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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第十四話 『やわらかな爪痕』



「んー、美味しいです! やっぱり日本人はお米ですねー!」


 金と薄緑が混ざったファンタジーな髪を揺らして、自称日本人のユネが歓声を上げた。

 その笑顔はまるで満開に咲いた花のよう――効果音を付けるなら『ぺかーっ』あたりが妥当か――いや、少しバカっぽくなるので止めておこう。


「うん、いけるね。焚き木でお米を炊くなんて林間学校以来で心配だったけど、上手くいったみたいで良かった」


 陽が落ちてからしばらく経ち、時間としては夜の八時頃。

 僕とユネは自宅のちゃぶ台を囲って遅い夕食を摂っていた。


 小麦を主食とするフォルセニア大陸の食糧事情上、僕達も普段はパンやパスタを主食することが多い。生産量が少ない米はとても高いのだ。

 しかし今日だけは、豪勢に白米に味噌汁、白身魚の照り焼きに小鉢数品という世界観ぶち壊しの和食メニューである――まぁ豪勢と言っても、鬼人達に振舞った食材をちょろまかしてきただけであるが――数が合わないと頭を抱えるシェリーさんの姿が容易に想像が付いた。明日謝っておこう。


「やっぱりマスターはすごいですねー、えへへ……美味しいです」

「あはは、大げさだよ……って、今までご飯どうしてたの?」


 僕の料理の腕は別に大したものではない。小さい頃、仕事で忙しい母さんが楽を出来るよう、少しずつ仕込まれて身に着いた程度のレベルである。ちなみに弟の陽君は、料理が苦手な代わりに、アイロンがけが神レベルに上手い――まぁ、そこはどうでもいい。

 そんな僕の普通な料理を、おいしいおいしいと笑顔で食べるユネ。

 何となく彼女のこれまでの食生活が心配になり聞いてみた。


「前線で戦ってた時は、セメントの味がするパンが多かったですねー」

「セ、セメント……?」

「普通に食べると歯が欠けるくらい硬いので、お湯でふやかして食べるんですよー。たまにこちらに帰ってきたときは、おかゆさんのお店で食べたりとか……あ、おかゆさんのお店って、閉店近くに行くと小鉢を一品サービスしてくれるんですよ? 知ってました?」

「……」


 知りません。と言うか、そんな疲れたOLみたいな悲しいお得情報とか要りません。


「え、マスター……なんでそんな悲しいお顔で私を見るんですか……? なんでご自分の卵焼きを私のお皿に移してくれるんですか……? いただきますけど……いただきますけども……」

「いっぱい食べてね……グスッ……」

「は、はい……」


 涙ぐんだ僕に、ユネが何だか釈然としない様子だった。






 夕食の片付けも終わり、お風呂も入り終わった――もちろんユネとは別々だ。

 夜更けという時間の少し前。現代人の感覚では寝るにはまだ早い時間である。


 居間兼用である自室の中央で、寝巻姿の僕は同じく水色のパジャマ姿のユネと小さな卓を囲っていた。『ボード』と呼ばれる、EGF内における『ゲーム内ゲーム』のひとつである。

 チェスや将棋のような駒取りゲームに、カードによる運要素を加えたテーブルゲームと言えば分かりやすいだろうか。木版で作られたフィールドの上に、木製の駒がいくつも並んでいた。


