想カードを、うんうん言いながら書いている間に帰ってしまった先生を追いかけて、彼の研究室のドアを叩いたところだったからだ。もちろん出来の悪い学生を温かく迎える義務なんて、先生方には無いわけなんだけども。

「……そういう先生だって、いつの間に教室からいなくなったのかと思うくらいには、存在感が無かったですよ」

 その時の私はよほど疲れていたのか、自覚した以上にムッとしたのか、いつもなら曖昧に笑ってお辞儀だけするところを、そんな棘のあるアイロニーで返してしまった。

 そういう無自覚の悪意を撒き散らしてしまうところが、私の悪い癖なのかもしれない。ただその時ばかりは、そんなことを考えるきっかけはなかったのだが。

「……まぁどちらにせよ僕は、存在感のある人間なんて見たことがないがね」

 目線を窓の外に向けながら、顔の左側をくしゃっとしかめてそう言ったのが、町風教授の私への言い訳だと分かったのはそれからもっと、ずっと後になってからのことである。私はそれよりもまず、町風教授が「第三文芸部」の顧問だということを知ったのだった。何で第三なのかといえばそれまでに二度、文芸部は消滅したことがあるからだとか(一度目は戦前で、二度目は90年代らしい)。


 「……〝あらゆるものを征服する帝国があるとすれば、それは世界を呑み込む前に、己の牙によって自ら傷ついて、腐肉に虫が集まるように周囲から寄生されるだけの存在になるだろう〟――これは霧間誠一という作家の『虚空の帝国』という本の一節なんだが、なるほど世界という物はこういう帝国的で安定的な、固定的なものではないんだな。だからこういう見方からすれば君の言う「水槽」という表現よりも、その「海」という言い方の方が適切とも言えるね。しかし僕に言わせればどちらも違う――この大学を含めて全ての世界は曼荼羅のように折り重なっている生命の一部なのさ。曼荼羅だなんてまるで仏教徒みたいだが、たしかに僕の家は曹洞宗ということになってはいるがね……ああ、でも密教じゃないから関係ないのか……しかしこれはなかなか的を射た表現だから。

 ところでシュレーディンガーによれば「生命が原子に対してどうしてこんなにも大きくなければいけないのか、つまりどうして原子は我々にとってあんなにも小さいのか」という問いは、原子のランダムな運動において、平均から外れた動きをする粒子の頻度が、全体の個数の平方根に従うという原理から、「生命現象に必要な秩序の精度を上げるために必要」なのだという結論を導けるのだそうだ。これは「なぜ我々がこの宇宙、ひいてはこの多元宇宙においてこんなにも小さい必要があるのか?」という問いと、相似形になっているとは思わないか? こいつは確かに愚にもつかぬアナロジーかもしれないが、しかし単なる偶然としてしまっては浪漫がない――まぁ聞けって。だから言ってみれば大学は、膨大な数の個人が世界が宇宙が、そして全てのパラレルな世界線とが曼荼羅のように織りなす生命活動の、入れ子式に紡がれ合う《マトリョシカ》の一部なんだよ」


 教授は私から受け取った感想カードを見るや、いきなりそんな奇妙で奇天烈な、言ってみればプンプンカンプンなことを言ってきたのだった。同じ日本語でも先生の話しているのは「ニッポン語派」ではなく、「トヨアシハラ語派」なのかもしれないと疑ったほどであった。

 ちなみに町風教授の授業は「〝少年小説大系〟から読み解く近代日本の集団的無意識とそこに潜む欲望」というものであり、今回の感想カードの「お題」は、「世界とは何だと思うか、自らの読書体験に触れながら書け」というものであった。


「確かにこの考え方は、〝なんだ、じゃあ自分の人生もそういう巨大すぎる流れからしたら屑みたいなものじゃないか?〟〝俺の人生はつまり、生理現象として予め定められた機械の所作なのか。〟――そういう諦観を、助長するかもしれないんだな。社会的な弱者の、その奮起する気持ちを挫くかもしれない」


 ぽかんとしている私など、町風教授の眼中には無いようだった。


「しかしこう考えることも、できないだろうか? つまり世界がこんなにも広大である理由は、〝君が君自身の運命を、切り開いていくのを許すためだ〟という風に――」

 

 話し終えた町風教授は「?????」となっている私に文芸部の入部用紙を渡し、「じゃ、待ってるから」と言い残して手を振ってきた。

 はぁ、そうですか。

 ……失礼します。

 そして私は何も言えずに、そのとき彼の研究室を去ることになったのだった。



       2.



