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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第九話  『天秤を守る者、揺らす者(下)』



 社長室の隣にある応接室に通された後、そこで僕達を待っていたのは三人の獣人だった。一人は見てくれの良いローブを羽織った商人で、後の二人は護衛だろう。使い古された剣を佩いている。


「おお、貴方がヒビキ様ですかな。お目通り叶い光栄に思います」


 羊のように捻れた角を持った中年の商人が僕手を求めてきた。建前とは言え、差し出された友好はとりあえず受けておくスタンスなので、僕はそれに応じた。


「ヒビキです。この街の代表を務めています」

「私はコンラッド。レスタール王国最東部の街で商いを営んでいた商人であります」

「最東部――やはり貴方達もクォーツ達の侵攻を受けてこの街に?」


 僕の問いに羊角の商人――コンラッドさんは頷いた。

 クォーツ戦役での現在の最前線は、ロスフォルの大叢海(だいそうかい)の東部にある。その更に東側に位置する彼の街は既にクォーツ達によって滅ぼされていた。東部の大山脈には武具の原料にもなる鉱石が採掘されていたのに、稼ぐ機会を逃してしまいましたよ、と彼は苦笑した。


「現在はこの街で食料品を商っており、その伝でこの街――リィベルラントにおける『自治会』の会長の任を授かっております」

「自治会……流民達による互助会という話は聞いていますが……」


 シェリーさんに目配せすると彼女が補足した。


「この街は『風見鶏のとまりぎ』のホームではありますが、同時に故郷を無くした流民達の住む街でもありますぅ。私達とは別に、この街の自治運営――自警団やら消防団、各種商売の顔利きを担っている組織ですよぉ……」


 以前とは比べ物にならない程多くの亜人達が住むようになったのがこの街――リィベルラントである。

 僕達『風見鶏のとまりぎ』の人員も増えたが、街に常駐しているメンバーは五十人程。そんな少人数でよく一万人に迫る人口の街を切り盛りできるものだと感心していたが、彼らの存在によるものが大きいらしい。


「なるほど……それで本日はどのようなご用向きで? ただのご挨拶だけでは無いとお見受けしますが」

「ほほ、商人のようにお話が早くて助かります。時の空隙には金貨が挟まっていると申しますからな。王国の貴人様相手では、こうもすんなりと話が通りませぬ」


 コンラッドさんが朗らかに笑う。

 彼の後ろに立つ護衛二名は、大柄な体をぴくりとも動かさないまま前を見つめていた。まさに護衛の鑑である。僕の護衛役も兼ねる術法剣士と始原魔術師の二人は、僕の両隣に座って暢気に紅茶を啜っていると言うのに。


 にこやかな笑顔で表情を飾っていたコンラッドさんは突然神妙な面持ちになり、僕達に向かって深く頭を垂れた。


「人間の皆様におかれましては、この度のクォーツ侵攻鎮圧へのご尽力と共に、故郷を失った私達市民に再びの寄る辺を与えて下さり、感謝の言葉もございません。この街の市民(・・)全員に代わりこの上ない御礼を申し上げます」


 話が早くて助かると言った傍から、長い謝辞が述べられた。

 恐らく次の話への布石だろう。具体的には何か要求が来るとみて間違いはない。


「こちらもこれまでの自治会のご協力に感謝します。多数の住民がいるのにも関わらず、街の秩序を維持することが出来たのは、あなた方のご助力の賜物に他有りません――今後とも変わらずのご協力(・・・)をお願いいたします」


 とりあえず牽制がてら釘を刺してみた。あくまでこの街の運営の主体は僕達にあり、自治会はそれに協力しているに過ぎない、と言うニュアンスを込めて。

 その言葉の意味する所が汲み取れたのか、コンラッドさんは彫りの深い顔を破顔させた。


「ははは、ヒビキ様は目端が利き過ぎていらっしゃるご様子。何も今までの働きに見合った金品をねだりに、この場に馳せ参じたわけではございませぬ」


 僕の言葉の意味を察しながらも、コンラッドさんは笑顔を崩さない。


「ヒビキ様は、この街の胃袋を賄うため、日々レスタール王国よりどれだけの品物が舞い込んできているかご存知ですかな?」


 知らないと答える前、シェリーさんがすかさず資料の束をパスしてきた。マークされた数字だけ目を通すと、廃プレイヤーの金銭感覚を以ってしてでも、かなり大きな金額の物品が流れてきていることが分かる。


 この街の生産は少ない。僕達がEGF時代から持ち越している物品とユグドラシル・イリスがもたらす恵みはあるが、この人口一万人の消費を満たすのには到底足りない。

 今回の騒動を受け、街の外側で農業を営む者も出てきていると聞くが、それも微々たるものであり、残りの大部分を満たすのは、レスタール王国から流れて来る膨大な量の物品である。

