ペルソナ
少年は月に2回訪れるようになり、いつも必ずもう1人の青年と来ていた。
数ヶ月の間私の中で穏やかな時間が過ぎていき、数少ない逢瀬で少年にマイケルという名前がついていることを知った。そして彼の義理の弟だというもう1人の青年から、マイケルが幼い頃学者夫婦に引き取られて大切に育てられてきたことを知った。
私はホッとするのと同時に、大きな隔たりを彼との間に感じた。
マイケルは相変わらず喋らなかった。それでも私は彼のそばにいることに安心感を覚え、彼が何も求めてこないことをいいことに、自由に振る舞おうとした。
そしていつものように2人の青年を見送りにホールに降りていくと、マイケルが私を外へ連れ出そうと手を引っ張った。
「だめよ」
そう言って最初はやんわりと手を引いた。けれど事情をうまく飲み込めないのか、マイケルはさらに強く手を引っ張ってきた。
帰ろう、一緒に。帰ろう……。
彼の声のない声が聞こえた気がした。ハッと胸を突かれる思いがした。けれど私は微塵も表情に出さずに、子どもを相手にして困った人みたく曖昧な笑みを浮かべ、青年と見交わした。
思うようにいかないことが気に入らないのか、マイケルが見るからにいらいらしはじめた。私はそれで真剣な表情を彼に向け、
「どうしても、だめなのよ。この扉を境に、私の存在価値はなくなってしまうの……」
私の言う言葉の意味なんてすこしもわからないだろう。それでも、希うようにして言った私の心は通じてくれたのではないだろうか。
マイケルはじっとペルソナを被った私の顔を見つめ、青年に腕を引かれるようにして外の世界へ戻って行った。
◇◇◇◇
日々の勤めを果たしながら私の精神は安定していった。不思議と、仕事と割り切ってしまえば以前のように苦悶することもなくなった。
昼は自分の仕事部屋ともいえる部屋をより居心地よく過ごせるようにと整理し、揺りかごに揺られて手仕事をして過ごすことが多くなった。
日暮れ頃には生成の部屋着を高価なドレスに着替える。そしてフロントにいる男のベルに呼び出されるまで待機しているのだ。だがその日は間もなくベルが私を呼んでいた。時間的にマイケルが来たのだろうか。まだ日も沈みきっていない。
私は姿見で注意深く身だしなみを整えると、扉を開けようと足を向け、ギョッとした。
「マイケル……?」
扉が開いた音も人が入ってきた気配もしなかったのに、そこには黒髪の青年が佇み、ひたと私を見つめていた。と思うと、フロントから催促のベルが鳴る。
マイケルはここにいるのに、まだ私を呼んでいる……?
「あなたがお客さまじゃないの?」
戸惑いながら、私は扉の向こうを気にした。彼がお客様でないのなら、階下にいるお客様を迎えなければならない。けれどこの状況では……。
「まぁ、今はどうでもいいわ。そこをどいてちょうだい」
身振りで示して言ったのに、なぜか彼は黒い瞳を私にぴたりと合わせたまま動こうとしなかった。どうしたのだろう。私が戸惑いながら見つめ返すと、マイケルは俊敏な動作で私を抱きかかえ、窓の方へ突進して行くではないか!
「ちょっと、何するの!? やめてよ、やめなさいってば!!」
宙ぶらりんの手足をばたつかせて抵抗したが、マイケルはあっという間に窓を椅子で叩き割り、外の世界へ私を引きずり出した。
久しぶりに全身で浴びた夕陽を見て、私は第三者の手によって自分の生きる道を断たれたことに呆然とせずにはいられなかった。
驚いたことに、外ではマイケルといつも一緒だった青年が馬車を停めて待っていた。丸めた絨毯を担ぐようにしてマイケルに抱えられた私を見ると彼は、悪戯っ子のようにへらりと笑って手を振った。
「上手くいったんだ」
そう言って彼は馬車の扉を開け、私がマイケルと一緒に中に収まるのを見ると御者に何か言いつけて中に入ってきた。
「どういうこと!?」
私がかなりの剣幕で詰め寄っていけば、青年は肩を竦めてマイケルの方へ顎をしゃくった。答えはそれがすべてだといいたげだったが、私はもちろん納得しなかった。ちゃんと説明するように言った。
「家に帰ってからもずーっと不機嫌でさ。なんども1人で出て行きそうになるんだ」
「どうして……」
「もちろん、君に会いたかったんだろ。しかも連れ出したいときた」
「は、話したの!?」
私が驚いて視線を青年からマイケルへ、それから再び青年に戻して向けた。
「話せるっていうか、なんとなくわかるんだよ。この前だって帰り際にあんなことしてたぐらいだし」
あんなこと、と言っていたことがなんであるかを思い出し、あっと口元を押さえる。そして信じられない心持ちで私は向かいに座るマイケルを見上げた。
「それで、私たちはどこへ向かっているの?」
「それは、もちろんオルソープ家だよ」