 『Yちゃん』のイニシャルは『W』である。

 ちなみに名前は『S』で始まる。出身は愛知県だから地元なのだが、彼女にはハンガリー人の血が入っているそうだ。髪は黒くて、目は薄い灰色。そしていつも目深にフードを被っているのが、彼女のトレードマークだった。

「――重い……」

 そして、いつも私の膝に座るのもトレード……マークではないがトレードだった。場所は食堂「緑楓館」の窓辺の席で、時刻は1時15分を回ったところ。今日の授業は午前中で終わりだったので、のんびりと食後を満喫しているのであった。

 空は晴れ渡り、一か月後には来るだろう梅雨に向けて今のうちに澄み渡っておこうとしているみたいに、太陽の光さえ柔らかく透き通っているような、それはそんなスンと爽やかな陽気だった。

 Yちゃんは細い。だけど私も同じくらい細いから、彼女の重さが私の脚を苛めてくる。でも身長はYちゃんの方が低いから、膝に座っている彼女の肩へと、私は顎を乗せることができた。フードにくるまれた彼女の頭は、ふわふわとしていてお花みたいにいい匂いがした。

 向かい側の席にはもう一人、友人である『ともとも』が座っている。こちらはいつもオシャレな鳥打帽を被っており、室内でも授業のとき以外は決して外さないというオトコマエな女性だった(棒タイとかが似合うタイプだ)。

「……それは、カイリが社会的弱者だって言ってるんだよ」

 鳥打帽――ハンチングと言った方がいいのかもしれない――の位置を調整しながら、『ともとも』がニヒルな感じで言った。

「そうだったのか!」

 私は即座に納得した。

 ともともはいつだって(大抵)正しいのである。

「じゃあ、文芸部に入ったら弱者じゃなくなるってこと?」

「そーだろ? ――いや知らんけど」

 なるほど、じゃあ入ろうかなと思った。

 ちなみに〝カイリ〟というのが私の名前だ。

 (くら)(すか) (かい)()、言いにくいとよく言われる。

 さっき買ったオレンジジュースを紙パックからストローで吸い上げながら、私はその合間に二人へと、サークルとかはもう決めた? とか訊いたりしていた。Yちゃんは占い同好会とボランティアサークルで、ともともはバンドをやるらしい。けっこう見た目通りだった。

 Yちゃんは頭脳派でその『ワイ』という呼び名も、『ワイズマン=賢者』から来ているとかいないとか(とはいえ高校時代の呼び名をそのまま引き継いでいるだけだから、この春に知り合った私としては『Y』のイメージの方が強かったりする)。

 そういえば『Y』といえばイットリウムの元素記号ではあるが、彼女はイットリウムではないのだった。

 当たり前だった。

 ゆるい雰囲気の中でいつの間にか『ともとも』は居眠りをはじめ、Yちゃんはタロットカードで占い的なことをやり始めていた。私はこういうとき、ひとのやっていることを見ているのが楽しみだ。何かを一所懸命やっている姿というのは、やっぱり眺めるだけで心が満たされると思う。

 だけど、やっぱり寂しいことだってあるのだ。

 年季の入ったタロットを扱っているYちゃんに、私は声を掛ける。なんてことの無い会話が始まる。おもしろい知り合いの話から、近所に出来た和菓子屋さんの話題。それからテレビの話をへて、どうしてかまた、町風教授のことが話題にあがった。

「でも、いったいあの先生なんなんだろ。セカイ系?」

「? その用語の意味はよく分からないけど、その先生って多分、今までにとてつもなく大きな挫折をしたことがあるんだと思うよ。――世界の広大さを語りたがる人は、自身の小ささを自覚してしまった人だけだから」

