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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第六話  『メープル色のおつきあい』



 予定よりも会議が長くなったため、太陽は既に中天を指していた。


 じめじめと不快な日本の夏とは違い、フォルセニア大陸の湿度は低くからりとしているので過ごしやすい。しかし、真昼ともなると流石に文句の一つも言いたくなる程度の暑さにはなる。


 会議を終えた後、まかろんに付き合い礼拝堂に赴いた。未だ死の淵にあるりっちゃん達に停滞術法(ステイシス・スフィア)を施すためだ。それも終わり、今はまかろんとユネの三人で昼食を取りに外へと出た所である。


 館から南に延びる大通りに面した『おこめ食堂』のテラス席。ここはおかゆさんのマスターである『おこめ・オートミール』さんが店長を務める食堂だ。彼はエヴァーガーデンに帰還していないため、今は店長代理としておかゆさんが店を切り盛りしているらしい。

 お昼の掻き入れ時。ほうほうの体のおかゆさんからメニューを受け取った後、未だ口をへの字に曲げるユネに声をかけた。


「ユネ、まださっきのこと気にしてるの? 当のまかろんは平然としてるのに、何で君が動揺してるのさ。ねぇ、まかろん?」

「はい、おかしいことなど何もありません」

「何もかもがおかしいですっ! マスターとまかろん様は、とても素敵な男の人と女の人で、とってもお似合いだと思うんですけど! 思うんですけど! ですけどもね!」


 やきもちを焼かれているのか、応援されているのかよく分からない。

 天下の往来でこんな恥ずかしい場面は見せられない。何とか言いくるめないと。


「初めてじゃないし、そんなに慌てることじゃないよ」

「初めてじゃないって、前にも似たようなことがあったってことですか!?」

「やべぇ、失言した」


 無事地雷を踏んだようである。


 口数は少ないが色んな意味でぶっ飛んでいるまかろん。そんな彼女とは似たようなイベントを色々経験している。

 地雷は踏むまいと気を付けていたつもりが、今回は見事に踏み抜いたようだった。

 日頃からユネのことを好き好き言っているので、それが形だけの言葉になっていないか不安になっているのかもしれない。ユネを安心させるよう、僕はさわやかに笑った。


「大丈夫、僕はユネの裸にしか興奮しないから」

「ごぽっ!? げほっげほっ!!」


 コップに口を着けていたユネが盛大に噴き出した。


「けほっ……全然だいじょばないです……いえ、私の体で喜んでくれるのは嬉しいんですけど――ってそういうことじゃないですよぅ……」


 勝手に自爆したユネが、赤くなった顔を両手で覆う。

 そんなユネに、昔あったまかろんとの色々(・・)も、今回と似たシチュエーションでそれ以上は無いことを伝えると、彼女は不承不承と言った感じで納得した。もう地雷は踏むまい。

 まかろんは、そんな僕達のやり取りにも全く動じずメニューの選定中。目の前での痴話喧嘩などまるで興味の無さそうな、相変わらずの無表情であった。


 外を見れば、正午の大通りの往来は更に激しくなってきており、花束を抱えた女性が店の前を歩いて行くのが見えた。

 花を見て思い当たることがあったのか、ユネが手槌を打った。


「りっちゃん様達に、お供え物を買って行かないといけませんね」

「死んでない。まだ死んでないから……」


 現在も館の礼拝堂で眠り続ける四人のプレイヤー――りっちゃん、漆黒さん、ジョンさん、ピーターさん――彼女達はEGF時代で言う所の『散魂』と言うステータス異常に近い状態にある。

 容体が進行した後に訪れるのは完全なる『死亡』状態であり、ここまで進行すれば蘇生する手段は無い。


「毎日決められた時間に魔力を込めに行くのって辛くない? いや、大切なことなのは分かっているんだけど……」

「時間的、空間的な拘束があるので効率的ではありませんね」

「だからと言って、止めるわけにもいかないんだよね……」


 その散魂状態から死亡状態への移行を防ぐため、まかろんは、散魂状態の時間進行を停止させる『ステイシス・スフィア』と言う始原魔術系の技能(アーツ)を彼女達に施すことを日課としていた。


「現在、私自身が術を施さなくても良いよう、ステイシス・スフィアの時限発動装置を作成しています。術珠ベースなので持続時間に問題がありますが、数を揃えればその問題も解決できるでしょう」

「おー、それはすごい。完成したら君も戦線復帰だね。心強いよ、ウェーイ!」

「うぇーい」


 と、まかろんとハイタッチする。例によって彼女の表情筋はぴくりとも動いていなかったが、意外とノリは良いのである。


 しばらくの歓談の後、頼んだメニューがテーブルの上に並べられた。おかゆさんが死にそうな顔をしながら皿を持ってきたが、料理のクォリティ自体は高い。

 僕とユネの前には同じ川海老のパスタが置かれ、まかろんの前には果たしてそれは昼食なのだろうか――クリームがふんだんに盛られたパンケーキが置かれた。


「旧盆の季節なのでデザートメニューに御萩がありますね」


 食事よりも先にデザートメニューを眺めていたまかろんが呟いた。どれだけ甘いのが好きなのだろうか。


「りっちゃん様達に買っていきますか?」

「だから死んでないって……」


 さすがりっちゃん。博愛という言葉を人の形に捏ね上げたようなユネに対して、どれだけの敵視(ヘイト)を稼いでいたのであろうか。防御役(タンク)のアルフも真っ青である。いや、冗談だとは思うけど。