 これらの物品は王国の商人から、ピーター商会を初めとする商人が買い取り、この街の亜人達に販売されている。

 そこに『風見鶏のとまりぎ』という組織による規制は何も存在しない。それは、この街が蓄えている富が、商人を通じて王国に流れていること意味していた。


 つまり――。


「外から流入してくる物品にマージンを乗せろ……関税を取れと仰っていますか?」


 あまりにも分かりにくい。僕もピーターさんの悪事に巻き込まれた経験が無かったら全く分からない所だった。


「いやはや、ご明察でございます。さすが『天秤の支配者』カンザキ様の盟友たるヒビキ様のご慧眼であられますな」


 そして、この話の流れで金品が目的では無いとすると、その要求はただひとつに定まる。


「そして、貴方達が欲しているのはこの関税の設定権――つまり、直接的な金品ではなく、利権を寄越せと?」

「いやいや、あくまで関税設定の主体は『風見鶏のとまりぎ』にございます。私共が請け負うのは、入ってくる品物に対する徴税業務の請負のみ――もちろん、その際に多少の(・・・)マージンはいただきますが」


 つまり関税を、僕達『風見鶏のとまりぎ』分と、コンラッドさん側『自治会』分の二重構造にしろと言っている。しかも責任の主体はこちらに残したまま――美味しい所は一緒にいただくが、何かあったら僕達が悪い、と言うことである。


「いえ、それは困りますねぇ……この土地は実効支配する国家が無いとは言え、レスタール王国の領土に隣接した土地ですぅ……」


 シェリーさんもそれを理解しているのか、顔色の悪い表情をさらに青くさせながら、コンラッドさんに反論する。


「そんな微妙な位置にあるこの街で、主権国家の権限たる関税なんて設定した日には、王国からの反発は間違いなしでしょう……独立保障の後ろ盾が無い状況で、さすがにそれはぁ……」


 リィベルラントは無人の土地に建てられた街である。誰も使ってないからここは僕達の土地です、と言っているだけであり、隣接するレスタール王国と公的な取り決めをしたわけではない。

 そんな中、王国から入ってくる品物に対して、ある日突然『お金貰いまーす』などと言った日には、王国からの心証は間違いなく悪化するだろう。

 クォーツだけではなく、王国も敵に回すのは悪手が過ぎる。


「彼女の言う通り、目先の金子に目が眩み、王国との間に火種を拵える真似はしたくありません」

「ふむ……提案としては少し旨味が足りませんかな?」

「美味しい思いをするためにこの街を作ったわけではないので……ただ――」


 と、一拍置いて、僕は剣呑な表情でコンラッドさんを見つめた。


「――ただ、この街の在り方に土足で踏み入ろうとする貴方の姿勢に腹が立つ」


 嘘である。腹なんか微塵も立てていない。


 この街を作った理由――EGF時代のノリと勢い、ただそれだけである。高尚な目的などあったわけでも無く、ただの遊び場に過ぎなかったのだから。

 僕個人としては、今後の動きが楽になるのならコンラッドさんに任せてしまっても良いと思っている。

 しかし、現実世界に帰る場所のある僕やまかろんとは違い、ユネ達フェローにとってはこの街はかけがえのない寄る辺――故郷である。そんな故郷の全てを、ぽっと出のよそ者なんぞに託してしまったら。


