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谷崎有華のフォト・フォルダ(Taken For A Fool)  作者: 枕木悠
第一章 サイダ・ナイト・ワルツ
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第一章⑩

 雪車ヶ野、ミドリ、ユウカの三人のドレスは演劇部から借りたものだった。雪車ヶ野は被服部の扉を叩いてマチソワでの宴の衣装を借りようとしたのだが、ユウカはそれを全力で止めた。被服部のあの人はまだ勝手にキスでラブなシチュエーションを目撃してしまったユウカのことを怒っているかもしれない。

「じゃあ」と雪車ヶ野はミドリとユウカを別の場所に案内した。講堂に入り、地下への階段を降りた先に演劇部の衣装室があって、そこには装飾過多なドレスが沢山あった。雪車ヶ野は演劇部の部長に電話して認可をもらった。だから、三人は装飾過多なきらびやかな衣装を身に纏い、錦景女子の夜の六時にマチソワに来た。そのときのユウカは眼鏡を掛けていなくて裸眼だった。別に問題はない。普段掛けている眼鏡は微細な乱視を調節するためのもので、ほとんど伊達眼鏡みたいなものだった。雪車ヶ野がドレスには似合わないっていうから、仕方なく折り畳んで、今は鞄の中にある。

 三人がマチソワに訪れた時点で、すでに女の子たちのダンスは始まっていた。初めてここにくるユウカは学校の中にこんな素敵な喫茶店があるんだって感動するよりも前に、激しくリズムを刻むピアノに驚かされた。心臓が勝手に騒ぎだし、熱を感じる。そんなピアノを聞いたら踊らずにはいられない。そんなピアノを奏でていたのが、我らがサブジェクトの一人、朱澄エイコ、その人だった。

 隣に立つミドリの顔を見た。ミドリも同じ表情をして、ステージ横のピアノを奏でる朱澄の方を見ていた。雪車ヶ野の顔を見ると、どことなく優雅に微笑んで、そして彼女は生徒会長の黒須のところまで向かう。

 しかし。

 本当に。

 朱澄が奏でるピアノがよくて。

 一度目を閉じて。

 そのリズムに一度全身を呑まれて。

「よし、」と口の中で言って目を開ければ、回転するミラーボールのシルバな光の模様を見つけることが出来た。「ああ、なんて、なんて、綺麗な世界なんだろっ」

 ユウカは踊る女の子たちの間を進んだ。

 彼女を。

 朱澄を狙える距離で立ち止まり、カメラを構えた。

 加速する心拍。

 熱っぽい心臓と呼吸。

 意識せずとも動き出す体。

 喉を鳴らし、唾を飲んだ。

 深呼吸を一度。

 ユウカはレンズを覗き込んだ。

 一心不乱に鍵盤を叩く朱澄をフレームに収めた。

 一回。

 二回。

 三回。

 ユウカはシャッタを切る。

 何度も切り続けた。

 周りの女の子たちは、ドレスの似合わない変な奴が冷静にシャッタを押し続けているって思っているかもしれない。

 でも。

 冷静なわけがないじゃないか。

 ユウカの心臓のうるささはきっと、この錦景女子の夜で一番。

 取り逃がさないように。

 このまたとない一瞬を。

 朱澄の一瞬を。

 切り取る作業にミスがないように。

 祈りに近い。

 祈りながら。

 震える。

 ユウカはユウカの体に祈りながら。

 シャッタを切る。

 フレームの中の一瞬の影は、データ化される。

 それは全て。

 私の世界だ。

「ユウちゃん?」

 ミドリの声にはっとユウカは我に返った。

 横を見れば、ミドリがいて、丸い目で心配そうにユウカの顔を覗き込んでいた。

「……え?」

 ユウカは現実に対しての反応が鈍かった。

「終わったよ、終わったんだよ、」ミドリは口元だけで笑っている。「エイコちゃんの演奏」

「ああ、」声と一緒にユウカは息を吐いた。「そう、なんだ」

 手の力を抜く。カメラが重力に従って落下する。首から下げていたカメラの重さだから、ユウカの首に僅かな衝撃が来る。しばしの放心状態からの脱出。

 耳に聞こえるものを探せば。

 確かに。

 朱澄のピアノは終わっていた。

 朱澄のピアノは終わり、アンコールの声が女の子たちからあがっていた。

 朱澄はピアノの前に座ったまま、こちらの方に振り返り、そして。

 ささやかな笑顔を見せた。

 彼女のその笑顔はとても魅力的だった。見とれてしまっていた。だから、しまったと思ったときには、どこの誰か分からない二十代後半の女性が一人出てきてマイクに向かって何かを叫んでいた。「私の歌を聞けぇ!」

