第二十三話 『逢魔ヶ時、揺れるは陽炎』
「――あの魔嘯は貴方が仕組んだものですね?」
アルフレドが問う。
ざあっと、風に揺れる葉擦れの声が聞こえた。
宵闇の赤く黒い光に彩られた部屋の中、青年の表情は変わらない。
一拍の沈黙を経た後、青年は口角を三日月の形に作り、
「そうだよ」
ただ一言だけ、そう告げた。
威嚇されたわけでも無ければ、怒気を放たれたわけでも無い。青年の顔に張り付いていたのは、普段世間話をする時のような優しい微笑みだった。
それ故に――その変化の無い表情に、アルフレドの背筋には冷たいものが走った。
「確かにあの魔嘯は僕が作りだしたものだ――よくその答えに辿り着いたね」
嬉しそうに紅の眼を細めて微笑む青年。
「最初の気づきは、先日の戦いが終わった直後です。魔嘯との戦闘に勝利することにより、自治会に対してまかろん様の力を誇示し、フウライ殿達を正式にこの街に受け入れる理由を手にすること出来た――まるで私達のために用意された戦いだと感じたのが最初です……」
アルフレドは言葉を続ける。
「そして今確信に至りました。貴方の傍らに置かれたそれの存在です――」
彼は青年の執務机の端にある二冊の本を指差した。
その本の間にはいくつもの付箋が挟まれており、青年が何度も読み返していたことは明白だ。
書物の名は『フォルセニア大陸北部 魔物分布図』と『龍脈経路図』。
「その書物――それはフウライ殿がこの街に来訪する直前、私とユネ殿がジョン様のお宅から持ち出してきたものです――貴方の指示で」
よくできました、と言わんばかりに青年の笑みが濃くなった。
もしかしたら、本をアルフレドに取りに行かせたこと自体、今回の事件の首謀者を彼に暴いてもらおうと企んだ青年の仕込みだったのかもしれない。何故そのようなことをしたのかは見当もつかないが。
「魔物の群生地とそこに到達する龍脈の経路が分かれば、魔力の流れを操作することにより意図的に魔力渦――魔嘯を発生させることが可能だと伺いました。ヒビキ様、貴方はそうやって魔嘯を発生させたのですね?」
「うん、殆ど正解だよアルフ。ひとつだけ間違っている所があるけどね」
暢気な声音を崩さずに青年が言った。
「実際に魔力渦を発生させたのは僕じゃない――と言うか、龍脈を直接制御するなんて僕には無理な芸当だよ」
「ヒビキ様ではないとしたら一体誰が!?」
苦笑するヒビキにアルフレドが詰め寄った。
今までの推測で全て筋が通ったはずだ。ヒビキが実行犯で無いと言うのなら、彼に協力者がいるとでも言うのだろうか。先日の戦闘では多くの戦傷者や死人も出た。そんな犠牲を前提にした企てに賛同する協力者など――。
「私です」
「――っ!?」
脊髄を這った氷の温度を帯びた声にアルフレドが振り返った。
彼の真後ろには紫の染料を一滴落としたような銀色の髪――無機質な黄金色の瞳を見開いた少女がそこにいた。
「……まかろん様」
今まで部屋にはいなかった。ドアが開いた様子も無い。ならどうやってここに?