「ううう……エルフさんの進軍路が取れません……ここは一旦迂回して……」


 ゲームを挑んできたユネの腕はお世辞にも良いとは言えない。盤面は完膚なきまでに僕が優勢である。

 エルフを表す駒をつまみ、ボードの上をしどろもどろにさまようユネの指。

 そんな彼女の様子を眺めながら、僕はいじわるな笑みを浮かべた。


「そこでいいの? いっちゃうよ? 竜人や獣人の伏兵とかいるかもよ?」

「い、いるんですか……?」

「いないかもねぇ」

「ううううう……ますたー、そういう口先で惑わすの止めてください……ずるっこですよぅ……」


 そしてしばらくの熟考の末、ようやく方針が決まったらしい。

 とんっ、と軽い音を立てて、ユネが森林フィールドに駒を進めた。


「よーしっ、この位置ならどの駒の攻撃も届きません! しかもエルフさん達の能力を全て活かせる完璧な一手です! ふふふー、どうですかマスター!」


 どやーっ! と、胸を逸らせるユネ。水色のパジャマの奥でそれなりに大きな胸がふよん(・・・)と揺れるのが見えた。色仕掛けとは汚い。さすがユネきたない。

 そんな彼女のドヤ顔に僕は生暖かい笑みを浮かべながら、地形を表すフィールド板をめくった。裏には『獣人:伏兵』と書かれたカードがくっついている。


「だからいるかも(・・・・)って言ったじゃないか、はいどーん」

「ふぁーっ!?」


 その後も退路を断たれ、駒同士が分断され、阿鼻叫喚の地獄絵図となったユネ軍は無事全滅した。パジャマ姿のかわいいユネに仕えたまま、あの世に旅立つことが出来た将兵達はきっと幸せだっただろう。南無。