 Yちゃんは私の膝から降りて、隣の席に座った。

 私たちは向かい合って、それぞれを見つめ合う。Yちゃんの顔は、ただ口元しか見えなかった。

「わたしに言わせれば、世界は小麦粉のようなものかな」

「へぇ?」

「カイリはどうして小麦を、わざわざ粉に挽くのかその理由を知ってる?」

「えと、それはパンを作るからで……」

「そう――だけど、東洋ではお米をそのまま炊いて食べるのに、西洋では麦を粉にするのはなぜかしら?」

「うん……?」

 Yちゃんのこういう物言いは初めてで、私は立ち眩んだみたいに眩暈がした。前頭葉が怯えているんだと、私はどこか冷静にそう分析していた。

「――それはね、麦の実にはそれを包んでいる薄皮が、内部に食い込んでいるためよ。稲も麦も植物学的には同じイネ科ではあるけれど、稲の場合は収穫の後、乾燥してから穂を叩けば比較的簡単に(もみ)の中から玄米がとび出るわ。そしてそれをそのまま炊いても、問題にはならない」

 Yちゃんの目が、光の届かないフードの中でいったいどこにあるのか、だんだん分からなくなっていく。

「だけど、麦は違ったの。実際に炊いてみると分かるけど、すごく不味い。だから石と石の間ですりつぶして、粉にしてみた――すると粒の中身はつぶれて粉になるけど、薄皮の方は細かいぼろ切れになるだけだったから、(ふるい)にかければ簡単に分離することができた――」

 私はなんだか、自分が不思議の国のお茶会に参加しているような気がした。眠りネズミは起きなくて、ただ私ひとりだけが、マッドな帽子屋とうかれウサギの話を延々と聞いている、そんな小さなアリスの気分だ。

「――だから西洋において製粉水車が発達して、その技術が産業革命以降の機械文明の基礎を築いたというのは有名な話なんだけど、それはいいとしても、世界というのも同じようなものだったみたい。例えば『火』については、私たちは古代からそれを使っていた。けどそれが何であるのかについて分かったのは、ほんの数百年前だった。それは化学のおかげであって――つまり世界というのは、人間がそのまま理解するには、余計なものが食い込みすぎていた。……だから、人類は科学革命以降に世界をより細かく、どんどんすり潰していった」

 彼女の論議の中で、私の大脳新皮質が平泳ぎしていた。

 言い換えると、私は呆然としていた。

「もちろん、挽くだけじゃ世界は分からないみたいだったの。だからその麦の粒を、そのまま食べる人たちもいた。――あんまり、美味しくはなかったみたいだけど。だから彼らは〝文学者〟と呼ばれていて、苦い現実をそのまま味わおうとした、ある意味でのアウトローだった」

 彼女は首をすこし傾けながら、流れるように歌うように、自身の言葉を間断なく、最後まで走らせ終えた。

「そして、やがて科学は教育のシステムに反映されて、人々のモノの見方を決めていった。だからいま私たちの見ている世界というのは、ほとんどがそういう、挽かれた後の小麦の粉にすぎないのかもしれない」

「………………………………」

 私は、だけどあんまりよく分かっていなかった。

 何か返事をしないといけない、そう思って、私の舌が急いで焦って、空回りながら言葉を放った。

「じゃ、じゃあさ、その小麦粉で焼いたパンって、美味しいの?」

 それを聞いたYちゃんは、小さく「えっ」と呟いて、

「…………」と無言でしばらく困ってから、

「何それ? 美味しいも何も…――」

 そうゆっくりとした調子で言って、私を今度こそ諭そうと努めてきた。私はどうせ何回聞いても理解できないと分かっていたから、もう、さっきの問いかけをとっさに生み出した脳のシナプス回路(ロジカル・サーキット)に、引き続き舌を頼むことにしたのであった。

「あ、じゃ、じゃあさ。そういうパンがあったら、それってどういうものだと思う?」

 私のそんな問いに答えようとして、Yちゃんが首をくりくりとめぐらせたその弾みで、彼女の着ているパーカーのフードが頭からズレて外れ、彼女の無機質な印象を受けるくらいに綺麗な顔が、するりと露わになった。彼女の目は銀色に近くて、まるで水に濡れたプルトニウムみたいだと思った。周囲の人たちの視線が、速やかに彼女へと集まっていく。

 彼女はそれに気づかないくらいの集中した様子で、天井に目を向けながら口を開いた。

「……んー。世界の粉で出来た、そんな薄くて味気ないはずの生地が膨らんで、……景色が眩しくて、〝些細なことが大事件で、大事件は些細なことで〟それって―― 〝恋をしてる〟って、そういうことになるのかもしれない、かな」

    




        3.




