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プレリュード②

「私は二年の朔島ミドリ、君は?」

 写真部の部室にいたその人はユウカを椅子に座らせ言った。ミドリは折畳式の長机の上に座り足をぶらぶらさせる。ミドリが履く濃い緑色の靴下は踝までしかないから、ユウカはミドリの短いスカートから伸びる細くて綺麗な白い足を観察することが出来た。

「谷崎ユウカです、」ユウカは眼鏡の位置を直しながら言う。「一年です、あの、よろしくお願いします」

「うん、」ミドリは高い声で頷く。なんだか、とても愉快そう。「よろしく、部長っ」

「あの、部長って? その、私、写真部に入りたくてココに来たんですけど」

「うん、だから、部長、それ見せてくれる?」ミドリはユウカのカメラを指差し言う。

「はい、」ユウカは首から下げたカメラをミドリに渡した。「壊さないでくださいね」

「ありがと、」ミドリはカメラのレンズを覗き込む。「おお、かっちょいいなぁ」

「あの、部長って、部長ってどういうことですか? 意味がよく分からないんですけど」ユウカの首はこの部屋に来てからずっと傾いたままだ。

「写真部は今、たった今、新入部員を迎えました、なのでだから、」ミドリはずっとニコニコしている。「その新入部員のユウちゃんが部長なのです!」

「ゆ、ユウちゃん?」いきなりフランクに呼ばれてしまって一瞬戸惑う。戸惑いながらミドリの台詞の意味を考える。「……あの、もしかして、朔島先輩は写真部を辞められる、ということですか?」

「え、何言ってるの?」急にミドリは真顔になる。「何、意味分かんないこと言ってるの?」

「え、そういうことじゃないんですか?」

「違う、違う、」ミドリは首を横に振った。「私は写真部に所属していたことなんてないし、こらからも写真部に入る気もないし、写真を撮るのも撮られるのも嫌いだし、あ、でも、アルバムを見るのは好きだよ」

「……朔島先輩が部長だと思ってました、」ユウカは写真部の部室を見回しながら言う。確かに、誰かがここで活動しているような雰囲気はなかった。ミドリの後ろの掲示板には何も貼られていないし、ホワイトボードも綺麗。カーテンは外されている。ユウカの後ろ、壁一面の書棚には活動記録や、写真集がきちんと整理されている。カメラはどこにもない。「……本当に、誰もいないんですか?」

「うん、写真部は宮藤アリス先輩の卒業を持ちまして、」ミドリは指を立て、ニコニコしながら言う。「廃部になったのです」

「ニコニコしながら言わないで下さい、」ユウカは膝の上で手の平を合わせ、悩む。「……どうしよう、どうしよう、どうしよう」

「え、まさか写真部に入ることを悩んでいるの? 部長になりたくないの?」

「そういうことじゃなくて、一人じゃ、仲間がいなくちゃ、先輩とかいなくちゃ、面白くないじゃないですか、部活の意味が、ないっていうか」

「私がいるじゃん、」ミドリは両腕を広げて言う。「私がいるじゃん、ユウちゃんは、それじゃ不満なの?」

「私がいるって、朔島先輩は、写真部の人じゃないんですよね?」

「そう言ってるじゃん、でも、ああ、困るな、ユウちゃんが写真部の人になってくれないと、困るんだけど」

「朔島さんって、」ユウカは真っ先にこの質問をすべきだったな、と思いながら言う。「何者なんですか?」

 ミドリの表情は一瞬固まった。そして、無理に、気障に笑った。「……私が何者かって、ユウちゃんにとって大事なこと?」

「はい、」ユウカはハッキリと頷いた。「どうして写真部の人じゃない、朔島先輩がここにいて、写真部の事情に詳しくて、私を部長にさせようとしたのか、私が部長にならないとどうして困るのか、その答えは私にとって、とっても大事ですよ、見過ごせない不自然ですよ、あ、もしかしてこのビラを作ったのも朔島先輩ですか?」ユウカはビラをミドリに見せる。「この愛らしい猫のキャラクタも朔島先輩が著作権を保有しているのですか?」

「そ、そんなこと、どうだっていいじゃん、」ミドリは不自然に声を荒げた。「私は私、それ以外の情報が必要? 必要ないでしょ?」

「何を訳の分からないこと言ってるんですか、はぐらかさないで下さいよ、」ユウカがこんな風に誰かに反抗的になるのって珍しい。今まで、こんな風に訳の分からない、ちぐはぐな会話をしたことなんてなかったし、それよりも何よりも、ミドリという人が、なんてうか、全然怖くないっていうか、年下みたいに思えるっていうか、ランドセルが似合いそうっていうか、おつむの出来がユウカよりも若干、下、というか、とにかく全然怖くないから、強気に出ることが出来る。「朔島先輩、一体何を企んでるんですか?」

 ミドリは小鳥がさえずるみたいに細かく舌打ちして、押し黙り、丸い目でユウカを睨んでくる。

 でも、全然怖くない。

 ユウカは下から睨み返してやる。

 ミドリはぷいっと目を逸らし、足をぶらぶらさせて聞いてくる。「……そういえば、ユウちゃん、なんだか慌てて、ここに来たよね、どうして?」

 聞かれて、ユウカは思い出してしまった。キスのことを。思い出して、顔がピンク色になって、心臓がドキドキする。「……し、質問をはぐらかさないでください」

「ん?」ミドリは悪い目を向ける。ユウカの微細な変化に気付いてしまったみたいだ。「どうして顔がピンク色になった?」

「べ、別に、」ユウカは横を向いた。扉の方を向いた。扉を出て、廊下を二歩行けば、被服部の部室だ。「そ、そんなことより、朔島先輩、答えて下さい、真実を言って下さい、早く言わないと、もう帰りますよっ」