「まかろんって、カロリー高いもの好きだよね」

「脳の動作には糖分が必要なので」


 親の仇のようにメープルシロップをぶっかけたパンケーキをゆっくりと咀嚼しながらまかろんが言う。絶対エネルギー摂取のためだけでは無いと思う。

 焼き加減は程よく、温められたシロップがクリームを溶かし、パンケーキの上にとろりとした光沢を与えていた。実に甘そう――もとい美味しそうである。


「召し上がりますか?」


 別に物欲しそうに見ていたわけではないが、僕の視線に気づいたのかパンケーキの一切れを差し出してきた。


「いいのかい。それじゃあ遠慮なく――」


 差し出されたフォークを受け取ろうと手を伸ばすと、


「あ」


 まかろんは自動発声ソフトで一文字タイプしたような声を上げて、パンケーキを引っ込めた。そのまま三秒。


「あー」


 サンプル音声のような声を上げ空を仰いで三秒。故障だろうか。

 ユネはそんな彼女の様子を見て、頭にはてなマークを浮かべている。


 そして、視線をこちらに戻して更に一秒置き、


あーん(・・・)


 フォークをこちらの口元に運んできた。ご丁寧にもう片方の手を下に添えて。


「ぬおっ!?」

「くぴゅっ!?」


 僕の驚く声と、ユネがパスタを気道に詰まらせた音。

 僕とユネの驚愕の理由はまかろんの行為そのものより、彼女の表情にあった、


 まかろんの笑顔(・・・・・・・)である。

 もう、すごい笑顔である。悪い意味で。


 ぎぎぎ(・・・)とかそういう効果音が立ちそうなぎこちない笑顔。何と言うか、フィギュアの表情差分(パーツ)をそのまま挿げ替えたような不自然さがあった。

 普段から無表情を貫き通している分、表情が変化した際の違和感が半端ない。日頃の行いは大事である。


 流石に突き出されたフォークをそのまま突き返すわけにもいかないので、パンケーキは大人しく口でいただくことにした。見た目に違わずゲロ甘だった。


「いけませんね。今朝は表情筋のマッサージをしていなかったので、顔が固まってしまいました」


 既に素の表情に戻ったまかろんは、両手で口角を上げ下げしている。

 毎朝そんなことしてたのか。まぁ、彼女の場合、マッサージでもして刺激しないと本格的に表情筋が死ぬから仕方がない。


「何で急にこんなことしたの? 君らしくも無い……いや、逆に君らしいのかもしれないけど……」

「私からヒビキさんへの好意的感情に基づく給餌法――即ち『あーん』が、どの程度ヒビキさんに効果あるのか確認したかっただけです。私の性能不足で上手くはいきませんでしたが」

「好意って……えっ?」


 ユネが首を傾げた。


「被験者イコール観測者って言うのがそもそも問題だねぇ」

「データは取れましたので、もう少し性能を上げてからまた挑戦します」

「えぇ、またやるの……僕にはユネがいるんだけど……」

「すとっぷ! すとーっぷ! です!」


 暢気に食事を続ける僕とまかろんの間にユネが割って入った。両手をわたわたと面白く動かして、彼女が聞いてくる。


「好意って、誰から誰に……です?」

「私から」

「僕に」


 僕とまかろんは自分を指差す。


「「「……え?」」」


 全員が首を傾げた。僕とまかろんはユネに対して、ユネは僕達二人に対して。


 まかろんが僕に好意を抱いてくれているのは昔から――と言うか、一年ほど前、彼女の方から交際を申し込まれたのだ。


「僕はユネのことしか愛していないから、お付き合いするのはお断りしたけど」

「はい。ユネさんの可愛さを三十分以上に渡って力説された挙句、ばっさりと拒絶された時は、さすがの私も殺意を覚えました」

「君に殺意を抱かせるって僕も相当だね……そういうことだからこの話はおしまい。以上で閉廷です」

「控訴! 控訴します! と言うか、そんな『当然知ってると思うけど』って感じで言われても困ります!」


 いつになく食い下がってくるユネの姿を見て、いつも無表情なまかろんにしては珍しく眉をひそめてみせた。


「……ヒビキさん、以前私がヒビキさんに交際を申し込んだこと、まさかユネさんに言ってないんですか?」

「え、何を言っているんだいまかろん。そんなわけ――」


 と、一拍置いて気付いた。


「……やっべぇ」


 言っていなかった。本日二個目の地雷である。


 起爆させたのはまかろんであるが、仕込んだのは僕自身――紛うことなき自業自得である。

 一応、当時は最後のグランドクエストの準備でユネとすれ違うことが多くてタイミングが悪かったという理由もあるのだが、その後言わなかったのは完全に僕が悪い。

 我ながら、設置しておいて忘れている地雷の数が多すぎでは無かろうか。もう無いはずだけど流石にこうなってくると自信が無い。


「聞いてません! 聞いてませんよ!? と言うか、そういう微妙な関係にある中で、先程お二人は、お身体の鑑賞会されてたっていうんですか!? どうなってるんですか外の世界(にっぽん)!?」