 高校時代の制服は濃い紺のセーラー服で、襟は綺麗な赤銅色だった。この服の持つかなり怪しい雰囲気はきっと、見たことがある人にしかわからないに違いない。私たち女子はそれを密かに、〈暗黒公使(ダーク・ミニスター)〉と呼んでいた。

 〈暗黒公使(ダーク・ミニスター)〉は戦闘服だった。

 男子との戦闘で生き残るための。

 大げさだと思うかもしれないけど、でもそれが私たちの日常だった。

 男女比は七:三。

 私の高校は男女共学ではあったけど、土地柄なのか男子の比率がと異常に高く、理系のクラスなんて女子などクラスに二人いるかどうかだった。私は幸いにも文系だったが、しかし男子過多の趨勢にはやはり敵わなかったのである。

 彼らのもうしゃべることしゃべること!!

 まるで異次元から響いてくるように絶え間なく、オオウミガラスのようにさえずり続け、群れるのも大勢でかたまっていて、そのくせ決まって身を寄せ合うのは、四、五人のグループで固定していて、トイレくらい一人で行けばいいのに。

 でも普通こういう場合、女子も順応していくものだと思う。男子とも仲良くなって、やっていけるものだと思う。だけどダメだったのは、(そりゃ、もちろんまともな人だっていた。少数だったけど)幼稚だったんだろうなと思う。

 たぶん、男女両方が。

 教室では日常的に暴言が飛び交ったし、球技大会ではそれぞれの結果に対して罵り合った。

 私たちの脳髄は新奇な幻想に踊らされることもなく、ただ過去に感じた不快を繰り返して再生するだけのプロジェクターに過ぎず、その衝突心理の根拠は、最初から犬のいたずらみたいに不明瞭だった。私の高校生活はまさしく、瓶詰め地獄だったのである。


 しかし、けどやっぱり、いま通っている愛知粛匿大学は元が女子大(二十年くらい前までらしいけど)なだけあって、私としては女子力の勝利だった。

 昔から本は好きだったから国文学科を志望して、入れてよかったーと思っていたら、文芸表現学科(メディアプロセス)の方が授業が面白そうでなによりだった(反語的な表現)。 

 そしてもう一つ気付いたのは、私が好きだった本は『ダレン・シャン』とかの海外のヤングアダルト小説だった、ということだった。

 「うひょー」とか言いながら弾ける笑顔で走って追いかけてくる漱石の夢を、私は授業が始まって一週間くらいの間に三回も見た。

 漱石はボルト並みの超加速で地平線からみるみる近づいてきて、自転車で逃げる私をすぐに捕まえてしまうのだった(いつもそのあたりで目が覚めた)。

 一度などは漱石の隣に泉鏡花も並んでいた。

 超怖かったから起きた後、文庫の『こゝろ』と『夜叉ヶ池』の作者の写真にいたずら書きをしてみた。ふたりとも凄いイケメンになった。

 私はそんな状況の中で総矢教授と知り合い、これ読めこれ読めと色んな本を渡されることになった。大昔のやつもあれば昨日発売されたものもあった。薄いのもあれば鈍器みたいな体積のもあった。でも全部面白かった。しばらく経ったある日、ふと私は久方ぶりに漱石を手に取り、その面白さに気づいて涙を流した。私は国文学科にいてもいいんだと思った。うれしかった。

 町風教授は、ある水曜日、読了した私から今日(きょう)(どまり)亜蘭(あらん)の『我が月は緑』の下巻を受け取りながら「小説書いてみないか?」と言った。「はぁ、いいですけど」と答えた私は、リュックのポケットに入れたままだった入部用紙を思い出した。私はもう、気持ち的には入部したつもりでいた。

 そんなわけで、私は文才もないのに第三文芸部に入ることになり、なんだかよく分からないデタラメな文章をいくつか書くことになった。あんまりにもデタラメだったので、先輩たちに頭を一発ずつ叩かれてしまった。




       4.