 二十代後半の女性のせいで朱澄のアンコールはなくなってしまった。

 朱澄はクールな表情で、ピアノの前から立ち、ユウカの横を通って、カウンタ席に座った。雪車ヶ野と黒須の間に座って頬杖付いた。どんな表情で、頬杖ついたのか、それはここに立つユウカには分からないことだった。それが少し悔しい。それから彼女がピアノを弾いていた理由も謎だ。どんな偶然があって、ユウカが我を忘れるくらいの綺麗な世界を演出したのか、その細かなことは分からない。それは少し悔しいけれど、しかし、ユウカのフォト・フォルダには彼女の情熱がつけた色がある。だから、後悔よりも今は喜びが勝っている。こういう気持ちになることって、あんまりない。

「ねぇ、撮った?」ミドリが聞く。

「え?」ユウカはミドリを見る。「何を?」

「エイコちゃんの笑顔」

「突然過ぎたから」

 ユウカは首を横に振って、カウンタ席に並んだ生徒会の人たちを撮った。雪車ヶ野から聞いた情報だが、朱澄は生徒会の秘書になりたくて、昨日の放課後、生徒会室を訪れたのだという。そしたらなぜか急に、黒須が生徒会の秘書になるためのテストをやるといって、今日、彼女は街に連れ出しされ、そしてなぜかここにいる。

 果たして彼女は。

 朱澄エイコは生徒会の秘書のテストに合格したのだろうか。

 今は分からない。三人の世界に入って聞くことも野暮以外のなにものでもない。

 けれど、この切り取ったばかりのデータを見れば。

 生徒会の三人の後ろ姿の並びは、どことなく優雅で、錦景女子の生徒会にふさわしいって思った。

 理解不能意味不明?

 それは私にだって分からない、非合理的な感情なのだけど。

 きっと、誰だって、この写真を見れば、そう思うに違いない。この世で断言できる珍しいことの一つだ。絶対に、そうだと思うんだ。

 二十代後半の女性たちのロックンロールが始まった。ユウカは黒須と朱澄のツーショットを狙いながら、ミドリと一緒に体を揺らしていた。楽曲はポップで、キャッチー。でも、二十代後半の女性が歌うには恥ずかしい歌詞。こちらが恥ずかしくなる、という意味だ。

 なかなか、朱澄と黒須は立って踊ってくれなかった。だからユウカはやきもきしていた。二十代後半の女性の痛いMCのせいもあってフラストレーションは溜まるばかり。

 そんな気分で、錦景女子は七時を迎えた。

 シノヅカカノコ・アンド・オーバドクターズというのが二十代後半の女性三人のロックバンドの名前だったのだが、彼女たちはその時間に、ウェイトレスたちに喫茶マチウソワレから強引に追い出された。

 そして、新たに登場したロック・バンドは沢村ビートルズ。

 一曲目に演奏した『サイダ・ナイト・ワルツ』で女の子たちは踊り狂った。

 ユウカもミドリも一緒になって踊った。

 踊っていたら、誰かにぶつかった。

 肩が強く当たった。

 横を見ると、被服部の人がいた。怒ってユウカを怖い声を出した方と肩がぶつかってしまった。

 一瞬、目が合い。

 ユウカは焦る。

 しかし、彼女は何事もなかったかのように、さっきまでの笑顔に戻った。

 ユウカはほっとした。

 きっと眼鏡がなかったからだ。

 眼鏡がなかったから彼女はユウカをユウカだって分からなかったんだろう。

 よかった。

 眼鏡がドレスに似合わないというアドバイスをくれた雪車ヶ野に感謝。

 気を取り直して再び、沢村ビートルズのロックンロールに踊る。

 結局、この日、朱澄と黒須のツーショットを撮ることは出来なかった。

 ユウカとミドリは沢村ビートルズのロックンロールに楽しくなって夢中だったし、朱澄は九時を回る前に帰ってしまったからだ。

 沢村ビートルズのライブが終わったとき、アナログ時計は夜の十時を表現しようとしていた。

 ユウカとミドリは汗だくの女の子たちと一緒に廊下に出た。「楽しかったぁ」

「うん、」ミドリはニコニコしながら言う。ふわふわの髪の毛は汗で濡れて、なんだか色っぽいなって思った。「ツーショット写真は撮れなかったけれど、いいよね、楽しかったし、ユウちゃん、エイコちゃんのこと、沢山、撮ってたし、だから、いいよね、後でデータをコピーして頂戴、会長に渡すから」

「うん」ユウカは頷いて、そしてそのタイミングで、色っぽいミドリの写真を撮った。

「あ、撮ったなっ」ミドリは丸い目でユウカを睨んでくる。

「へへへ、油断してるから」ユウカはミドリをもう一枚、撮った。

「もう、こんなことしてないで、さっさと帰ろ、もう十時だよ」

「ああ、帰るの面倒だなぁ」

「ユウちゃんち、遠いの?」

「うん、ちょっと、遠いね」

「じゃあ、」ミドリは口元に人差し指を当てて提案する。「……うち来る?」

「……近いの?」ユウカは前を向いたまま聞く。

「ここから五分、いや、三分、」ミドリは指でその数字を表現してくれる。「……来る?」

 ユウカは暗い足元を見ながら答えた。「……行く」



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