オルソープ家
——前に話したと思うけど、マイケルの養い親の学者夫婦の家だよ。
私の心臓は早鐘のように脈打ち、大きくて立派な門前で立ち尽くしていた。
まわりはのどかな風景が広がり、手入れの行き届いた庭がどの家にも青い影を差していた。とても綺麗で静かな場所だ。そしてそこに、私はとても不釣り合いな気がした。
たとえマイケルの意思であったとしても、相手は学者なのだ。私のような娘が相手にされるはずがない。そう思っていた。
「お帰り……あらっ、まぁ!」
出迎えてくれたのは、まだ若い女性だった。若いと言っても50代くらいだろうか、目元に皺があるが少しも気にならない。柔和な表情をして、とても落ち着いた雰囲気をしている。
「綺麗なお嬢さん。シュテファンのガールフレンド?」
「違いますよ、おかあさん。彼女、マイケルの知り合いですよ」
シュテファンと呼ばれた青年が肩を竦めてみせる。オルソープ夫人は少しだけ目を瞬かせ、マイケルと私を交互に見る。
私たちの間に気まずい空気が流れた。この気まずさもマイケルはどこ吹く風で、気を利かせたシュテファンが間に入る。
「マイケルを遊びに連れて行った先で、僕が彼女と引き合わせたんです」
「あらあら、そうなの? さぁ、入って入って。何にもないところだけれど」
彼の助け船にオルソープ夫人はにこりと笑い、扉を大きく開けて手招いた。
マイケル、シュテファンの後に続いて入りながら、私は胸の奥につかえたモヤモヤが大きくなるのを感じずにはいられなかった。
家にはオルソープ夫人の他に華奢な女の子とオルソープ博士がいた。3人は彼らにもやさしく迎えられ、あれよあれよという間に夕食の席についていた。
私の目に映ったマイケルに対するオルソープ夫妻の態度は、実の息子に接するような慈愛に満ち満ちていた。彼がどんな幼少時代をすごしていたか、微塵も気にしていないようで、それが研究対象だからというわけでもないようなのだ。
私が今まで密かに思い込んでいたマイケルの辛い家族像を崩され、安堵すると共に彼には私が決して欠かせない存在ではないということを思い知らされた気がした。
私なんかがいなくても、マイケルは幸せなのだ。約束された家族と未来があるのだ。
目の前で湯気を上らせるスープを覗き込む振りをして、そっと目尻に浮かんだ涙を掬い取る。スプーンが震えてしまわないようにしっかりと握りしめ、スープを掬い、一口飲み込んだ。
「おいしいわ」
ポソリと零した私の声を聞いて、オルソープ夫人がとてもうれしそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう、うれしいわ」
彼女の笑顔につられるようにして私も笑みを返した。
娼館で出される食事はどれも貧しく、このようにおいしいと感じたことは一度もない。スープは水っぽく、パンはベタベタしているのが当たり前なのだ。
ちらりと視線を隣に向けるとマイケルがぎこちない動作でフォークを使い、ハムを食べている。あの森で一緒に育った少年が、まさかフォークを使うことができるようになっているとは。
驚きをもって彼の手元を見ていたら、オルソープ夫人に勘違いされてハムを食べるよう勧められてしまった。
分厚く切られたハムを小さく切って食べながら、私たちは会話を楽しみ、食事を楽しんだ。そうして、オルソープ教授からマイケルを引き取った経緯や、今に至るまでの思い出話などを聞き、私は改めてオルソープ夫妻の苦労と彼への愛情を思い、感謝した。
彼だけは幸せに生きてくれていた。
それだけでも知れただけで、私はもう十分だと思った。
そしてその晩、雷雨に見舞われて足止めを食らった私は、夫妻の好意に甘えて泊めてもらうことにした。