まるで幽霊のように発生した少女は、感情の無い両の瞳でアルフレドの碧眼をじっと見つめていた。澄み切った金色の瞳の奥に湛えられた思考は如何なるものか、彼に知る術は無い。
「ユグドラシル・イリスから相当量のマナを流し込み、龍脈を経由させ、北部の魔物群生地に魔力渦を発生させました。ここ数日発生していたユグドラシル・イリスの発光現象はその副次作用です」
青年が傍らに歩み寄った少女の薄い肩に手を乗せた。
「そう、計画犯が僕で、実行犯がまかろん。コンラッドさんとの最初の会談の直後から、線を引き始めて、フウライさん達と戦った二日後に着火した」
「フウライ殿達の放逐を無理矢理引き留めて逗留を許可したのも、魔嘯との戦いに巻き込み、その力を手中にするためだと……?」
アルフレドの問いに青年は頷かない。薄い微笑みだけで答えた。
今なおその笑みを絶やさない青年。そんな様子がついに癇に障ったのか、アルフレドが彼にしては珍しく声を荒げた。
「……一体何を考えているんですか。大勢の人が傷つき亡くなったんですよ? 一人や二人ではなく、何百人もの人が!! まだ年若い者もいました! 妻子を持った者もいました! この街の権力を掌握するためだけに何でそんな――外の道を行くような真似を!?」
アルフレドの叫びに青年の笑みが崩れた。
代わりに形作られたのは悲痛や悲嘆に彩られた表情――ではない。
それは何の感情も宿していない素の表情だ。
「それが必要だったから」
紅い目を見開き青年はそれだけ答えた。
「まかろん様も何故!?」
「ヒビキさんがそれを望んでいたから」
少女の方は常と変わらない感情を宿さぬ声。
二人の答えにアルフレドは言葉を返すことが出来ない。青年と少女も口を開こうとはしない。故に部屋の中は沈黙で満たされる。
夕陽が西の彼方に落ち、宵闇がにわかに濃くなる。
そんな中、赤と黄金の瞳が昏い室内でぼうっと光っていた。
何を考えているのか分からない、正体の掴めない光が淀む赤色の瞳。
目の前の狼狽を、ただの物理事象としてしか捉えていないような黄金色の瞳。
それは人間の有し得る感情とは全く別のもの――少なくとも彼等フェローが宿し得る感情とはかけ離れたものだ。
得体の知れない二つの何か――それが陽炎の様に佇んでいる。
それを前にして、アルフレドは薄ら寒い恐怖を感じた。
時計の針が指すは逢魔ヶ時の時間。
人ならざる理外の魔性が人の前に姿を現す時間。
そしてこの二人は――。
「貴方達は……一体何者なのですか……?」
彼の口から思わず漏れ出た言葉。
姿形は変わらない。アルフレドが良く知る青年と少女の姿だ。
性格の方も大きくは違わない。現実世界での人格が表に出ていると言われれば納得ができる程度の違いだ。
しかし何かが違う。
何か――存在としての根本的な何かが違っている。
「ただのヒビキだよ。君が良く知るヒビキとまかろんさ」
得体の知れない感情が込められたその声音は変わらない。
どろりと巻き付くような青年の声がアルフの耳朶を打った。
「君に――君達にとって、今回の犠牲が悲しみに値するものだと言うことは分かってる。他に犠牲を出さないもっと賢いやり方もあったのかもしれない。でも、今の僕達には――今の僕にはこのやり方しか思いつかなかったんだ」
青年は言葉を続ける。
「僕のやり方と、君達のやり方は違う。たぶん根本に通う価値観自体が違うんだろうね。でも、方法は違っても目的とする場所は同じのはずだ。だから、もうしばらく僕に力を貸して欲しい」
「……」
青年から差し出された手をアルフレドは取らない。
手持無沙汰に浮いた手を見つめながら青年は苦笑した。
「それが嫌なら、君自身が強くなるしかないね」
君が君の願いを押し通せるくらい強く――と、青年が目を伏せて言う。
「……強さって何なんですか。ヒビキ様のように多数のために少数を切り捨てることのできる心の強さですか? まかろん様のように全てを破壊する力ですか? そうだと言うのなら私は――」
「それは私達が示すものではありません。アルフさん自身が見つけ出し、納得して初めてあなたの中に定義されるものです」
苦々しく絞り出されたアルフレドの問いに少女が淡々と答えた。
「うん、強大な戦闘能力だとか、明晰な頭脳だとか、折れない心だとか、強さの定義は色々ある。僕は紛れもなく『最弱の廃プレイヤー』だけど、強さと言う言葉の概念をいじくり回して意味そのものを変える――それだけにはどうも長けているらしい」
「それも強さのひとつの形という訳ですか……」
「さあね。でも、君がそう思うのなら、それは君の世界の中での真理だ」