「……マスター?」


 ――たぶんユネは少し寂しそうな顔をする。


 それ以上に僕に動機を与える理由なんて存在しない。だから彼の提案を受け入れるわけにはいかないのだ。


「いやはや、商談の場に感情論を持ち込まれるとは思っていませんでした。もっとヒビキ様は理知的なお方だと思いました……いや、それも計算の内なら恐ろしいものですが」


 感情論の全てが悪だと断じるつもりは無い。

 とりわけ、『拒絶』の意思を表す際にはこれ以上ない威力を発揮する。どんな緻密な論理を用いたとしても、損得を考えること自体を放棄しているのだから。

 それを理解しているコンラッドさんの笑みが引きつった。


「では、言葉と言う文明的な手段での交渉が決裂したとなると――」


 その言葉で、彼もやはり血の気が多い獣人だったということを理解した。


「――後ろのお二方の威を以って、ご自分の望みを通されますか?」

「左様にございます」


 彼が片手を上げた瞬間、後ろに控えていた護衛の二人が動いた。

 流れるような抜刀の動作。クォーツとの戦いを乗り越えた歴戦の猛者なのだろう。

 驚異的な身体能力を持つ獣人の速度に、ただの弱小プレイヤーである僕が対応するのは不可能だ。

 身体はピクリとも動かず、辛うじて視界に入ってきたのは、僕の首に向かって走らされた黒鉄の軌跡のみ。


 僕の首が一対の斬撃に切り裂かれる寸前、左右に座る二つの小柄な影が動いた。


「――っ!!」

「――ん」


 衝撃音。


 二つの剣は僕の首に達することは無かった。

 見上げれば、その内の一本が刀身を切り飛ばされた(・・・・・・・・・・)状態で天井に突き刺さっていた。


「マスター、ご無事ですか!?」


 片膝を立てた状態で銀剣を抜き放ったユネが聞いてきた。

 彼等が剣を抜いたその一瞬で、立てかけてあった剣を抜き放ち、迫る相手の剣を切り飛ばしたのだろう。相変わらず常軌を逸した速さである。


 もう一人の獣人は剣を振り抜く途中、その動きを完全に停止させていた。

 その剣の表面に蠢く何かがあった。剣に巻き付いていたのは琥珀色をした液体――紅茶で生成された蛇(・・・・・・・・・)が、彼の喉笛に浅く牙を突き立てていた。

 『紅茶の蛇』の尻尾は、右隣に座るまかろんのティーカップに浸されており、彼女が使用した魔術であることは明白だった。


「瞬間発現の簡易術式ですが、動体検知機能を組み込んでいます。五センチ以上動いた場合、喉を喰い破りますよ」


 カップに手を添えたまま、無感情な口調でまかろんが言った。


「止めてくださいねぇ……この部屋の絨毯、社長のお気に入りなのでぇ……」


 シェリーさんは目の前で繰り広げられた鉄火場よりも、足元の絨毯の行く末の方が気になるようだ。彼女も彼女で、やはりピーターさんのフェローなのである。


「先に抜いたのはそちらですよ?」

「……言葉もありませんな。さすが噂に聞くお二方でございます。歴戦の兵たるこの者等の奇襲ですら、児戯のようにいなしますか」


 コンラッドさんは護衛の二名に剣を納めさせると溜息を吐いた。


「この場を武力を以って穢した罪、いかなる裁定にも応じるつもりでございます」

「……罪には問えません。自治会の今後も変わらないご協力を期待します」

「賢明なご判断にございます。また近くご会談の場を設けさせていただく故、その折に……」


 頭を垂れたコンラッドさんは、気を負った素振りを見せることなく部屋を後にした。


「あの……マスター、良かったんですか?」


 そのまま帰して良かったのか、と聞いてきたユネに僕は苦笑した。


「僕を斬ろうとしたのはたぶんブラフだよ」

「えっ、えっ、そうなんですか!? 私はてっきりコンラッドさんがマスターの地位を力尽くで奪おうとしたのかと……」

「あはは、力尽くでこの街のトップの座を簒奪したんじゃ、君達も納得しないでしょ? もちろんこっちがボコボコにやり返しても色々カドが立つし……ユネは大丈夫だと思ってたけど、まかろんが本気出さなくて良かった……」

「ヒビキさんがやれと言えばやります」

「やめて、ほんとにやめて」


 恐らくコンラッドさんも、こちらが本気で反撃しないことを見越して仕掛けて来たと見て間違い無いだろう。


「向こうとしては、自治会の存在を黙認している今の状態を維持するだけで勝ちなんだよ。関税利権も認めさせて大勝利と行きたかったみたいだけど、さすがにそこまでさせるわけにはねぇ……」


 疲れたようにソファに背を預けた僕の説明に、ユネはまだいまいち釈然としないようだ。何度も首を捻っている。


「え……じゃあさっきの襲撃は?」

「自治会の存在を認めるって言う現状から議論を発展させないために、喧嘩別れっていう形で、穏便にこの場を締めるための手段だよ。つまり、剣を抜かれた時点でこちらの負けなのさ」

「穏便じゃない……全然穏便じゃないですよぅ……」


 どっちつかずのまま有耶無耶な状態で議論を終えるよりは、よほど綺麗な終わり方だと思うのだが気のせいだろうか。


「今回の件、シェリーさんはどう見ます?」

「彼は『自治会の黙認』と『関税利権』と言う二つのパイのうち、まず『自治会の黙認』の方を手に入れましたぁ……ついでに『関税利権』の方にも手を伸ばそうとしましたが、ヒビキ様の抵抗に遭って断念……」

「せめて『自治会の黙認』と言うパイの所有権を確定するために、早々に議論を打ち切るため剣を振るった――ってところかな……振り返ってみると、コンラッドさんの手の上で転がされてた気がしないでもないね」

「えぇ……完敗ですねぇ……」

「だよねぇ……やっぱり経験には敵わないのかな……」


 ぬるくなった紅茶を啜りながら総評したシェリーさんに僕は苦笑した。


「まぁ、これまでの噂を聞く限り、コンラッドさんが悪徳商人ではないということだけが救いですねぇ。あの方は自分のやり方でこの街を良くしようと思っているみたいですし……まぁ、やり方はアレですがぁ……」

「それって、僕達よりも自分の方が上手くこの街を回せるって言ってるんだよね……まぁ、その通りかもしれないけどさ……」


 やはりこの世界は何もかもが変わってしまった。

 EGF時代は世界観の添え物に過ぎなかったNPC――亜人達が、確固たる意志と目的を以って、甘言蜜語を弄して僕達に取り入って来ようとしている。

 クォーツとの無理ゲー気味な戦略シミュレーションもさることながら、亜人相手の政治シミュレーションなんて冗談じゃない、と僕は溜息を吐いた。


「……まぁ、やりようはあるさ」





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