第十八話 『第一次リィベルラント防衛戦』
中天に座した太陽が少し傾き始めた頃、リィベルラントの防衛戦力と、ゴブリンとオークを中核に据えた敵集団は衝突した。
人間や亜人の雄叫びが響き、魔物達の絶叫が轟く。互いの武具がかち合う音、色とりどりの魔術が炸裂する音――そんな混沌とした音の洪水が、リィベルラント北門外部に広がる丘陵地帯を揺らしていた。
真夏の炎天下、頬を伝う汗を拭いもせずアルフレドが声を張り上げる。
「右翼右側は前進、左側は後退を! 接敵面積を広げて弾幕の有効圏を広げます! 負傷した近接攻撃役は必要に応じ、回復役からの治癒を受けて下さい! クゥ殿! 範囲治癒の展開時間は貴女にお任せします!」
「うん……いっぱいがんばる……!」
開戦前の懊悩に反し、アルフレドの指揮は巧みであった。
リィンベルのような派手さも無ければ、ヒビキのような奇策を重ねた戦術でもない。一見すれば地味にも見える、お手本のように綺麗な用兵術。しかしそれは現実、敵集団の勢力をゆっくりとだが着実に削ぐことに成功していた。
左翼に展開した自警団と義勇兵の指揮官も相当な手練れのようである。
フェロー達には及ばないものの、接敵した敵集団を先頭から確実に削っていた。
後から聞いてみれば、かつて西アカーナ大陸に存在した大都市――樹冠都市フォレスタルムにおける撤退戦を担っていた将校のひとりであったと言うのだから、人材とはどこに埋もれているのか分からないものである。
「敵の様子からして、領土拡大を目的とした侵攻ではありませんね――やはり『魔嘯』か!」
アルフレドが断定した。彼の傍らには『パーティ管理』スキルで展開可能な各種情報ウィンドウが滞空していた。
このエヴァーガーデンにおいて、ゴブリンやオークは下等な生物とみなされているが、人語を操る程度の知能は有している。
そんな彼らは今、野生動物の様に本能の赴くまま人々に襲い掛かっていた。
「マナ酔いの影響下にあるとすれば自我は既に無い……撤退は見込めませんか……!」
全面的な殲滅戦を回避できればそれが重畳。アルフレドはそう考えていたが、その可能性は潰えた。再度認識を改め、フェロー達に指示を飛ばして行く。
防御役と近接攻撃役から構成される前衛部隊の左側で、ユーゴは身の丈に迫る巨大な剣――『真・グランドスラム』を振るっていた。ひと薙ぎで緑色の体躯をしたゴブリンの身体が複数吹き飛ぶ。
「ひゃっはぁ! クォーツと比べれば、ただのゴブリンやオークなんてちょろいもんっす!」
黒嘯竜の革から作られたレザージャケットに巨躯を包んだ青年。日焼けした浅黒い顔をにやりとさせて笑うその姿は、普段通りの軽薄さである。しかし、彼が防御役部隊で最も過酷な右翼左側の中核を担っているのに間違いはない。
「これユーの字、だから突出するなと言うておろうに。アルフレドの指示通り、ずずいっと下がらんか」
「ひぎぃ! やめて! お尻蹴らないでぇぇぇっ! 前からはゴブリン、後ろからは咲耶ちゃんに攻められるとか、どういう状況なんすかコレっ!?」
ユーゴの尻を攻め立てながら、咲耶が器用に魔術を放つ。
「本当なら敵のどてっぱらに、大魔術級の技能でも撃ち込みたい所じゃが……右翼の向こう側に敵が漏れるといかんしのぉ……っ!!」
咲耶によって撃ち出された巨大な炎の戦輪は、数多のゴブリン達を轢き潰し、戦列の外側に漏れ出していた敵の小集団の所で爆発した。
フェローの数は百名と少なく、戦列の幅も短い。右翼に展開したフェロー達の右側からは相当数の魔物達が漏れ出ていた。咲耶を始めとする魔術系のフェローは、敵集団に撃ち込む火力の中核を担う傍ら、それらの処理にも追われて忙しい。
「まったく、猫の手も借りたい状況だと言うのに、まかろん様はどこにおるんじゃ!?」