 その階段をのぼるときには、いつだって古い旅館みたいな、頭の芯に響くじつにいい匂いがする。タイル張りの床から階段へ踏み込むと、足を踏み出すたびに平均よりかなり大きいゴム製のすべり止めが、私の踵をくにゅっと受け止めた。明かりは眩しく、目線は自然と下を向いた。

 『ともとも』に頼まれて「ちくさ正文館」を訪れたのは、五月も半ば頃のことだった。そこはJRと市営地下鉄のその両方の千種駅から、徒歩で1分くらいのところにある本屋であり、大抵の本はそこで手に入れることができた。

 階段を昇り終え、メニコンのある角を左へ曲がると、両側に大量のチラシやパンフレットが積んである廊下が、本屋の入り口のところまで2メートルくらい続いている。さっき感じた匂いは、もしかするとこれらの紙やインク、あるいは製本用のノリの匂いが醸しているのかもしれない。

 二、三歩進むと、積まれた新刊書に被ったビニール包装が、蛍光灯の光を反射していて、入口の脇にはまるで天界の魔導書でも並んでいるみたいに見えた。実際は崇高さが失調気味になった、人気の少年マンガばかりだったけど。

 私は〈漢検二級〉のテキストを求めて店の奥へ進む。

 それが『ともとも』の求めているアイテムだった。一ヵ月後くらいにそれを受験しなければならないのが、私たちに課せられたクエストである(うそである。ただのテストだった)。『ともとも』がお金を出し、私が買いに走り、『Yちゃん』が指導をする。もう、完璧なフォーメーションであった。

 ところで、テキストはどこに置いてあるのだろう?

 ここに来るのは半年ぶりなのである。

 奥には、大学受験用の教材しか置いていなかった。

 国公立に三つ落ちた私としてはあまり、見たくもないようなコーナーである。「英熟語」の文字を見るだけで、肋骨の内側から二十七匹のお茶目なサソリくんが体外へ進出ようと暴れ出してしまう。そのサソリは私が小学生のころから背骨の辺りに巣食っており、緊張するたびに体内を駆け回って私の胃や肺を苛んできた。そのサソリを殺す方法としては、前日からの断食以外にはあまり効果のあるものがなかったように思う。そういえば、ナウシカにはサソリが出てこなかったなぁと少し残念に思う私なのだが、王蟲の凛々しさに免じて許すことにしていた。

 さて、五分くらい店内を彷徨ったあと、店員さんに聞いてテキストを探し出すことに成功した私は、レジでお金を払ったあとも相変わらず店内をふらふらしていた。せっかく本屋へ来たのだから、楽しまずに帰るのは嫌だった。

 本屋というのは出会いの場だ。来るたびに新しい発見があると思う。例えば今私の目前には、『ガラスの仮面(ギャグ作品の方)』が今度は劇場アニメになる! というビラがあるし、また『クレヨンしんちゃん』に出てくるあの「アクション仮面」がリアルなヒーローものとして漫画連載を開始した! と表紙に宣伝した雑誌が創刊したりしていた(原作者が死んだからもうやりたい放題だな、と思った)。

 ところでこれは文庫本コーナーを見ていて感じたのだが、ここみたいに帯をすぐに外す本屋は潰れるべきだと思う。新刊書の価値は今じゃもう帯が付いていることしかないというのに、それをいったいどうしてすぐ外してしまうのだろう? 電子書籍への危機感はないのだろうか。古本屋なら○○円なのにと思うと、買う気が衰退していくし。

 ただ品揃えはいいから、結局つぶれたりしないのだろうなと思った。

 世の中は本質的に理不尽である。

「……………………」

 それはそうと、さっきから気になっていることがあった。

 三歩ほど左――そこは〈ハヤカワ文庫〉というレーベルなどが並んだ棚なのだが、その前に立っている人がどう見ても、町風教授なのである。

 びっくりだった。

 少し迷ったが、結局声を掛けることにした。

 ちょっとだけ顔がにやけた。

杈鴉(さが)アスカさん、か」と教授は私を見て言った。

「……そう、ですね」それはこの前、私の使ったペンネームだった。恥ずかしい。けっこう中二病。

 教授にとって私はどんな存在なんだろうと、ふと思った。

 私は時々、入学当時(とは言ってもまだひと月ほど前なのだが)と同じように、町を自転車で走っている夢を見ることがあった。前みたいに漱石が追いかけてくることはないけれど、逆に今度は私が追いかける側になっていた。そして、私の追いかけているのは、いつも町風教授なのである。


