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谷崎有華のフォト・フォルダ(Taken For A Fool)  作者: 枕木悠
第二章 アクセラレイト・ジャズ・タイム
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第二章⑥

 モチコトはらしくなく図書室で本を読んだ。図書室にいるマナーとして、携帯電話の電源はしっかり切った。イギリスのミステリィ小説のプレリュードの半分くらいまで読み進めたところで、既にうとうとしてしまっていた。このまま少し、眠ろうかなって思った時、図書室に住まう魔女として名高い、二年の森村ハルカがモチコトの前まで来た。色が白く、黒い長い髪の清純そうな顔立ちは、ジョン・レノンみたいな眼鏡をかけているせいで、少し面白い。彼女とは一年のとき、同じクラスだったが、今は違う。森村は授業中でも休み時間でもずっと本を読んでいるような少し変わった娘だった。だからといって、皆に嫌われるわけでもなく、たまにホームルームで響く彼女のユニークな発言を、クラスは大事にした。森村と一番会話をしていたのはモチコトかもしれない。秋、彼女と席が近くなり、リリコのこととは言わずに恋の相談のようなことを何度かした。彼女は口が硬いし、何より思いもよらないアドバイスをくれた。二年になってから、彼女とこんな風に近い距離にいるのは初めてだった。

「どうしたの?」モチコトは小声で言う。一応、図書室だし。

「ちょっと、来てくれるか?」森村はモチコトの耳元で小さく言って、図書室のカウンタまで歩いた。

 モチコトは本を閉じて、席を立ち、森村を追った。

 森村はカウンタの奥の扉を開けて図書準備室にモチコトを招き入れた。「どうぞ」

「失礼します」

 図書準備室に入るのは初めてのことだった。左右の壁際の書棚の整理はきちんとされているけれど中央の机の上は様々な書類が重なって山のようになっていた。

「まあ、座ってよ」森村は椅子を引く。

「それで何?」モチコトは椅子に座りながら言う。「あ、久しぶりだね、ハルカ」

「うん、」頷き、森村は腕を組み書棚に背中を預けた。「君が私の図書室に来るなんて珍しいね」

「そうね、とっても珍しいことね、なんだか、自分じゃないみたいだって、思うよ」

「その言い回しは素敵だね、」森村は口元だけ微笑んで言う。「もう忘れないよ」

「はあ?」モチコトも笑う。「相変わらず、変な娘」

「今日は、」森村は表情をクールに戻す。「どうして?」

「別に、理由なんてないけど、」モチコトは机の上の製本前の新しい本を手にして聞く。「なぁに、私と話がしたかったから、ここに呼んだわけ?」

「いや、違うよ、頼みがあって、」森村は小さな冷蔵庫から缶コーヒーを取り出してモチコトに渡した。「あ、コレ、飲んで」

「ありがとう、」モチコトはコーヒーを受け取って眉を潜める。彼女にそんなことを言われるのは初めてのことだったからだ。「……頼み、ハルカが?」

「時間、ある?」

 森村の頼みっていうのは、図書室のカウンタ業務をやって欲しいってことだった。何やらやんごとならない用事があるらしい。モチコトはその頼みを引き受けた。判子を押すだけの簡単な仕事の説明を簡単にして森村は図書室を出て行った。なぜか森村のセーラー服の胸元のリボンは赤かった。一年生の色に変えて、どこに行こうっていうんだろう。本当に、変な娘って思った。

 月曜日の放課後、図書室に錦景女子は少なくて、静かだった。

 ぼんやりと滲んだ、鮮明でない時がゆっくりと流れた。

 カウンタに誰も来る気配がないから、モチコトは本を読み始める。

 森村のくれた缶コーヒーのおかげで、ミステリィを読んでいても眠くならなかった。

 時折、女子がカウンタの前に立つ。

 貸出の手続きをして、モチコトは再び、ミステリィに戻る。

 そういう、自分じゃないみたいな時間が流れて。

 モチコトは物語に入り込む。

 目が離せない状況になってくる。

 時折、女子がカウンタの前に立つ。

 返却の手続きをして、モチコトは再び、ミステリィに戻る。

 何度か同じことを、繰り返した。

「ご苦労様、ありがとう、もういいよ」

 その声にはっと顔を上げたら、森村がカウンタの前に立っていた。森村の頬は僅かにピンク色だった。本当に、どこに行って来たんだろう、という顔。

「本当に、ありがとう」森村には珍しい、屈託のない笑顔だった。声のトーンも彼女にしては高い。

「どういたしまして、」モチコトはニッコリと微笑んで、立ち上がり、海外のミステリィに栞を挟んだ。「あ、この本、貸して」

「ああ、うん、」森村はモチコトが座っていた椅子に座り、貸出の手続きをしてくれた。「二週間よ」

「え?」

「二週間後には返すのよ」

 返却期限のことだった。

 時計を見れば、錦景女子は午後の六時を回っていた。モチコトは図書室を出た。リリコはきっとモチコトが部室に行かないから帰っただろう。モチコトは図書室を出て、喫茶マチウソワレに向かった。そこで、物語を再開しようと思った。

