第十一話 『亡国の武士団』
白と紺を基調とした戦装束のユネと、白銀の鎧を身に纏ったアルフレドが走る。
中央広場に繋がる下り坂を抜け、南門へ走る目抜き通りを駆け抜ける。
人通りの少ない人間の住宅区とは異なり、昼下がりの目抜き通りはいつもの喧騒に包まれていた。しかし、外の異変が伝わってきているのか、その喧騒の質は常とは少し違うように感じられた。
リィベルラントを囲む外壁は五メートルと低い。元々、戦闘を主眼に置いていない設計であるためだ。中規模程度の魔物の集団なら対処できるだろうが、亜人達の武装集団に対処できるのかは不明である。もちろんまだ衝突が確定したわけではないが。
二人が南門から外に出ると、少数の人間と大勢の亜人が互いに武装し、少しの距離を保って対峙している光景が目に入ってきた。
騒動の中央、千にも及ぶであろう視線の先には二つの人影。
一人は言わずもがな、この炎天下の中、野暮ったさ全開な白い外套を羽織った青年――ヒビキである。漆黒の髪を湛えた青年はいつもの飄々さはどこへやら、その深紅の眼を困ったように細め、頭の後ろを掻いていた。
対峙するもう一人は、和風な鎧で身を固めた偉丈夫の男性。
特徴的なのは黒髪を湛えた額の左右から延びる二本の白い角だ。
その角は外見的な威圧だけではなく、マナを鋭敏に感じ取る知覚器官としても機能する魔術師の触角でもある。
彼等は先天的な魔術の素養に加え、強靭な身体能力を秘めた天性の武芸者。
主に仕え、身命を賭して忠義を尽くす勇猛なる兵。
クォーツに滅ぼされた東方島嶼域の武者達――鬼人族である。
「某、この武士団の頭を務めているフウライと申す者だ」
「あー、えーと、ヒビキです。この街の代表を務めています」
東方島嶼域の挨拶は握手ではなくお辞儀である。青年と中年の間のような中途半端な年頃の男性――フウライさんに釣られ、僕は頭を下げた。
「えー、それでフウライさん達はこの街にどのような……ご用件で?」
歯切れの悪い返答になっているのは情報収集が追い付かないためである。
レスタール王国の偉い人から再度届いた書簡に目を通している最中、街の外壁を警備している自警団からの報告を受けた。急いで来てみれば、大挙して押し寄せて来たフウライさん達の姿があった。いまここ。
鬼人達の軍勢――武士団の数は千人を超える大規模な集団だった。
武装状態で横に展開し、僕達と直接対峙しているのが三百人、後ろでこちらの様子を見守っている非戦闘員が七百人程だろうか。見た限り、全員が額から一本か二本の角を生やしており、鬼人族であることが分かる。
「我らは東方島嶼域――アキツ皇国カザン領に封ぜられた武者と領民達の生き残りだ。此度の『くをうつ』達との戦役にてこの大陸に逃れてきた」
「彼の島国が占領されたのは三年前……西アカーナ大陸陥落と同時期のはずです。何故、今の時期になってこちらに?」
東方島嶼域はフォルセニア大陸の東方、東西アカーナ大陸の南東に位置する島国だ。彼らが身に着けている着物を見れば分かるように、中世の和風テイストに彩られた地域であり、鬼人達が主要構成民族の国家である。
「武士団とは言うが、市井の民も多くいる。その者達を養い、宮様が逃れたという『ああれすと大陸』に渡るための銭を傭兵業で稼いでいたのだ。そんな我等も先日の『ねすと』攻略に失敗し半壊してしまった」
僕達を取り囲む鬼人達を見ればなるほど、傭兵と言うよりも敗残兵と言う方がしっくりくる。
フウライさんを始め、戦闘員の皆の装備は酷く傷ついているし、疲労の色も濃い。彼らの後ろにある荷車の中には、僅かな家財道具の隙間に負傷した鬼人達が押し込められていた。
「……この有様では傭兵として稼ぐ事は出来ぬ。女子供を養うため、野盗に成り下がる未来も考えたが、前線の街でとある噂を聞いたのだ。『大陸の向こう側に流民達を受け入れている人間の街がある』と言う噂を」
「あぁ、なるほど……それでこの街に庇護を求めたいと」
僕の言葉にフウライさんが頷く。
最近こんなのばっかだな、と溜息が出た。流石にこの規模の流民は初めてだが。
それにしても、前線からこの街まで数百キロの距離があるのによく決心したのものだと思う。多くの脱落者も出ただろうに。