「お身体の鑑賞会って、なんか生々しいね……」


 混乱するユネを落ち着かせながら、まかろんに助けを求めようと彼女に視線を移すと、普段よりも三割増しに凍り付いた視線が僕を射抜いていた。


 普段は主観的な感情を口にしないまかろん。

 そんな彼女が僕に投げかけた言葉は、


「最悪ですね」

「ぐぬっ!?」


 まかろんがユネの隣の席に座り、さめざめと泣く彼女の頭を優しく撫でる。


「ヒビキさんがリアルクソ童貞もとい、男女間の心の機微への配慮が欠けた人だと言うことを忘れていました。私からユネさんにお話ししておくべきでしたね。私もそういう文化には疎いもので……ごめんなさい」

「ふぇぇぇまかろんさまぁぁぁ……まかろん様もお辛かったんですねぇぇぇ……」


 見目麗しい少女二人が目の前で慰め合う光景。完全に僕が悪者である。


「悪者ですよ」

「はい、すみません……」


 それから散々謝り倒した結果、ユネの涙と鼻水を止めることに成功した。

 代償になったのは、常備している謝罪バリエーションのいくつかと、財布の中身――今回の会計は僕が持つことになった。


 一悶着あったが、とりあえずこの場は綺麗に収まった――収まったはずであった。ようやく騒ぎが収束したテーブルの上に、まかろんが余計な一言を投下しなければ。


「今回の軋轢の発端となった『あーん』をユネさんもすれば丸く収まると思います」

「まかろん、君って実は頭悪いでしょ?」


 汗一つかいていなかったが、この炎天下でさすがのまかろんの脳みそも相当やられているらしい。


「あの……さすがに私も、まかろん様の目の前でそれをやるのは恥ずかしいと言いますか……マスターと二人だけなら全然大丈夫なんですけど……」

「ユネさんはヒビキさんのこと好きじゃないんですか?」

「好きですけど! 好きですけども!!」

「好きなのにできないんですか? 本当は嫌いじゃないんですか? 本当にユネさんはヒビキさんのことを――」

「で、できますよ! できますとも! ま、任せてくださいまかろん様! 私が本物の『あーん』ってやつをマスターに味合わせてあげますよ!!」


 売り言葉に買い言葉。ちょろすぎではないかと色々心配になる。

 どこぞの美食家のような啖呵を切り、ふんすふんすと息を巻き、ついでにパスタも巻いたユネのフォークが僕に照準を定めた。

 諸悪の根源であるまかろんを見れば、こちらの惨状をまるで実験動物を観察するような冷たい瞳で眺めている。どうやら先程の実験の一環としてはめられたらしい。


「では、マスター……いざ……」

「『いざ』、じゃないよ。やめてよ恥ずかしい! いつもの自然な流れなら、涼しい顔して食べてあげられるけどね! まかろんのモルモットの交尾を観察するような冷たい瞳で見られながらだときついよ!?」

「め、召し上がってくださいマスター……私、あんなこと言った手前引っ込みがつきません! さあ! さあさあ!」

「あああああ! 某イーノ君(・・・・)の時みたいにそんな安請け合いするから、ユーゴさん達に『ちょろいん』って言われるんだよ!」

「遺憾です! 甚だ遺憾です!」


 涙目のユネが差し出したフォークの先がぷるぷると震えていた。そんな痛々しい『あーん』がどこにあるというのか。ここにあるぞ。

 流石にこれ以上のカオスは御免被るので、さっさとパスタを口に咥えた。


「お、おいしいですか、マスター?」

「美味しいね、だって同じメニューだもの」


 良かったです、と涙目でユネが笑う。今までの騒ぎを忘れたかのような彼女の笑顔に、これまで引きつりっぱなしだった僕の口角も僅かに緩んだ。

 隣のまかろんと言えば、


「なるほど」


 と、糸の切れたマリオネットのように『かくん』と頷いていた。


「何もわかりませんでした」

「……だろうね」


 優雅な昼食の時間だというのにどっと疲れが出た。

 元々人の好き嫌いなんて主観的な物だし、数値化してどうこう計るべきものでもないだろう。一体どういう意図があって、今回の行為に及んだのだろうか。


 まかろんは自分で砂糖を入れまくった紅茶を一口啜った後、


「甘いですね」


 と、上の唇を舐めて呟いた。





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