「兄貴と同じく、まかろんの姉貴も何考えてるかよく分からん人っすからねぇ!」
「リィベルラントへの襲撃以上のことなど、そうそう無いと思うがの!」
件の魔術師プレイヤーの少女はどこにもいない。
咲耶さえも凌駕する大規模魔術の使い手たるまかろんが戦線にいれば、この苦境も容易に乗り越えられるだろうに。しかし、その姿は戦場には無かった。
彼女の行動原理は全くの謎に包まれている。部屋の隅で静かに佇むのが常の姿、かと思えばたまに突拍子の無い行動をする――そして頭だけはべらぼうに良い。
プレイヤーのパートナーであるフェローをして、よく分からんプレイヤーと評価されているのがまかろんである。
そんな彼女にとっては、このリィベルラントの一大事も興味に足ることではないのかもしれない。今もヒビキの隣に付き従っているのだろうか。
プレイヤー不在の戦場に、怒号や悲鳴、ありとあらゆる絶叫が響き渡っていた。
「ユネ殿! 集団の百メートルほど内側にオークジェネラルと思しき個体がいます! 範囲強化を使われ続けると厄介です! 頼めますか!?」
敵集団の中には上位個体と呼ばれるものも多く、それらは往々にして周りの味方を強化する特殊能力を有している。
「はい! 少し戦列を離れますね!」
上位個体専門の遊撃メンバーであるユネが、アルフレドの指示に頷く。
靴の側面に魔紋が浮かび上がるや否や、最前列のフェロー達の上を軽やかに飛び越えて行った。
「ラシャ殿はユネ殿の露払いを!」
「やたーっ! やっといっぱい動ける! ってユネちゃん、待ってよーっ!?」
文字通りの屍山血河を築き上げながら敵集団の中をひた走るユネに、ラシャが慌てて追従する。
理性を失い更に狂暴になった魔物達。それ故に繰り出す攻撃は単純だ。百戦錬磨の猛者たる二人にとって、それは児戯にも等しい。
ユネが物理法則を無視するかのような鋭角的な軌道を描き、魔嘯の只中を駆け抜けて行く。それに遅れることなく追従するラシャも、また化け物であると言って過言では無いだろう。
数十に及ぶゴブリンとオークを斬り倒したその先に、黒鉄の甲冑に身を纏った猪頭の巨大な魔物――オークジェネラルの姿があった。数百体に及ぶオークを束ねる上位個体――レスタール王国では騎士団が駆り出される場合もある、強大な魔物の一種である。
その姿を確認したと同時、ユネが呪言を紡ぐ。
「一精宿れ――」
ユネが握る銀剣の周りに、岩塊の群れが渦を巻いた。ユネの身体を通して編まれたマナがエーテルとなり、実体界を支配する理に風穴を空けたのだ。
「――静謐湛えし緑の牙よ、重ね綾なり我が手に集え」
そして、エーテルと言う名の銛が捉えたのは、形相界に内包された『翡翠』と『剣』と言う概念。
形相界から引きずり下ろした概念が実体界に現界したその瞬間、ユネの銀剣は翡翠の刃を纏う巨大な剣にその姿を変えた。
『土魔術』と『術法剣』スキルから成る二元技能――『ジェイドウェポン』。
巨大な翡翠の剣が、オークジェネラルが構えた戦斧を斬り砕く。そして、勢いはそのまま、魔物を守る分厚い甲冑ごと、それを一息に切り裂いた。
オークジェネラルが野太い声で絶叫する。しかし膝をつく様子は無い。厚い皮膚と脂肪に覆われたその巨大な身体はいまだ健在だ。
翡翠の刃が砕け落ちる中、ユネの後ろから影のように躍り出たのはラシャ。
「よいしょっと!」
小さな両の手の中、逆手に握られた一対の短剣が閃く。踊るように走らされたそれは、魔物の喉を深く切り裂いた。
血を噴き出し崩れ落ちるオークジェネラルに目配せすることも無く、ラシャはユネに笑顔を向けた。
「ユネちゃん、もうちょっと狩ってく?」
