第四話 『まかろん先生の異世界講座(上巻)』
「くそげー」
と、これ以上無い笑顔で言ってみた。
「修正パッチ入るまで休止します。お疲れさまでした」
右手でシステム機能の起動モーション――フォックスサインを作り、ログアウト処理を実行する真似をするが、やはりシステムウィンドウが開く様子は無くその試みは不発に終わった。
「だめですー! 帰っちゃだめですーっ!!」
ユネが涙目で抗議して来た。縋り付いてくる彼女を容赦なく引き剥がそうとするが、呪いの抱き着き人形のように何度もこちらに引っ付いてくる。
「今朝、イーノ君に『マスターがいるから大丈夫』って言っちゃったばかりなんですよ!? 希望に満ちた朝が始まる、そんなすっごい良い感じのシチュエーションだったんですよ!? もう、引っ込みつかないじゃないですかぁ!?」
「ええい! そんなの知らないよ!」
そもそもイーノ君って誰さ。
目の前の席に座るアルフが生暖かい目でこちらを見ている。
以前は『キラキラ』と言う擬音語がぴったり似合う美青年だったが、こちらに帰還してからこの方キラキラ度は落ち目である。どうも目の下のくまの大きさに反比例するらしい。
「リィ様と同じように、この現状をクソゲーと評するそのご慧眼、感服いたしました。しかし、現実世界に帰還できない以上、私達と共にこのクソゲーに挑んでもらうに他はありません」
アルフはそう言うと、僕の腕に引っ付くユネをジト目で見た。
「――と言うかユネ殿、いつまでヒビキ様の腕にくっついてるんですか。途中から居心地良くなったなんて言わないで下さいよ。早く席に戻ってください」
――ここは『風見鶏のとまりぎ』ギルドホーム。その中央に位置する『風見鶏の館』の一室である。
等間隔に区切られた部屋の三つをぶち抜いた『風見鶏のとまりぎ』で二番目に大きな会議室。白い壁紙と木目調の調度品が目立つ上品な趣向の部屋の中、大樹の一枚板で作られた長方形の会議卓が部屋の中央に設置してあり、ユネとアルフを初めとする主要メンバーがそれを囲んでいた。
「でもこの『現状確認会』って必要なんすかね。兄貴がこっちに戻ってきてから十日になるんすけど、クォーツ退治にも行かずに、ずーっとここで情報収集してたんだから、大体のことは分かってるんじゃないんすか?」
「……ユーゴさん……そんなこと言わないで、みんなでお話しよ……?」
「ユーの字よ、夜勤明けの非番日だとは言え、ぶうを垂れるのは止めんか。非番にかこつけて娼館にしけこむ目論見だったんじゃろうが残念だったの。例の女主人に、『今日来たら尻に胡瓜を突き挿して叩き帰せ』って伝えてあるぞ?」
「ファー!? 一ヶ月ぶりのオフっていうのに酷いっすよ、咲耶ちゃん!? というか胡瓜のオプションは俺っちの守備範囲外っすよ!?」
「……きゅうり?」
「苦瓜でも可じゃ」
「らめぇ!!」
朝から深夜テンション全開のユーゴさんと咲耶のやりとりに、はてなマークを浮かべるクゥちゃん。ちなみに、賑やか勢筆頭のラシャはホーム周辺の定時哨戒のため不在。おかゆさんは『店長がいないので食堂の切り盛りがやばい』とか何とか涙ながらに訴えてきたため不在である。
さて、僕がエヴァーガーデンに帰還して十日の時が過ぎていた。
膨大な人数に膨れ上がったNPC――亜人達とのシステマチックにいかない交流やら、各システム機能の消失やらのせいで諸々の活動に大きな制約が掛かっていたが、色々落ち着いてきたので今回の現状確認会を催した次第である。
「ところでヒビキ様、そちらの書簡は?」
手元で遊ばせていたそれをアルフに渡すと、彼は封緘の部分を見て眉をひそめた。
「黄土色の封蝋……レスタール王国の公文書ですね。五つ星の封緘は王政庁外局の局長級から差し出された重要文書を示すものでしたか……」
「さすがだねアルフ。封蝋についてる星の数ってそういうの表してるんだ。『レスタール王国中央軍対クォーツ戦争渉外局』の局長からだってさ」
「はぁ、また実体がありそうでなさそうな微妙な所から来たものですねぇ」
手紙の内容を要約すると。『先日のクォーツの巣掃討の件、王宮に来て説明しろ』とのことである。
「件のクォーツ戦で、北方騎士団の戦闘に横槍を入れた挙句、手柄を掻っ攫ってしまっったので何時かは来ると思っていましたが……意外な程対応が早かったですね」
「まだここも不安定な状況だし、対外的な関係を持つのも――色々手を広げすぎるのも危ないから、とりあえず今回は無視かなぁ」
「この大陸に覇を唱える王国の招聘要請を黙殺ですか……あぁ、ヒビキ様はそう言うお人でしたね……」
何やら失礼なことを言われた気がするが、気にしていても仕方ないのでとりあえず笑っておくことにした。