「じゃあ、こうしよう、」ミドリはユウカに顔を近づけて提案する。「ユウちゃんのことを教えてくれたら、私も、私のことを教えてあげる」

 ユウカはミドリを睨みながら言う。「……本当ですか?」

「うん、」ミドリはニコニコし始めた。まずい。主導権は、なぜか向こうだ。「本当」

「絶対嘘だ」

「嘘なんて言わないってば、」ミドリはふざけているみたいに大げさに首を横にふる。ふわふわの茶色い髪の毛がふわふわ揺れて、ミドリの匂いが広がって、ユウカはそれが気になった。「え、信じてない? すっごく、なんていうか、悲しいな、しょぼん」

 ミドリはわざとらしくしょぼんとした。

 ユウカは大きく息を吐いた。「……しょうがないですね、約束ですよ」

 正直に言えば、ユウカはキスしていた被服部の人たちについてのことを誰かに話したかった。話して、騒ぎたかった。二人の人間関係についての細かなことも知りたかった。

「ああ、そうなんだ、」ユウカの話に特別驚くこともなく、ミドリは微笑み頷いた。「モッチィとリリコのキスを見ちゃったんだ」

「お二人は、その、なんと言いますか、そういうご関係なんですか?」

「うん、二人は隠しているみたいだけど、二人はもういけるところまでいってると思ってるよ、被服部は、あの二人だけだし、愛の巣に邪魔者はいない、あ、今日はユウちゃんが邪魔をしたのか、」ミドリは可笑しそうに笑う。「次からはきちんと鍵を掛けるかも、それはつまり、鍵を掛けたら厭らしいことをする合図、ってことだね、ユウちゃん、いい仕事をしたね」

「いい仕事って、」ユウカは苦笑する。「でも、どうしてそういう関係なのに、悲鳴が?」

「ああ、リリコの悲鳴だね、あの娘、なにかと騒がしいから」

「騒がしいからって、相当でしたよ、相当な悲鳴でしたよ?」

「相当騒がしいんだって、いつも騒がしいんだって」

「そ、そうですか、」だから誰も廊下に飛び出して来なかったのかと、無理やり納得して、咳払い。「……と、とにかく、話しましたよ、朔島先輩、次は先輩の番です、先輩の番なんですよ」

「ユウちゃんは、さ、」ミドリは自分の足に視線をやって聞く。「どう思った?」

「え?」

「ユウちゃんは二人のキスを見て、どう思った?」

「どう思ったって、そりゃ」

「正直な感想は?」ミドリは下を向いたまま聞く。「聞かせてよ」

「正直な感想?」ユウカは下を向いた。

 綺麗だなって。

「綺麗だなって、思いました、とっても綺麗、凄くドキドキして、写真を撮りたいって思いました、このまたとない瞬間をデータ化して、私のフォト・フォルダに納めたいって、思いました、衝撃的で、」ユウカは首を横に振った。「……ああ、もう、何を言わせるんですかっ」

 ユウカは顔を上げた。

 すると。

 ミドリの顔が近いところにあった。

「!?」

 咄嗟に身を引いた。

 でも、ミドリと接触してしまった。

 キスされた。

 ミドリにキスされた。

 唇はすぐに離れた。

 頭がぼうっとなった。

 何も考えられない。

「どう思った?」ミドリはニコニコしながら、舌を出して言う。

 答えられない。

 声が出ない。

 なぜか。

 目元が熱くて。

 涙が出た。

 ちょっと、ビックリし過ぎたみたいだ。

「え、ちょ、あ、」ミドリはユウカの涙を見て、慌てている。「ごめん、ごめんね、ごめんなさい、あの、ちょっと、ふざけ過ぎた?」

 ユウカは目元を押さえて言う。「……私、部長にはなりません」

「え? あ、その、」ミドリの声が狼狽えている。「えと、本当にごめん、だから」

「写真部にも入りません」

 ユウカは自分の気持ちを分析していた。

 分析して、とりあえず、怒っているみたいだと思った。

 キスされて、ユウカはミドリに怒っている。

 どうして怒っているのか、よく分からない。

 キスの感想はまだ、何もなくて。

 ただ、怒っていることだけが、分かる。

 それ以外のユウカの気持ちは意味不明。

「し、失礼します!」ユウカは椅子から立ち上がった。

「ま、待ってよ!」ミドリはユウカの手首を掴んで引き止める。「待って、ごめん、謝るから、あ、そうだ、何か食べに行こうよ、奢っちゃうよ!」

「離して下さい!」ユウカは多分、人生で一番の大声を出した。「お願いですから、離して!」

「コレ、」ミドリはユウカを離さずに言う。「私のアドレス」

 ミドリはメモ用紙をユウカのスカートのポケットにねじ込んだ。

「気が変わったら、連絡して」ミドリは手を離した。

 ユウカはミドリに何も言わずに部室から出た。

 早足で、部室から離れた。

 唇が熱い。

 口元を触る。

 心臓がうるさい。

 ドキドキしている。

 ミドリの愛らしい顔が脳ミソから消えない。

「あ」

 部室棟から出た時に気付いた。ミドリのせいだ。デジタル一眼レフを忘れてきた。「……またやっちゃった」


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