「も、もちろん見返りは払うつもりだ! 女子供達に飯を食わせてくれたのなら、男手は幾らでも使ってくれて良い! 武士だけではなく、名のある刀工や大工だっている!」
「……いくらでも?」
「ああ! いくらでもだ!! 我ら鬼人族は天性の武芸者だ。人間には及ばぬが、長殿の期待以上の戦働きをしてみせよう!」
「おおう……」
実に魅力的な提案である。
先日の会談で、この街の主導権を取り戻せなかった僕にとって、彼らが配下に加わることは非常に頼もしい。
今の僕に足りないのは手駒の数だ。クォーツとの戦闘は期待できないとしても、この街の治安を維持するための力――自治会配下の自警団に対抗する戦力が手に入るというだけでも十分すぎる収穫だ。
「なるほど。そういうことなら、この街は貴方達を――」
「なりませんぞ、ヒビキ様」
頷く直前、老獪な響きを持った声にそれを阻まれ、僕は小さく舌打ちをする。
捻れた羊の角を持った獣人――コンラッドさんが、配下の自警団の隊員を後ろに引っ提げ、僕の傍らに歩み寄ってきた。
「コンラッドさん……この街を守る戦力が増えるのは、貴方にとっても望むべきことだと思いますが?」
「いやはや、仰る通りこの街の秩序の維持が第一にございます」
コンラッドさんは余裕のある笑みを崩さない。
温和な笑みの裏側に隠されたのは、冷徹に利益を目論む商人の顔である。羊の皮を被った狼とはよく言ったものだ。
「ヒビキ様、この街の現在の人口をご存知ですか?」
「先週末時点だと確か――」
「昨日時点で8,325人にございます」
「……」
さらりと答えられ、立つ瀬も無い。
コンラッドさんの滔々とした言葉が続く。
「鬼人様方のご心中は察します。しかしながら、鬼人様方は千人を超える大人数――この街の人口の一割を超える大所帯にございます。そんな彼等を一度に受け入れたのなら、社会不安を招くリスクを抱えることになります」
彼の言葉はもっともだ。この街としては、いきなり大人数を受け入れるというリスクを抱え込みたくはない。それと同時に、こちらの手駒を増やさせたくはないという冷徹な商人の理性も働いているだろう。
「この街は数多の混乱を乗り越え、ようやく秩序ある状態――言うなれば『清廉な水』の状態になりました。しかし、その水の中に一割も泥水を入れたのなら、それは泥水へと逆戻りにございます」
「貴様……! 我々が薄汚い泥水だとでも言うのか!?」
「まさか、物の例えにございます。お気に障るのでしたら『砂礫に混ざった金の粒』の例えでも宜しいですよ?」
「ぐぬ……っ」
口先の勝負ではやはり商人のコンラッドさんに分があるのか、フウライさんが苦々しい顔をして押し黙った。人のことを言えたものではないがよく回る口である。
個人的にはフウライさん達のことは受け入れたい。しかし、コンラッドさんを説き伏せる材料――リスクを上回るメリットを提示できるだけの材料も持ち合わせてはいない。
「頼む! 後生だ!! せめて女子供だけでも受け入れてやってはくれないか!?」
フウライさんが大きな体躯を地面に臥せ懇願する。額を地に着けての言葉は切なる願いの響きを宿していた。
「受け入れてくれると言うのなら、某の身体はどのように使ってもらっても構わぬ! 手だけで足りぬなら、この角だって差し出そう! 鬼人の角は、あらゆる傷を治す妙薬の材料になると聞く! もちろんこの命だって好きに使ってくれて構わない!」
ああ――この人は正しい人だ。
ユネのように、自分の損得は抜きにして人の幸せを願う事のできる人だ。
かと言って、彼を拒絶するコンラッドさんも正しい。冷徹な商人としての性はあるが、彼が求める利益と、今この街で生活を送る人々の幸福は同義である。
彼もそれを理解しているのだろう。絶対に引かないという強い意志がその瞳から見て取れた。
「故に、重ねて頼み申す……後生だ……!!」
「ヒビキ様……なりませぬぞ」
コンラッドさんの『この街の皆を守ること』。
フウライさんの『鬼人族の皆を守ること』。
その二つはどちらも正しいことだ。ただ、両立することができないだけ。