 マチソワの扉を開く。今日は土曜日の夜に比べれば、ずっと空いていた。それでも店内は騒がしい。奥のステージには吹奏楽部の四人が静かにジャズを奏でている。一人なのでカウンタ席に座った。カウンタに立つ、店長の散香シオンにアイス・コーヒーを注文した。

「……喧嘩でもしたの?」散香はアイス・コーヒーが注がれた冷たいグラスを置いて、小さく耳元で言った。「リリコちゃんとミドリちゃんとユウカちゃんが探しに来たよ、あなたのことを」

「え、あ、そうなんだ、」モチコトは無理に微笑み、読みかけのミステリィを開いた。「さあ、どうしたんでしょうね?」

 散香は首を竦めて、モチコトから離れた。聞かれたくないことを聞いてこない、それが散香がいい女だって評判な理由だ。

 動揺しなかったと言われたら、嘘だ。

 リリコが自分のことを探している。

 少し胸の奥が、ざわついた。

 しかし、モチコトはミステリィの続きに視線を落とした。

 その時。

 新たな来客。

 朱澄エイコだった。

 土曜日、生徒会長の黒須ウタコと一緒にいた彼女。モチコトが真っ赤なドレスをプレゼントした彼女。ゲームに嵌ったらエンドレスな彼女だった。

 今日の朱澄はどうやら、一人みたいだ。朱澄と視線が合って、彼女はモチコトの隣に座った。座ってから、モチコトに聞く。「あ、隣、構わないですか?」

「うん、」モチコトは頷いた。「いいよ」

 朱澄もアイス・コーヒーを注文した。ミルクとシロップを沢山入れて、甘くして、朱澄は飲んだ。そして頬杖付いて、中空をぼうっと見ている。

 モチコトはそんな彼女を横目で見ながら、話しかけられずにはいられなかった。ミステリィは進まない。「……エイコちゃん、どうしたの?」

「え?」朱澄はモチコトを見る。「何のことですか?」

「ぼうっとしてる」

「考え事をしていただけですよ、」朱澄は小さく笑う。「モチコトさんこそ、どうしたんですか?」

「え? いや、私は本を読みに来ただけだよ」

「そういう人だとは思えないから」朱澄は小さく笑ったまま言う。

「なんか、」モチコトは朱澄を睨んだ。「すっごく失礼なこと言われたような気がするんだけど」

「……ごめんなさい、」朱澄は一度「やべぇ」っていう顔をして、舌を出して、吹き出した。「私、昔から人に失礼なことを言ってしまうことが多くて、気をつけてはいるんですけれど、ごめんなさい、怒らないでくださいね」

「いいよ、別に、私きっと、エイコちゃんが思っているような人だから、」モチコトはなんだか愉快だった。「つまりさ、エイコちゃんは嘘が言えない純粋な娘ってことよね」

「多分きっと、」朱澄は自分の肩に掛かる髪を弄りながら言う。「違うと思いますけど」

「何を悩んでいたの?」

「悩んでいたんじゃなくて、考えていたんです」

「何を?」

「……まだ、言えません、」朱澄は首を横に振った。「時期じゃないっていうか」

「なにそれ?」モチコトはおかしかった。「時期が来たら、教えてくれるの?」

「はい、」朱澄は頷き、すぐに首を横に振った。「……あ、でも、教えない場合もあるかも、いえ、あるんです」

「ふうん、よく分からないけれど、」モチコトはミステリィを閉じた。ミステリィよりも、朱澄と話していたほうが面白い。「分かったわ」

「モチコトさんの話をしましょうか?」自分の話が終わってホッとしたような表情を見せながら、朱澄は言う。「モチコトさんは何に悩んでいるんですか?」

「何かに悩んでいるように見えるの?」

「え、あ、やっぱり、悩んでいるんですね?」朱澄はニコニコし始めた。こういう表情もあるんだってモチコトは思う。

 きっと、モチコトは悩んでいるだろう。「……悩んでなんてないわ、」そう言いながら、自分ってそういう人だから、大きく溜息を吐いた。「たださ、高校生二年生にして気付いたわ、私、器用じゃないみたい」

