捨てた過去
暖かい春の風が正面から勢いよくあたる。
僕は屋上に一歩足を踏み入れた。
自動扉は音もなく閉まった。
美麗は僕が来たことに気付くと、軽く会釈をすると誘導するように手を動かした。
僕から目をそらすと、屋上から見える桜に目を向ける。
二人ともしばらく暖かい春の風に身を任せながら、満開の桜を眺めていた。
「美しいと思う?」
「ああ。」
「人に植えられて、土がほとんどないところに、限られた場所にしか根を伸ばすことが出来ない。限られた自由。本当の美しさではないよね?」
「まあ、確かにそうだな…」
なんとなく美麗の意図していることが分かるような気がする。
「人間もきっと同じ。お互いが制限をかけ合い、生きている。この世に本当の美しいものは、ない。」
「美しい心もこの世にはない。だから、信じても、裏切られる。それがわかっているから人を信じない。他人を信じたら、その分裏切られた時のショックが大きいから。」
限られた自由の中で生きる桜に自分を重ねて見ているのかもしれない。
哀れむような視線はどこか寂しい影を漂わせ、儚く見えた。
「何か過去に裏切られたことがあったのか?」
「いいえ、過去は捨てたわ。いらないものだから…」
美麗はその時の気持ちを捨てようとしているように見える。
「では、本題に移りましょうか。さあ、こちらへ。」
そう言うと、屋上の端に僕を連れていった。
太陽があたらない日陰だということもあり、ヒヤッと寒気がする。
もしかしたら、この寒気はもっと他の理由もあるのかも知れない。