堕落のグロリア
「いやぁー! いやだやだやだ!」
その日は、本当に突然だった。
私が水浴びから戻ってくるとすぐ目に飛び込んで来たのは口から血を流し、うな垂れるような格好で気絶している少年の無惨な姿だった。そして私は必死の抵抗も虚しく、数人の男に羽交い絞めにされて口を塞がれ、そのあと荷物のように少年とは違う荷車に乗せられた。
呆然と仰向けになり、両手足を縛られたまま朝靄の立ち込める山道を下り、気付くと私は檻の中にいた。その中には他にも私と同じような子どもが何人も詰め込まれており、中には4歳にも満たない子どもまでいた。
檻の外には薄暗い通りが一本あり、そこを様々な人種が通り過ぎてゆく。たまに興味深げに檻に近づいてきて中を物色していく者もいたが、大抵はまるで私たちが存在していないもののようにその視界にいれようとしなかった。
なんとなく私は、頭がぼんやりとしていた。そしてぼんやりした頭で、なんとかして少年に会いたいと願った。私のように、不当な扱いを受けていないことを祈った。
私はこの狭苦しい檻の中で2・3日過ごし、そして一人の男に買われていった。
男は娼館のオーナーをしていて、私は買われていったその日の内に一番の下っ端として娼婦たちからこき使われた。
洗濯物やトイレの掃除、台所仕事、化粧の手伝いなどはまだまだ序の口で、私の神経は磨り減っていくばかりだった。
当然のように娼館の周りには高い塀がそびえて逃亡者を阻止し、また外出も一切が禁止されていた。
私は少年と森で暮らしていたよりもふくよかになり、肉付きがよくなったが、心はずっと貧しかった。ただただ、少年に会いたいとだけ思っていた。
今となっては彼がどこで何をしているのか、どんな生活を送っているのかもわからなくなってしまったが、私と少年は見えない絆で繋がっていると信じ続けていた。
「グロリアー?」
娼館では私が決して名乗らなかったために、オーナーの男が私のことをグロリアと勝手に名づけ、ここでは私はグロリアだった。
「ちょっと来なさい」
一番年上の娼婦のクレアとオーナーの男が私の方を見て手招きしていた。
私は床を拭いていた手を止めて立ち上がると、注意深く二人の前に立った。
クレアは香水のきつい香りを漂わせ、軽く眉を上げて見せた。
「今日からあんたにもあんたのための部屋を与えます」
そう言って、クレアは何故か満足そうな笑みを浮かべた。
部屋を与えられる。それはつまり、私も夜は客の相手をしなければならなくなるということ。
その事実に思い至ると、私はしばらく硬直していたらしい。クレアは浮かべた笑みを潜め、オーナーの男が厳めしい顔つきで腕を組んで立っていた。
「私……部屋は、必要ないです」
蚊の鳴くような小さな声で答えると、横から男の手が伸びてきた。バシンという酷く大きな音がして、頬がじんじんと疼いた。
「もう一度きくわよ、グロリアー?」
クレアは挑戦的な目で私を上から見下ろし、傍からは綺麗に見えるように小首を傾げた。
「あなたも今夜から、旦那様にご奉仕なさい。それがここに住まわせてあげる条件ですから」
わかった?
クレアは再度確かめるように聞くと、私の顔を覗きこんできた。薄い青の瞳がすぐ目の前にある。
私はまるで魔法にでもかかってしまったように、それからはろくに口も利けず、ただ成すがままとなった。それでも頭の片隅では、絶えず語りかけてくる声がしており、私はその言葉に打ちのめされて絶望した。
私はもう、体さえも綺麗なままでいられなくなってしまったのだ。
その晩、私は地方貴族だと自慢げに話す鼻持ちならない男と初夜を迎えた。そして私は、もう堕ちる所まで堕ちてしまっても仕方ないと考えを新たにし、頭の中で地方貴族の男を一人、殺した。