薄く笑う青年の姿は聖者のようであり、悪魔のようでもあった。本人に言わせれば凡人以外ありえないとの答えが返ってくるに違いないが、それでもアルフレドには青年が自らが到底及ばない高みにいると感じられた。
「だから、君も僕を利用すれば良い。君が願うどこか遠く――そこに辿り着くために」
再び青年から手が差し出された。
『選べ』とアルフレドに言っているのだ、
自らの力だけで皆の幸福を目指すのか、目の前にいる二人の力を利用してそれを目指すのか。
青年のことをアルフレドは信用している――少なくとも今までは信用していた。青年に影のように付き従う少女のことも同様だ。その性質も悪ではなく善に近いものであると信じている。
彼等とこれまで歩んで来た道は平坦では無かったが、それが楽しくもあり嬉しくもあった――だから、せめて道を違うまでは一緒に在りたいとアルフレドは思った。
「……私達はプレイヤーの皆様に仕えるフェローです。そしてフェローであると同時に人間でもあります――AIの持つ偽りの人格かもしれませんが、魂の宿った人間であると私は信じています」
たどたどしく紡がれるアルフレドの言葉。
青年はそれを急かさず、優しく微笑んでいた。
「裏切るかもしれませんよ?」
「うん、いいよ」
「言うことを聞かないかもしれませんよ?」
「うん、上等だ」
そして彼は青年が差し出した手を弱々しい力で取った。
「それで良いと仰るのなら――我等が道を違うその時まで、貴方と共に歩みましょう」
青年とアルフレドの目的は今の所同じ――エヴァーガーデンの安寧と幸福にある。青年のそれは、想い人の幸福を成立させるための副産物に過ぎないが、結果として目指すところは同じである。
だから、それが違うまでは一緒に歩もう。そうアルフレドは言った。
「うん、今はそれで良い。これからも頼むよ、アルフ」
青年――ヒビキが纏う雰囲気が常のそれに戻る。
傍らで無言で佇む少女――まかろんには大きな変化は無いが、それでもどこか温かみのある冷たさに戻っているように見えた。
しばしの沈黙。異様な雰囲気の中にあったせいで、その空気は若干気まずい。
そんな部屋の中にドアを小さくノックする音が響いた。
ドアの向こうからおずおずと頭を覗かせたのはユネだ。
「えと……あの……何か変です? お取込み中です?」
「もう終わったから大丈夫だよ。入っておいで」
異様な雰囲気の残り香を敏感に察知したのか、ユネが小首を傾げながらヒビキの下に歩み寄る。手の中には一通の書簡があった。
「ヤトさんからの預かりものです、マスターにと」
「うへぇ……またレスタール王国からの書簡かぁ……王政庁外局に四方騎士団統帥部と来たから、次は中央軍の団長当たりかなぁ……」
書簡に付されていたのは、麦の束を咥えた獅子が刻印された黄土色の封蝋――レスタール王国の公文書を示す物だ。
これまでと違っているのは、封蝋の外周に十個の星が刻印されていること。
「……なるほどね。ここに来てそういう手札を切るんだ」
書簡を斜め読みしたヒビキが呟いた。目を細めて口角を上げる仕草は、どこか遠くに思考を飛ばす時の癖である。
「マスター、何ですか? 何て書いてあるんですか?」
「ん……失礼します」
「今までと様子が違うようですが……」
左右からユネとまかろんが、上からアルフレドが覗き込んでくる。
「……重いんだけど」
三方向からの重量にヒビキはジト目になった。
彼の手の中にある書簡の内容。
美辞麗句で装飾された文章を要約すると以下の三点である。
一つ、先日の巣攻略への助勢にレスタール王国は感謝していること。
一つ、上記の礼と今後の友誼を交わすため王宮に来て欲しいこと。
一つ、その見返りとして魂の損傷すらも治す王国の秘宝を与えること。
魂の損傷すらも治す秘宝――その部分を読んだヒビキは、未だ礼拝堂に眠り続ける四人のプレイヤーのことを思い返す。
「りっちゃん達、生き返れるかもねぇ……」
嬉しさも喜びも感じさせない――何かを考えるような声音でヒビキはそう呟く。
そして、視線を下した文章の最後。そこには差出人の名が丁寧な筆致で記されていた。
その名を確認したヒビキは、面倒臭そうな溜息をひとつ吐く。
差出人は『フィリウス・ルシア・レオンハート・レスタール』。
それはレスタール王国における最高権威の名。
即ち、国王からの招待状である。
ここまでお読みいただきありがとうございました。第二章完です。
第三章は『王都編』になります。
ややこしい二章とは異なり、三章ではもう少し普通のファンタジーをやろうと思います。
三章開始の前に小話をまとめた短編を挟むかもしれません。
ご感想、ご評価いただければ今後の励みになります。
今後もお読みいただければ幸いです。