「――何で、先生は本屋に来るんですか?」

「本が僕を呼んでるから」

「おもしろい本を見つけるコツとかって、あったりします?」

「そんなもの、匂いで探すに決まってるだろう? 面白い本ってのはどこか惹かれる匂いがするものさ」

「犬ですか」

「人間なんてみんな犬みたいなものじゃないか?」

「そういう物言いやめてください」

「君だって似たようなこと、書いてたくせに……」

 せっかく会ったのだからと、私たちは一緒に店内を回った。私は三回目だったが、町風教授となら構わないと思った。

 ひとつ弁明しておくと私は、「人間なんてみんな犬だ」みたいなことを小説に書いた覚えはない。もう決してない。

 ただ私は登場人物を全員スーツ姿の犬にして、宇宙から侵略して襲ってきた魔法の柔道部員たちとの戦いを演じてもらっただけである(ヒロインだけエリマキトカゲだったけど)。最後には柔道部員たちの魔法が暴走し、宇宙柔道母艦〈ヴェルミセル〉は轟沈するというハッピーエンドだった。

(メルヒェンとSFの理想的な融合である)

 教授はいったい、何を読んでいたのだろうか?

 本当、失礼しちゃうよねぇ。

 私は教授の嗜好を探ろうと、彼が最近読んで面白かった小説について尋ねてみた。私の書いた話がその範囲へ入るかどうか、ちょっと知りたかったのである。

「うん? 舞城王太郎の『キミトピア』、皆川博子の『聖餐城』、ロベルト・ボラーニョの『2666』といったとこかな。そういえば森見登美彦も最近いいの出したんだよ。『聖なる……』何だったかな」

 うん、聞いても分からなかった。

 教授は、愛知粛匿大学の七不思議のひとつかもしれない。

「そういえば、先生はどうして私を文芸部へ入れたんです?」

 ふと思って尋ねてみた。実はいちばん大事な問いかもしれない。

「うん? いや、なんか、変わってたからな……」

 なんか失礼だった。ひどい。

「世界が生命だって言ってましたけど、あれは何だったんですか? ある子がそれを聞いて、先生は何か大きな挫折をしたことがあるんじゃないか、とか言ってましたけど……」

 それを聞いて教授は、やや表情を曇らせたようだった。

 皮肉気な笑みを浮かべながら、教授はゆっくりと口を開く。そのさまには何とも、悪戯を見つかった子供みたいな可愛さがあった。

「――、かつてアントン・チェーホフは〝世界はなにか巨大な怪物の、その歯の中にあるのかもしれぬ〟と言ったし、荘子は〝自分が胡蝶の見ている夢なのか、胡蝶が自分の見ている夢なのか、その区別はつけられない〟と言って世界の曖昧さを見事に突いた」

 コォオオオっという呼吸みたいな音を立てて、天井に据えられたクーラーが鳴いた。空気が掻き回され、皮膚にしなやかな流れを感じさせた。私はくしゃみが出そうになった。

 クーラーの風は階段のところで嗅いだ、あの何とも言えない好い匂いだった。

「だが誰も、〝ここじゃないどこか〟へは逃げられなかった」

 教授は腕を組んで、どこか遠くを見つめた。

「あらゆる帝国の皇帝も、一騎当千の猛者も、すべてを勝ち得た覇者さえも、誰一人としてそんな、曖昧であるはずの世界からは逃げられなかった」

 どこか寂しそうに、教授は話す。

 それは帰るところがもうないような、そんな雰囲気だった。

「たぶん、僕……というか俺は、しかしそういう世界ってモノが、存在していること自体にもう、意味があるんじゃないかと思いたいんだろう。――この世界があること自体には、この世界が生まれてしまったこと自体には、もしかしたら何の意味も無いのかもしれない。しかし、世界があり続けることにはもしかしたら、何か意味があるんじゃないかと……そう思いたいだけなのかもしれない」