異なる二つの『正義』がせめぎあう中、この場にただ一人だけ、完全なる私利私欲で動いている『悪』が存在する。
さあ誰だろう。
僕である。
ユネの安寧さえ守れればそれで良い。
それさえ成し得れば他のことはどうでも良い、と思っている僕である。
「後生だ……後生だ……!!」
「ヒビキ様! なりませぬ!!」
僕の顔面には、まるで『悲痛な判断をすることになって心を痛めています』と言わんばかりの表情が貼りついていた。もちろん偽りである。
実際、頭の中では、僕の打算的な性格の大本であるそろばんが高速で弾かれていた。
現状を構成する無数の要素を再確認し、彼らの受け入れた場合のメリット・デメリットを勘案し、この場の切り抜け方から今後の身の振り方までが、頭の中で高速にプロットされる。
この場においても実に主人想いな、ひとでなしの脳みそである。実に素敵だ。
その結果、僕が導き出した答えは――。
「……貴方達を受け入れることはできません」
きっと僕の顔面は、想定通りの感情を正しく象っていることだろう。
「……っ」
「……ご英断にございます」
頭を下げる僕の両袖を、フウライさんが縋るように握ってくる。
「頼む……! 傷病人だけではなく、身重の女子や乳飲み子もいるのだ……このまま帰されたのなら、その旅路の中、百を超える死者が出ることだろう……だから!!」
彼の言葉が爪を立てる。僕の中に残された、ひとかけらの『良心』と言う名の迷いに。
爪跡から染み出してくる、例えようのないじわりとした感情が思考を侵す前、僕はフウライさんに頭を下げた。
「すみません。それでも貴方達をこの街に受け入れることはできません」
フウライさんの表情が悲痛に歪んだ。
僕の袖を掴んだ両腕はそのまま、黒髪に覆われた頭を深く垂れ。
「そう、か……」
と、崩れ落ちた。
街として受け入れることは出来ない。しかし、個人として援助することは可能だ。
これからの逃避行に耐えられる程度の食料や医薬品程度なら、ピーター商会名義で融通しても良いだろう。
それを伝えようと、足元に蹲るフウライさんに顔を向けたその時、視界の端に銀色に光る何かがあった。
風切り音。
フウライさんの後ろに控える鬼人族の誰かが、僕に向かって矢を放ったのだ。
気づいたときにはもう遅い。
その矢はコンマ数秒を置いて、僕の左の眼窩から後頭部までを一直線に貫く。
「――っ!!」
その直前、横から飛び込んで来たユネが、眼前数センチに迫った矢をわしづかみにした。
「ひ……」
「だ、だだだ大丈夫ですか、マスター……?」
僕の情けない声と、僕以上にテンパったユネの声。
本人の動揺っぷりから見ても、矢が放たれたことを見破って動いたと言う訳ではなく、なんとなく身体が動いたような、そんな様子である。
そんな彼女のなんとなくに救われたのだから、間一髪と言うに他無い。この前『弾丸でも切れる』と言ったユネの言葉はあながち嘘では無かったのかもしれない。
「た、頼む、助けてくれぇ!!」
「もう食料も底をついたんだ! これでまたあの草原を渡るなんて出来やしねぇ!!」
「お願い子供だけでも! 子供だけでもっ!!」
「街に! 街に入れてくれぇぇぇ!!」
放たれた矢が射抜いたのは僕の頭ではなく、彼等自身の緊張だった。
堰を切ったかのように鬼人達の集団に動揺が広がる。
怒号を上げる者。泣き叫ぶ者。ただただやり場のない感情で声を張り上げる者。
目前に迫った安住の地――その扉が目の前で閉められたのだから無理も無い。
「待って下さい! 何もせずただ追い返すという訳では!」
「やめんか、皆の者! 静まれ! 静まらんかぁっ!!」
僕の言葉もフウライさんの怒号も焼け石に水だ。
動揺は波紋のように鬼人達全体に伝わり、やがてそれは恐慌となって彼ら全てを揺るがした。
怒り、悲しみ、恐怖、諦め。
瞬く間に醸成されたマイナスの感情が向かう先はただひとつ――僕達である。
そして最悪の事態に発展する。
恐慌に煽られ武器を抜き放った一団が、後ろに展開していた自警団の集団と衝突したのだ。
火蓋が切られてしまえばあとは燃え盛るしかない。
僕達リィベルラント勢力と、フウライさんの武士団の乱戦が始まった。




