Arlene
深い暗闇に染まる森の中をもつれつつ必死に駆けている小さな濃い影があった。
その少女は太陽が落ちたとのちに称されることになる、焼失した村の生まれだった。豪農の家に生まれ、祖母からアーリンの名を譲り受け、これまでなに不自由することなく育ってきた。そして明日、いよいよ6歳の誕生日を迎えようかという日に、アーリンの村は瞬く間に火の海に包まれた。
彼女の両親は、家畜を逃がそうとして逆に逃げ遅れ、アーリンを残して消えてしまった。もしかすると死んだのかもしれない。
まだ3歳にならない妹は、弟は? 近所に住むカミラはどこに行ってしまったの?
アーリンは不安と寂しさで後を振り返りながら、母親に言われたように森の中を逃げ続けた。
頭上に懸かる月が木の葉の隙間から地面に零れ落ち、かすかに足元を照らす。
遠くで狼の遠吠えが聞こえ、アーリンの目線は闇に覆われた森の中を漂った。すると突然眼前に黒い影が飛来し、アーリンの小さな体は地面に投げ出された。
腕を強く打ち、なかなか立ち上がれずにいてもがいていたが、ふと鋭い視線を感じて顔を仰向かせると、そこには2つのぎらぎらしている眼がアーリンをとらえていた。口に反り返った短剣を咥えている。
それと目が合った瞬間、恐怖で喉を引きつらせてアーリンは腕の痛みも忘れて暴れまわった。
がむしゃらに腕や足を突き出し、木の太い根元に何度もぶつけて痣をつくった。
その時、再び狼の遠吠えがアーリンの耳に届き、目の前に立つ影が咥えていた短刀を腰に収めてから一度だけ長い遠吠えを返した。
月明かりのもとよく見ると、それはアーリンが今までに見たこともないほど薄汚れていて、痩せ細っている男の子だった。彼はアーリンに視線を戻すと、興味を失くしたようにフイッと背を向けて森の中に向けて歩き出した。アーリンはいつの間にか目からいっぱい涙を零し、泣きじゃくりながらその少年のあとを懸命に追いかけた。
それが、彼女にとって数奇な運命を辿る発端となる出来事であった。
◇◇◇◇
少年は何も話さなかった。それは故意に話さないのではなく、話せないといった感じで、たいていは狼や犬のような鳴き声を発した。それでも彼に一喜一憂する感情が存在するのは確かで、表情や仕草を見れば大まかな感情は読み取れた。
行動はいつも突発的で、私は何をどうすればいいのか途方に暮れることがしばしばあった。
彼に付いて山間を歩いていると、ときたま小さな村の傍を通ることもあったが、私は以前のような暮らしに戻ろうと思うことはほとんどなかった。第一、私たちは出会ってから既に何年経過しているのか思い出せないほど一緒に過ごしている。そして、私たちは孤独やそれに類似した感情で引き合い惹かれあい、深く繋がっているようにも思えるからだ。
私にとって彼は、もう既に切っても切り離せない存在となっている。
愛や、恋などといった好き嫌いの域では表せない、もっと確固たるもので私の心は彼へと繋がれている。
冬に襲われる飢餓と寒さに恐怖し、夏は蛇や毒虫に冷や汗をかいた。それらを私は何度となく経験し、初潮の時は未知の恐怖と不安に苛まれながら痛みを堪えた。
それからは私が月経を迎えるたびに少年が薬草を探してきて川べりで過ごすのが恒例となり、すっかり大きく成長した少年の体にぴったりと寄り添うようにして私はいつも眠りについた。
そういった日々が日常となり、私たちの間には暗黙の掟が定まりつつあった。
そしてそれらが、私の常識だった。
突然訪れる、別れの日まで……ずっと。