「先日の掃討戦で、北方騎士団はほぼ壊滅状態……クラウさん達が無事だったのは良かったですけど、騎士団を立て直すのは時間がかかりそうですね……」
ユネが複雑な面持ちで溜息をついた。
北方騎士団を有する彼の国――『レスタール王国』について説明しよう。
レスタール王国は、世界地図上では中央海の南西――七時方向に位置するフォルセニア大陸の中央に版図を広げる王政国家である。国民はエヴァーガーデンにおける主要六種族の一翼を担う獣人が中心だ。
人口は約五百万人――EGF時代、NPCとして配置されていたのは一万人にも満たなかったが――国家の規模としては中堅と言った所である。
首都は『王都レスタリア』。世界最大の草原である『ロスフォルの大叢海』の北部に位置する人口三十万を数えるフォルセニア大陸最大の都市だ。ここからの距離は南東に約五百キロメートルの距離にある。
このあたりの位置関係は、以前のEGFと全く同じである。
「北方騎士団を含む四方騎士団は、二年に及ぶクォーツとの戦役により壊滅寸前です」
アルフはそう言うと、大陸の地図を指し示し、ロスフォルの大叢海の北東部から南東部にかかる一本の直線を引き、その付近に様々な種類の駒を置いて見せた。
「この南北六百キロメートルに渡る線が、現在の対クォーツ戦線における大叢海東部のおおよその防衛線の位置になります」
つまり、今回の騒動における最前線と言うことである。
レスタール王国は各組織と共闘し一年以上この戦線を維持してきた。
しかし、矢面に立って防衛を行う王国の負担はやはり大きく、その疲弊は大きいらしい。
今回の騒動は、世界地図で一時の方角にあるミストロネア大陸北部にクォーツが出現したことに端を発する。原因は未だ不明だ。
彼らは世界地図の上で時計の針を回すようなルートで各大陸を侵攻。六年と言う短期間でミストロネア大陸、東方島嶼域、東西アカーナ大陸を経て、現在フォルセニア大陸中央部にまでその魔の手を広げようとしていた。
「東部の防衛線には、クォーツの侵攻に対抗するため様々な勢力が入り乱れており、現在混沌の体を成しています」
アルフがひとつひとつの駒を指差しながら説明を進める。
「王国からは四方騎士団、各諸侯軍、近衛騎士団の一派が参戦。聖導協会からは武装神官隊が、アーレスト大陸からは帝国を盟主とする国家連合の派遣兵と傭兵から成る統合軍が派遣されています。私達フェローは更に別枠となり、もう訳が分かりません。」
溜息を吐きながらアルフは続ける。
「……恐らく王国でも詳細な状況を把握している者はいないと思います。しかし、そんな混淆とした戦力を持ってしても、南北六百キロに及ぶ防衛線を維持するには手が足りていません」
アルフの口から長々と語られた情報は、僕が集めてきた情報と寸分と違わない。
地図の上に広げられた種々の駒が今の混沌を表していた。
アルフが説明してくれたことを要約すると――。
『駒の種類が多すぎて状況がよく分からん。でもピンチっぽいよ!』である。
初期状態からこの有様で、果たして僕に何をして欲しいというのか。
「自分達が何のカードを持っているか分かっていない時点で詰んでると思うんじゃが……」
咲耶が口を三角にして紡いだその言葉に心から同意したい。
改めて言おう。クソゲーである。
「そっすねー」
「むずかしいね……」
既に思考を放棄した者が二名。隣のユネも頭を抱えている。
しかし、サラダボウルにフォークを突き立ててぐちゃぐちゃにかき回したようなこの盤面、どこか見覚えがある。
「この、勢いに任せてサイコロをぶん投げたような今の状況……」
何と言うか、一見無秩序な混沌に見えつつも、『ある種の思想に基づき意図的に撹拌された状態』のような――。
「――まさかりっちゃんが仕込んだんじゃないよね?」
「「「「「ぎくり」」」」」
まじかよ。
「で、ですが、リィ様がこれで一年以上もクォーツの進行を食い止めてきたことは事実なんです! それにヒビキ様以外、誰にも成しえなかった巣の掃討を四ヶ所も遂げております! どうか! どうかそれにてご容赦を!」
「まぁ、良いけどさぁ……」
良くはないがいちいち突っ込んでも話が進まないので、ここは矛を収めておく。
しばらく地図を眺めていると、少しだけ状況が飲み込めてきた。
戦略シミュレーションゲームには明るく無いので、あまり的確な判断は出来なさそうだ。
「うーん、防衛線は現状を維持して後方で戦力を増強。それが完了次第、大戦力で大叢海東部外縁の『カムス間原』にある巣を攻めるとか……」
そう言いながら、僕は地図の上に指を滑らせる。
「後は守り、蓄え、攻めるの繰り返しで、クォーツに支配された地域を少しずつ解放していく――しか無いと思う」
正直その程度のプランしか出てこない。ジョンさん――『教授』がこの場にいてくれたのなら、もっと良い案を出してくれたのかもしれないが、彼は未だ礼拝堂にて深い眠りの中にある。
