第二章①
日曜日は瞬く間に過ぎて、月曜日。
そのお昼休み。
谷崎ユウカはお弁当箱と水筒を持って、誰からも声をかけられない内にそーっと、教室から廊下に出た。ユウカは早足で、部室棟に向かった。「あっ」とすぐに逆の方向に進んでいたことに気付いて、踵を中心に回れ右。一年A組の教室の前を再び通った。
「あれ、ユウカちゃんってば、お弁当箱持ってどこ行くの?」
声を掛けられて、ユウカは立ち止まり、笑顔を作って振り返る。二人の女の子がユウカの方に視線を送っていた。広瀬ヒロミと船場ナオミコ。いつも一緒にいる仲良しの二人だ。ユウカは二人のことを入学早々フォト・フォルダに収めたくなって、社交的なキャラクタを演じて頼み込んで、写真を撮らせてもらったら、なんとなく、彼女たちとユウカは友達になっていた。そんな二人がこっちを見ている。
「その、部室で、食べようかなって」
「え、ユウカちゃん、」広瀬は表情を変えて驚く。「もう、部活に入ったの?」
「ううん、」ユウカは首を横に振る。「まだ、入るって決めた訳じゃないんだけど、なんていうかな、試用期間、みたいな?」
「やっぱり写真部?」船場は聞く。
「うん」
「ああ、私も部活に入ろっかなぁ、」船場は伸びをして天井を見た。「でも、ユウカちゃんみたいに、コレといって真剣になれるものなんてないし」
「あ、ごめんね、ミーティングが始まっちゃうから」
ユウカは嘘を付いて、走ってその場を離れた。ミーティングなんてものは絶賛廃部中の写真部にあるわけがないんだけれど、でも、ユウカは約束していた。朔島ミドリと約束していた。部室でお弁当を食べようって、そんななんでもないことを約束していた。
土曜日の夜はミドリの部屋に泊まった。ミドリは錦景女子高校の寮の一室に住んでいた。ルームメイトはいなくて、その二段ベッドがある部屋はミドリ一人だけのものだった。二段ベッドの下段には巨大なファンシィ・キディ・ラビットのぬいぐるみが眠っていた。ユウカはそれを可愛いってミドリに言ったら「ユウちゃんって趣味悪いんじゃないの?」って返された。その巨大なぬいぐるみは姉のプレゼントらしく、捨てるに捨てれないから寝かしているのだと言う。それにしても部屋は散らかっていた。パンツとブラジャとベイビィドールが散乱していた。ユウカは縦横無尽の散らかり加減が嫌で掃除を始めた。ある程度片付け終わったら、ミドリと一緒に寮のお風呂に入った。遅い時間だったせいか、二人以外に誰もお風呂に来なかった。ユウカは終始黙ってミドリの裸を見ていた。
「……なんか言いなよ」お湯の熱で顔がピンク色のミドリのさえずりが可愛かった。
その夜は一緒にお風呂に入ったけれど、一緒の布団の中で寝たりしなくて、別にこれといって特筆すべき点は何もなかったのだけれど、でも、とても楽しい夜だった。様々なことを話した。ミドリとの距離がぐっと近づいた気がした。でも、ミドリの肝心なことを知ることは出来なかった。彼女が写真部にいる理由。ビラまで作って、誰かを引き入れようとしている理由。ミドリの肝心なミステリィの謎についてのヒントさえ、くれなかった。なぜか、下手にはぐらかすのだ。
「それで、ユウちゃん、写真部の部長になってくれるの?」
四本ある内の二本の蛍光灯を消してから、ミドリは二段ベットの上段から顔を覗かせて聞く。
「……ミドリは月曜日も部室にいる?」
「え?」
「一緒にお昼を食べよう」
「……別にいいけど」
「おやすみ」ユウカは布団で顔を隠した。
「……おやすみ」
その夜はそれで終わったのだ。約束して、終わったのだ。
なのだけれど。
「……遅いなぁ、」ユウカが部室について椅子に座ってから、すでに二十分は経過していた。一眼レフのメンテナンスも終わってしまった。昼休みの時間は静かに過ぎていく。「……忘れてるのかな、いや、でも、鍵、開いていたしぃ、それってミドリがここにいたってことだしぃ、……トイレか?」
ユウカのお腹がぐうっと低く鳴った。
遅いのが悪い、ということでユウカはお弁当箱を開いて食べ始めた。食べながら、怒りぷんぷんマーク付きのメールを送った。けれど結局、ミドリはユウカがお弁当を食べ終わる前に現れなかったし、メールも返してくれなかった。
静かに時間が流れる。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。
ユウカはちょっと今までにない、気持ちになって、泣きそうだった。
「……ミドリのバカ」
呟いた時。
扉が開き、ミドリが入って来た。「ご、ごめん、ユウちゃん、お待たせっ、遅れました、ごめんなさい、怒らないで、……って、あれ?」ミドリはユウカと目が合って首を傾けた。「……どうして泣いてるの?」
「泣いてないもんっ!」ユウカは目元を拭いて立ち上がり、ミドリの横を通って部室から出ようとした。
「こんにちは」
ユウカは目の前に立つ人を見て、驚いた。思考停止とともに、立ち止まる。その人の顔をじっと見る。彼女は笑顔だった。とても笑顔。その笑顔に合わせて、ユウカも微笑み、慌てて眼鏡を取って折り畳んだ。
「何してるの?」その人の表情はゆっくりと変化して、恐ろしい方に近づく。「眼鏡がないからって、見間違えると思う?」
「いいえ、」ユウカは首を横に振って、眼鏡を掛け直した。「思いません」
「ごめんね、ユウちゃん、その、もっちぃに捕まっちゃって、その、」ミドリは舌を出して自分の頭をグーでコツンとやって、可愛い子ぶった。「いろいろ話しちゃった、てへっ」
「てへっ?」ユウカはミドリを睨んで声を荒げる。「てへっ、って、なんなのさ!?」
「こっちに来なさい」被服部の人はユウカの腕を掴んで引っ張って、写真部の部室の対面の扉に連れて行こうとする。
「え、なんで?」ユウカは力弱く、抵抗しながら言う。「いや、なぜ、ですか?」
「いいから来いよっ」彼女は乱暴に引っ張る。
「え、いや、え、でも、授業が」
「授業よりも大切なものって、この世に沢山あると思うんだ、」被服部の人は突然そんなことを言う。「この時が、その沢山ある内の一つよ」
「え?」
「生徒会長がよく使う台詞よ、覚えておいて」被服部の人は人指を立てて、ユウカにウインクをして見せた。