「え、器用じゃないですか、器用じゃなくちゃ、あんな素敵なドレスは作れませんよ」

 朱澄は何も考えずに言ったのか、それともわざと言ったのか、それはモチコトには分からないけれど、朱澄という女の子のことを凄いなって思った。こういうことを言える特別な女の子だから、土曜日は黒須と一緒にいたのだろう。

「そうね」モチコトは頷き、笑った。

 その時だ。

「ちょっと、ちょっと、悩んでいる女の子の気配がするぞぉ」

 モチコトの隣、朱澄の隣にテンション高めに座ったのは、二年の似非占い師と名高い、自称恋の占い師、斗浪アイナだった。モチコトが作って上げた、占い師の衣装を身に纏っている。神出鬼没。非常階段の裏側からでも、どこからでも現れる、比較的妖怪に近い存在。「なんだい、なんだい、二人とも、私に占って欲しいのかい?」

「いらないから、どっか行ってくれる?」モチコトは手をひらひらさせて言う。

「……誰?」朱澄は目を丸くして聞く。

「似非占い師の斗浪アイナよ、あんまりその、気にしない方がいいと思う」

「ちょ、ちょっとぉ、」斗浪はニヤニヤしながら唇を尖らせて言う。「似非占い師って言うなぁ」

「……占い師?」朱澄は首を傾けながらも、僅かに瞳の色を煌めかせた。「占いが出来るんですか?」

「うん、今なら出血大サービスっ、」斗浪は両手を広げて言う。「タダで占ってあげちゃうよぉ」

「え、嘘、」朱澄は前のめりになる。「本当?」

 意外だった。朱澄は占いに興味を示している。

「駄目よ、エイコちゃん、」モチコトは諌める。「こいつの占いは、当たらないんだ、出鱈目なことばかり言って、皆を困らせるんだ」

「酷いなぁ、」斗浪はモチコトの耳元で煩く言う。「結構、当たるときには当たるんだよ」

「大丈夫です、モチコトさん、私、占いって当たらないて思ってるから、そういうものだと思っているからだから、」朱澄の瞳はもう、キラキラしている。「あの、占って頂けますか?」

「もちもち、もっちぃだけにね、」斗浪は嬉しそうに頷いて、どこからともなく水晶玉を取り出して、おそらく巨大なガラス球だが、カウンタテーブルの上に置いた。「それで、何の未来について知りたい?」

「何の未来っていうか、」朱澄は口元に指を当てて答える。「私はどうするべきなのかってことを、占って欲しいんです」

「どうするべきか?」モチコトは口の中で反芻した。

「うん、分かった、じゃあ、始めるよ」

 斗浪はガラス球に両手をかざし、瞳を閉じた。

 どういうトリックか、ガラス球は光り始める。

 その明度は徐々に大きくなっていき。

 最終的に強い光を放って。

 消える。

 斗浪は同時に瞳を開ける。

 こういう胡散臭い演出が、似非占い師、と呼ばれる所以でもある。

 斗浪は朱澄の方を見て、オウムみたいに首を傾げて言う。

「電話した方がいいって?」

 なぜか疑問形だった。

 そしてなぜか。

 朱澄の表情は煌めいていて。

 信じられなくらい、魅力的だった。

「ありがとう、アイナさん、とっても、とっても、素敵な占いだったわ、」興奮気味に言って、朱澄はアイスコーヒーを飲み干し、散香に声を掛けた。「ねぇ、マスタ、私もピアノで混ざっていいかしら?」

 吹奏楽部のメンバは快く朱澄を迎えた。朱澄が加わったことにより、静かだったジャズの時間は煩くなって情熱的になって加速していく。

 凄く楽しい。

 店内の女子たちも体でリズムを取っている。

「もっちぃのことも占ってあげよう」

「そうね、」モチコトは朱澄のピアノを聞きながら、適当に返事をした。「恋のことで占ってくれる?」

「もちもち、もっちぃだけにね」

「さっき睨まなかったからって、」モチコトは斗浪を笑顔で睨んだ。「調子に乗るなよ」

 斗浪はガラス球に手をかざして、占いを始めた。

 先ほどと同じようにガラス球が輝き。

 光が大きくなり。

 急に消える。

 占いの結果が出たようだ。

 過剰な演出はおそらく、占いの信憑性を高めるためにやっているのだと思うのだけれど、その狙いは完全に外れているってモチコトは思う。少なくともそのせいで彼女の何もかも、偽物だって思っていまうから。

 朱澄が興奮したのだって、何かの偶然だって。

 斗浪はやはりオウムみたいに首を傾げた。斗浪の肩にはいつも、白いおしゃべりオウムがいるが、喫茶マチウソワレのオウムの入店は禁止されているのだ。

「……王子様?」斗浪は首を傾けたまま言った。

「はあ?」

 朱澄と吹奏楽部のジャズが終わる。


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