 なんてな、と言って教授は笑った。

 何となく、教授はやさしい人なんだ、と思った。

 それからは文芸部の話になって、どうでもいい話に花が咲いたりした。

「みんなもっと『学園革命伝ミツルギ』みたいな話を書けばいいんだよ」

「だれが読むんですかそれ……」

「もしくは『悲鳴伝』みたいなのとかさ」

「誰が書けるんですか? それ……」

「そういえば『進撃の巨人』がおもしろすぎる――あれ観てると、『シドニアの騎士』がぬるく思えてくるもんなぁ」

「……ごめんなさい。わかんないですよ?」

 私たちは時間の過ぎるのも構わず、本を見て歩いた。

 そして、〈講談社文庫〉の前まで来たとき、不意に先生が立ち止まって言った。

「あ、これうちの女房が好きなやつだわ」

 水色の背表紙に手を掛けながら、教授は嬉しそうに私の方を向く。私は、心臓がトクンッと強く打つのを感じた。私は動揺していた。

「え? 先生、奥さんいらっしゃるんですか?!」

 何かが、私の中の何かが崩れたような気がした。肩甲骨の下あたりの、薄い筋繊維がピクピク痙攣していた。

 命短し、なんだったっけ?

 でも、だけど……、

「いや、実はいるよ。高校の同級生だった奴なんだけどな」

 教授のその言葉に、へ、へぇ~、と口では平静を装いながら、全然平静ではない私の身体だった。逆に心の方は冴え切って、余分な感情がどんどん消えていく。目線を本棚の方へ向けるとちょうど目に付く位置に、辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』が並んでいた。

 私には、教授の声がもうほとんど聞き取れなかった。頭がくらくらして、こめかみが痛い。血管を流れる血の音が頭いっぱいに広がって、私は教授に気付かれないように棚へ手をつき、倒れないように身体を支えた。

 教授は、私の様子が変わったことには気づいたが、深刻さを努めて隠蔽した私の笑顔によって、また本棚の方へ意識を戻した。教授は本を棚から抜き出してはパラパラ中身を見たりした。そして思い出したように、私に声を掛けてきた。


「そういえば君、最初のとき大学が水槽だとか書いてたよね」

「はい」

「あれは面白かったよ。とりあえず感想文としてはだけど」

「先生はやっぱり、「海」っていう言い方のが、正しいと思いますか?」

 私は背中の寒気と戦いながら、皮膚を泡立たせて教授へ訊いた。教授は首を振って、私に微笑む。「そんなことはないよ」という声が、後頭部に反響して頭痛を誘った。

 教授はこれからも変わらず教授で、でも、私はこれからも、

変わらず私でいられるのだろうか。「そもそも」と、教授は言葉を次いだ。

「――遥か地平線まで続く水槽があったらそれはもう海だし、ちっぽけな海があったとしても、それはもう水槽と変わらないんだ。月まで伸びたベンガルボダイジュがもう、木ではなく大地であるようにね……」

 教授が私を励ましてくれているのは理解できた。

 私は、もうどうすればいいのか、分からなかった。

 白っぽい蛍光灯は私の瞼を閉じさせるのに一役買い、紙袋の中の〈漢検二級〉のテキストは重さを増していた。スベスベした床は私の足を頼りなくして、エアコンの作動音がそれに追い打ちをかけるように響いてきた。

 私は先生の話す声を耳の奥に感じながら、胸の痛みに耐えていた。この想いはもう酸欠になってしまった。水槽の外にいきなり放り出されて、もう、助からない。

 ふとそのとき、私はどういう脈絡なのかわからないけど、脳裏に言葉が浮かんだ。


 ――世界が生命だというのなら、いつか、世界も死ぬのかもしれない。


 急に私は悲しくなった。

 私の目からは涙がこぼれ落ち、頬に生暖かい軌跡を描いて地面に向かうのを暗闇の中で感じながら、私はそれでも教授に背を向け、どうか早く涙が収まりますようにと、上を向いてきゅっと、奥歯を噛み締めていた。




    ◇    ◇    ◇




  憧れを知る者のみ、

  わが悩みを知らめ。

  喜びのすべてを離れ、

  ただ一人、

  われは青空の彼方を見つ。


   ―――ゲーテ〈ミニヨンに寄せて或る少女の歌える〉より



                      

 

 

 初出:『天然水』Vol.48 (2013年6月発行)

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