 結果は言うまでも無く、僕の圧倒的勝利である。ゲームの世界は非情なのだ。


「はっはっはー、昔、段位(レーティング)戦でゴールドクラス取ったのは伊達じゃないよ」

「一時期、私とは全然遊んでくれずにこればっかりでしたからねー……」


 すねたようにユネが口を尖らせた。

 なお、更に上にプラチナクラスとダイヤモンドクラスと言うのがあるので、全体的に見れば上の下の実力といった所だ。

 罰ゲームとしてユネにお茶を淹れてもらったのだが、すごく不味かった。これでは僕の方が罰ゲームである。今度ちゃんと教えてあげよう。


 傍らに置いた懐中時計を確認すると、もう結構良い時間だった。

 これ以上遊んでいたら明日に響くのでそろそろ寝ることにする。


「あの……マスター……」


 一旦は自室に戻ったユネだったが、僕の枕元に再登場。

 枕を両腕で抱きしめる様子は、どこか不安そうだ。


「ん、今夜も一緒に寝るかい?」

「だ、だめですか……?」


 頬を赤く染め、小首を傾げるユネ。そんな様子に僕は微笑む。


「この前、君がしたいことをすれば良いって言ったよね。来たければいつでも来て良いんだよ。ほら、おいでおいで」

「はい……」


 布団の片側を開けて僕はユネを迎え入れると、彼女が猫のように潜り込んでくる。

 決して大きいとは言えない布団の中で、ユネの小さな身体がすぐ近くにあった。

 まだユネは緊張しているようで、その動きは少しぎこちない。

 そんな緊張を解くよう、羽毛で撫でるように軽く彼女の頬に触れてみると、


「ふぁぅ……」


 なんて、可愛いらしい声で小さく鳴いた。

 おかえしとばかりに、ユネが細い指先で僕の口の端を小さく押し上げる。彼女の指に押され、にーっとなってしまった口角はちょうど微笑みの形になった。

 それに釣られて彼女が小さく笑う。


「くすくす……マスターが笑ってるの、ユネは好きです……」

「笑い方が胡散臭いってよく言われるけどね」


 おどけて見せた僕に、ユネが深紅の眼を更に細めて見せた。


「そんなことは無いですよ……たとえそうだったとしても、マスターはユネの大好きなマスターなのですから……」

「君は本当に駄目マスター製造機だねぇ……」


 ユネの不思議な色合いの髪の毛を撫でながら僕は苦笑した。


「だめになったら、私が養ってあげます……」

「だからそう言う所がね……あとその提案は男の沽券に関わるので却下です」


 僕がそう返すと、ユネがまたにこーっと微笑んだ。

 月の光が入ってくる部屋は、灯を落としてもなお仄かに明るい。


 一つの布団の中で、僕とユネがぽつりぽつりと睦言のように小さく声を交わす。

 ロマンチックな会話なんて、僕達に期待されても困る。

 今日の卵焼きは甘くておいしかった、とか――

 今日は僕より早起きが出来て嬉しかった、とか――

 アルフにお茶が不味いと言われてしょんぼりした、とか――

 そんな、他愛のない言葉のやり取りだ。


 お互いの吐息がかかるくらいに近い距離。腕の中にすっぽりと収まったユネの小さな身体から温かな体温を感じていた。


 そんな幸せな時間の中、昨日からずっと気になっていたことを聞いてみた。


「ねぇ……ユネはフウライさん達のこと……どう思う?」

「本当は助けてほしい……と思っています……」


 うん、知ってた。ユネは優しい娘だ。手の届く範囲の全ての人を助けようとする――そんな優しい心の持ち主だ。人としての性質が僕とは根本的に異なる。


「……彼らを拒絶した僕のこと……ひとでなしだと思うかい?」

「いいえ……マスターはいっぱい考えてそうしたんでしょう? できるだけたくさんのひとが幸せになれるように……マスターは優しい人ですから……だから、きっとそれは間違いではありません……」


 いっぱい考えた――これは本当だ。


 みんなを助けるために――これは違う。


 僕はユネさえ守れれば良い。

 他の人間なんていらない。まかろんも、アルフも、りっちゃんもいらない――ユネさえいればそれだけで良い。

 フウライさん達を拒絶したことは、そんな歪んだ意志の副産物に過ぎない。


 何で僕は彼女にこんなことを聞いたのだろう――優しいユネは許してくれるに決まっていると言うのに。

 ユネのためなら他にどんな犠牲でも厭わない。そう決めていたはずなのに。

 誰にも理解されなくて良いとさえ思っていたはずなのに。


「ああ、そうか――僕は楽になりたかったんだ……」


 彼女の優しさに甘え、自分の歪んだ思想を肯定してもらって楽になりたかったのだ。


 何が『ユネを守る』だ。


 何が『如何なる犠牲でも厭わない』だ。


 孤高を気取ってはみたものの、それはただの子供じみた格好つけ。

 結局、孤独に耐え兼ね、彼女の優しさに縋っているだけじゃないか。


「なるほど……実に浅ましい生き物だね……僕は……」

「そんな悲しい顔をしないでください……私はマスターみたいに頭が良くないので、あなたが何を考えているのか、全部は分かりません……」


 目を伏せる僕を見つめる彼女の赤い瞳は、やはり優しい輝きを帯びていた。

 でも、と声を繋ぎ、言葉を続けるユネ。


「あなたの意志が生み出したものなら、それはあなたのかけら(・・・)です……それがどんなにいびつなものだとしても、どんなにおぞましい形をしたものだとしても……私はそれを肯定し、あなたの隣にいます……」


 僕の意志が生み出したもの――そして、この先の遠い未来に生み出すもの――。

 ユネの言葉は続く。


「私に命を与えてくれて、私を愛してくれたあなたのことを……私もまた愛しているのですから……」


 ユネは囁くようにそう言うと、自分の額を僕の額にくっつけた。

 陽だまりのような温かさを額に感じる。


「あなたはひとりじゃありません……私が隣にいます……」


 ゆっくり、ひとつひとつの言葉を紡ぐユネ。


「世界のすべてがあなたに剣を向けたとしても……世界のすべてがあなたを否定したとしても……私はあなたを肯定します……」


 それは麻薬のように身体を侵す言葉。


「だから、ね……ますたー……」


 ユネは囁くようにそう言うと、


「だいじょうぶ……です……」


 優しい微笑みを残して、小さく寝息を立て始めた。

 彼女の髪に触れてみると、細く綺麗な髪が掌を撫でて流れて行った。


 ユネが睦言のように紡いだ言葉を反芻する。

 『私はあなたの全てを肯定する』――その言葉が、僕の心に柔らかな爪痕を残していた。


 縋りたい。何もかもを打ち明けて、彼女の優しさに縋ってしまいたい。

 そうすればきっと、言葉通りに彼女は僕の全てを肯定してくれるのだろう。

 『大変だったんですね』、『辛かったですね』、『もう大丈夫ですよ』――そんな優しい言葉をかけて僕を抱きしめてくれるに違いない――たとえ、どんなにおぞましい決断を僕が下したのだとしても、それは変わらない。


 ユネは優しい人間だ。

 この優しくない世界においてもなお、それは変わらない。

 僕だけではない他人の心を想い、喜び、悲しむことのできる正しい人間だ。


 そんな彼女の正しさこそ、僕の守りたいもの。




 だから――罪を背負うのは、正しくない僕だけで良い。





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