第一章⑦
朱澄の真っ赤なドレスが完成したのは午後六時を過ぎて、錦景の色合い、濃厚になった頃だった。
試着室で朱澄にドレスを着せて、細かい箇所を調節する。「苦しくない?」
「はい、」朱澄は答える。「全然」
モチコトと朱澄は試着室から出た。朱澄は鏡の前に移動し、生真面目な表情で、左右に僅かに揺れながら、自分の姿を確かめていた。
黒須は朱澄をじっと観察していた。少しイメージと違ったのか、それとも見とれているのか、彼女の気持ちまでは分からないけれど、黒須は不自然に黙り込んで、一度大きく息を吐いた。
「うわぁ、いいですねぇ、」黒須と実のならない話をしていたリリコが手のひらを合わせて朱澄に近づき鏡に映る彼女のドレス姿を見た。リリコは朱澄の肩に触り、その糸くずをとる。「主役みたいですよ、しゅ、や、く」
「意味が分からない、」朱澄は表情を変えずに素っ気なく言った。そして黒須の方に視線を向けた。朱澄は黒須を睨んでいるようにも見えし、その眼は自信に満ち溢れているように見えし、不安でどうにかなりそうな心境を隠しているようにも見えるし、とにかくモチコトには朱澄の気持ちが分からなかった。これほど気持ちが読めない女の子も珍しい。「会長、その、」朱澄は一度自分のつま先を見て顔を上げる。「こんな風になったけど……」
黒須はなぜか勢い良く、ソファから立ち上がった。黒須の声はひっくり返りそうだった。「……と、とっても可愛いよ、可愛すぎて、私、どうにかなりそうだよっ!」
「どうにかって、」朱澄は一度はにかんで、首を傾げた。頭の天辺で髪を緩く束ねた真っ黒なリボンがそれに連動して、揺れる。「どうなるの?」
「さあ、」黒須はゆっくりと首を横に振った。「どうなっちゃうんだろうね?」言って、黒須はモチコトの方を見て言う。黒須の瞳は潤んでいた。「もっちぃ、こんなに素敵なドレスをありがとう」
「いえ、そんな」モチコトはリリコの顎を触りながら、大きく息を吐き、黒須に笑顔を向けた。 モチコトは黒須から十枚のチケットを貰った。モチコトはそれを扇形に広げてリリコを扇いだ。リリコはとても現金で面白い表情をして十枚のチケットが作り出す小さな風を『うわわぁ』と堪能する。
この十枚のチケットで、何をしようかな。まあ、ゆっくり考えよう。
黒須は朱澄の手を触り、言う。「二人とも、本当にありがとう」
もうそろそろ日が落ちる時間だ。そしてマチソワで宴が始まる時間だ。
「いえいえ」リリコは素早く手を左右に振る。
「こちらこそ、楽しかったですよ、なんだか刺激になりました、煮詰まっていたものが、それが流れた感じです、それと発見がありました、たまにはモデルを変えてみるのも大事なんですね、」モチコトは朱澄を見て、彼女のドレスのスカートの生地を触った。「エイコちゃんにドレスを合わせていて、私のイマジネーション・マーケットは好景気になりました、溢れ出てきました、リアルなイマジネーション、新作、期待しててくださいね」
「うん、楽しみにしてる、でも、去年の秋みたいにぶっ倒れるのは止めてね」
「はーい、」モチコトは舌を出して微笑む。「あ、その、ときどきエイコちゃんを貸してくれませんか? 私のイマジネーション・マーケットのために、えっと、もちろん、認可を頂ければ、ですけれど」
黒須は朱澄を見た。朱澄も黒須を見つめ返す。黒須がモチコトに答えた。「エイコちゃんがよければ」
「別に、私は構わないわよ」朱澄はとても高慢におっっしゃった。でも、それが素敵だった。誰にでも一つ、似合う台詞があると思うけれど、朱澄のそれは、今のだとモチコトは思った。
「よーし、頑張るぞぉ」モチコトな拳を軽く握り、気合いを入れ直した。
なんだか、いいものが作れそうな気がした。根拠はもちろん、ないけれど、そういう体のコンディションだった。
「それじゃあ、私たち、」黒須は言う。「行くね」
「あ、そういえば、今までなぜか疑問にも思わないで放って置いたんですけれど、」モチコトは頬杖付いて黒須と朱澄を見て、厭らしい表情をして聞く。「二人はどういうご関係なんですか?」
モチコトは二人の瞳に同時に生じた微動を見逃さなかった。
二人とも何も言わなかった。
まだ、その関係は微妙なのかもしれない。
少し意地悪な質問だったかなって、モチコトは反省する。「あ、答えたくなかったらそれで、いいです、はい、何も聞かなかったことにしてください、ああ、いいえ、別に、えっと、凄く、お似合いです」
黒須はぎこちなく微笑んだ。
朱澄はヒールの爪先を見ていた。