「いえ、戻りましょう。長居をしたらアルフ君に怒られちゃいます」
「えー、前のユネちゃんだったら無言で突っ込んでたのにー」
護衛のオーク達を一刀で斬り伏せたユネの答えにラシャが口を尖らせた。
再び屍の山を築きながら二人が後退する。
周囲の魔物を強化していたオークジェネラルは封じた。これで戦列にかかっている圧力も緩和されるはずだ。
ユネ達の戦果を観測担当のフェローから報告され、小さく胸を撫で下ろすアルフレド。
集団戦における強さの指標は、大雑把に分けて『質』と『数』の二つである。
オークジェネラルの討伐により前線の魔物集団の強化は解除され、敵の『質』を低下させることに成功した。
あとは『数』を処理すればいい。これへの対処は簡単だ。先日の巣掃討作戦時のヒビキの様に、処理する型を決めてしまえばいいのだから。
そう考えたアルフレドは。戦列の形を大きく後ろへとしならせるよう指示を出した。
彼が思い描いた戦列は、中央部を底とし、両翼の端を淵とした椀の形である。
魔術師達の砲火によって、両翼の敵集団を中央部に流し込み、そこで全てを処理し切ろうと考えたのだ。
幸い右翼の左部分――全ての戦列から見れば中央の部分――そこにはユーゴと咲耶を始めとする強兵がいる。今しがた戻ってきたユネとラシャも合わせれば盤石だろう。
徐々にその形を変化させる戦列の中、これまで巧みな用兵を続けてきた左翼――自警団と義勇兵の混成部隊の動きが鈍い。
その原因について、アルフレドには思い当たることがあった。
「まだ敵集団の圧が高い……オークジェネラルを倒したと言うのに……もしや、他の上位個体が集団の中に潜んでいるとでも……!?」
言葉を紡いでからアルフレドは、それが間違いだということに気付いた。
敵の集団が途切れないのだ。
奥の森からは、狂乱の体のゴブリンやオークが、今も枯れることなく湧き出し続けている。
七千という敵の総数の推計が正しければ、流入はとうに潰えても良いはず――それは敵の推計数が間違っていたことを意味していた。
そもそも敵数の観測は、山岳地帯に生い茂る木々に遮られて困難を極めていた。観測から戦端を開くまでの時間が極めて短かったことも原因だ。アルフレドやラシャが責められる謂れは無い。
途切れること無く前進を続けるゴブリンとオークの大集団。数多の戦果を潜り抜けて来たフェローはまだしも、本来はただの一般人である亜人の戦列には荷が重い仕事である。
左翼の巧みな指揮に感覚を狂わされていた。彼らは常識内の強度しか持たない普通の亜人なのだ。
そう考えた矢先、左翼の自警団から怒号のような悲鳴が上がった。
後ろから湧き出て来るゴブリン達の圧に押され、左翼の端が削られるように崩壊したのだ。そこから少なくない数の魔物が、治癒術師の手が届かなかった自警団の死体を踏み荒らしながら漏れ出て行く。
その割れ目を補填できる予備選力はもう存在しない。リィベルラント市民から構成される義勇兵の全ては、既に戦線に投入済みだ。
西側には遮るものは何もない。このままではリィベルラントの外壁を伝い南側――ロスフォルの大叢海に浸透するのは明白。
それは即ち、この戦闘の敗北を意味していた
その光景を目の当たりにし、アルフレドがきつく唇を噛み締めた。
――絶対的な手数が足りない。
あと少し戦力があれば――!
あと少し――戦闘に長けた手勢があと少しいれば彼らを封じ込められるのに――!
彼の願いは益体も無い徒労である。
仮に彼の祈りが天に届いたとしても、足りないものはまだたくさんある。
『瓦解を始めた左翼の補強』。
『散発的に両翼から流れ出る敵集団の牽制』。
『中央の大集団を屠れる大火力』。
この戦いで勝利を手繰り寄せるためには、少なくともあと三手足りないのだ。