地図の上に置かれた巣を表す駒の中で、一際大きいそれを指差して見せた。
「ここまで押し返すことが当面の目標ってことで」
ロスフォルの大叢海東部の外縁部には南北に渡って『風絶ち山脈』と呼ばれる険しい山々が連なっている。
フォルセニア大陸の中部――大叢海と東部を隔てる山脈の真ん中。互いの地域を連絡可能としている唯一の回廊が『カムス間原』と呼ばれる地域である。
「え、と……ここまでクォーツを押し返すことができれば、クォーツ達は風絶ち山脈に阻まれて、防衛に割く力が少なくて済むから……ですか?」
「うん、合ってるよ、ユネ」
逆を言えば、最初クォーツに侵攻された段階で何故ここを死守しなかったのか、素人目に見ても疑問に残るくらいである。アルフに聞くと『色々あったんですよ……』と苦虫を噛み締めたかのようなすごい顔で答えられた。
「なるほど、ヒビキ様と同じく、リィ様もカムス間原を第一目標にした戦略を立てておいででした」
アルフは形の良い顎に手を当てて何かを考えている様子。
「しかし、当時と現在では状況が違います。前線での戦力が足りない現状で、後方での戦力増強を図ることが可能な根拠は何ですか?」
アルフの疑問に僕は一つの確信をもって答えた。
「レスタール王国はまだ最強の剣を抜いていない」
「……『レスタール王国中央軍』ですか」
その言葉に僕は頷いた。『中央軍』という大仰な名前通り、レスタール王国中央軍は、王国軍の中核を成す戦力である。しかし、亡国の危機に瀕してなお中央軍に動きは無い。
王国と中央軍について、この十日間街中で聞いた噂には枚挙に暇がない
曰く、『アーレスト大陸の少数部族より数多のグリフォンが供与された』。
曰く、『ドワーフ王国の精霊銀の戦闘石像の機甲戦隊が編入された』。
曰く、『巣を一撃で破壊可能な戦略級の大魔術の開発に成功した』。
曰く、『人間達が有する伝説級の武具をかき集めている』。
曰く、『クォーツ研究の実験で、国王が異形の化け物に変化した』。
等々――殆どは尾びれ背びれが付いた流言だろう。
しかし、ここまで出回っている噂が多いとなると、王国が何かしらの施策を打っていると見て間違いは無い。来るべき国土奪還への反抗戦に向けて、虎視眈々と戦力を強化している最中にある確率は高い。
「何でこんな状況になるまで出し渋っているのか疑問だけどね……」
と、付け加えた。
「中央軍に関する諜報はラシャやシェリーさんにやってもらうとして、基本的な方針は今言ったカムス間原の巣掃討を念頭に詰めたいと思います」
大雑把な方針は出来たので名前を付けておこう。
「名前は先駆者に準えて『リィンベル・プラン』にしておこうか。ね、アルフ?」
「ははは」
白目で乾いた笑いを浮かべるアルフ。死してなお――いやまだ死んでなかった――無理難題を押し付けてくるりっちゃんめ。君に忠誠を誓うフェローにこれくらいの意地悪は許して欲しい。
『リィンベル・プラン』と名付けたのは良いが、戦略と呼ぶにはあまりにも大雑把でお粗末な方針である。
システム系の機能は全て使えなくなっており、各都市を結んでいたポータルも、倉庫間のアイテム共有も使うことが出来ない。未知の要素満載なこの世界で、こんな縛りプレイなんて冗談じゃないけれど、これ以上クォーツ達を放置したらユネがもっと悲しい顔をするのでやらなければならない。
「クォーツの数を考えると、範囲火力が出る技能――魔術は絶対に必要だからね。仕様がサービス当初と同じで本当に良かった……」
EGFで培った知識は僕の数少ない武器であり、幸いそれはまだ通用しそうだ。
僕が胸を撫で下ろそうとしたその時、
「違いますよ、魔術の仕様」
と、ガラスのような声音で答える人物がいた。
全ての生きとし生ける者の脊髄に直接流れ込むかのような声。
黄金の瞳から発せられた視線が一ミリも揺らぐこと無く僕を真っ直ぐと見つめていた。
視線の温度は絶対零度。しかし、悪意や敵意が込められていたからではなく、それが彼女の平温なのだ。
会議中一度も声を発しなかった彼女は、長机を挟んだ向かい側にいた。
ユネよりも更に小柄な身体をローブで包み、頭にはトレードマークのとんがり帽子。銀と薄い紫が混ざった髪を湛えた少女。
「クォーツ戦で使ったときは同じように思えたけど……説明してもらえるかい?」
「はい」
糸の切れたマリオネットのように彼女が『こくん』と頷いた。
「それでは、少しだけ」
ユーモアも、感情のひとかけらすらも込められていない淡々とした口調。
ただ事実だけを棚に陳列するような、そんな声音。
彼女の名はまかろん。
この世界に降り立った、もう一人の生きているプレイヤーである。




