オルソープ夫妻
静かな山間の村に、太陽が落ちた。
正確には太陽ではなく、燃え盛る業火を遠くから見た旅人がそう表現したものらしい。
その当時、山間地帯の村で何が起きたのか知る者はなく、酷い山火事だったと済まされた。
村は焼失し、生存者は確認されないまま月日だけが狂うことなく流れていった。
◇◇◇◇
オーレリアは届いたばかりの新聞にアイロンをあて、ライラに卵を取ってくるよう頼んだ。
朝露が若草の表面を濡らし、朝日に照らされるとエメラルドのような輝きをもってオーレリアの目を楽しませてくれる。それが彼女の朝一番の楽しみだった。
ライラが籠に卵を入れて帰って来て、スクランブルエッグをつくり始めてからすぐに夫のヘンリーが顔を覗かせる。おはようという代わりにオーレリアと軽いキスを交わし、彼はオーレリアから朝刊を受け取った。
「ねぇ、その表紙に載った写真……どういう内容なの?」
オーレリアはライラが運んできたブレッドとバターをヘンリーの前に並べ、彼の向かいの席に腰を下ろすとおもむろに口を開いた。ヘンリーは眼鏡を掛け直してから彼女の言う写真を探し、文面を読んでから再びオーレリアを見た。
「題名は『獣の心を持つ少年』で、ずいぶん興味深い話だね。十年ほど前に壊滅したはずの殺戮集団トゥエリエの一員と思われる少年が、近辺の山岳地帯で発見され、保護されたとある」
「まぁ、本当に? でも、その子がどうしてあのトゥエリエだとわかったのかしら」
「それは目撃者がトゥエリエの紋章入りの刀剣を確認していたかららしい」
ヘンリーがくつろいでいるとライラが淹れたてのコーヒーを持って現れ、オーレリアにも紅茶を用意した。二人はしばらくのあいだ無言で向かい合い、カップを口元に運んだ。
「その子、今は保護されてどこにいるの?」
「ここからそう遠くないな」
「ねぇ、様子を見に行きません?」
オーレリアがチラリとヘンリーに視線を向けると、彼は新聞を畳んでテーブルの上に置くところだった。彼は口元に笑みを浮かべると、なぜかホッとした様子でオーレリアを見返した。
「実はね、先日僕宛に手紙が届いていてね。それが僕の恩師からだったのだけど、この新聞に載っている子を実験的に『人間』として再教育できるか頼まれていたんだよ」
ヘンリーの話に彼女はわずかに目を見張り、それからふんわりと微笑んだ。
「ということは、わたくしにも子どもができるのね」
と、至極幸福そうに表情を和らげるオーレリアに、ヘンリーも思わず笑みを零した。
彼らオルソープ夫妻はすでに四十路を迎えていたが、不幸にも子宝に恵まれなかった。ヘンリーは動物心理学の教授として名を馳せており、経済的にも余裕がありオーレリアを愛していたが、それでも子どもだけは諦めていた。
ヘンリーは椅子から立ち上がるとライラに用事を言付けて外套を羽織り、ステッキを器用に使って帽子をその先に引っ掛けた。
「オーレリア、さっそく迎えに行こう。我々の、息子を」
オルソープ夫妻は辻馬車をつかまえてそれに乗り込むと、さっそく数時間後の出会いに胸をときめかせずにはいられなかった。