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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第二章 リィベルラントの窓辺
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第三話  『昏い空が明けたから』



 記憶の遡行にどれだけの時間を要したのか。

 一瞬のようでもあったし永遠のようにも感じられた。


 重力の腕に絡め取られたイーノの身体は空中で停止――正しくは、空中で何者かの手にぶら下げられていた。

 つまり、地面に叩きつけられる寸前のところで助け出されたのだ。

 地上百メートルで宙ぶらりんの状況を果たして安全と言って良いのかは甚だ疑問だが、少なくとも命の危険は過ぎ去ったようである。


 左の手首に感じるのはどこか懐かしい――どこにそんな力が宿っているのか、と問いたくなる程の強靭な握力。

 イーノを見下ろす人物の瞳は鮮やかな赤色――イーノの記憶に鮮烈に焼き付けられた、あの炎の輝石のような赤だった。


「助けに来ました! お怪我はありませんか!?」

「あれ……お姉さんは、あの時の……?」


 記憶の中のあの日と全く同じ言葉がイーノに投げかけられた。しかし彼の記憶にある彼女のイメージとはまるで似つかない穏やかな声だ。

 少女――ユネは右手の剣を樹に刺して身体を保持した状態で、もう片方の腕の先にイーノをぶら下げていた。


「遅番のユーゴさんから、ユグドラシル・イリスに登る男の子がいるって聞いて、もしや(・・・)と思い来てみたんです。最初は誰もいなくて帰ろうとしたんですけど、上を見上げたらちょうど足を滑らせたあなたがいて……でもよかったぁ。ほんとによかったぁ。下手をしたらぺっちゃんこですよ! ぺっちゃんこでミートソースです!」


 危ないことしたらだめですよ、とユネがまるで怒気の感じられない暢気な声で言った。

 樹の根元で自分が落下するのを見てから、ここまで駆け上がってきたとでも言うのだろうか。自分が両手両足を使って何時間もかかって登ってきた高さをほんの数秒で? いやまさか、きっと樹の途中で待ち構えていた彼女に運良くキャッチされたに違いない――それでも随分なことだけど、と混乱。


「あっ、ごめんなさい。手、痛いですよね? すぐに降りるので待って下さいね」

「あ、ありがとうお姉さん。助けてくれて。でも、降りちゃダメなんだ。朝日が昇る前に、この樹の上まで行かないと……」

「下に降りるんじゃなくて上に登りたいんですか? 眺めはとっても良いですけど、何もありませんよ? 初回踏破報酬のレアアイテムはりっちゃん様が一人占めしちゃいましたし……それに夜はもうすぐ明けるので時間が……」


 剣の柄にぶら下がりながら少女は器用に小首を傾げた。しばらくうーんと考えた後、何を得心したのか、


「では跳び(・・)ましょう!」


 と、朗らかな笑顔でそう言った。


飛ぶ(・・)って、お姉さん、人が飛べるわけ――えええええっ!?」


 少年の反論は悲鳴のせいで最後まで言葉にならなかった。いきなり平衡感覚が上下に反転したのだ、無理もあるまい。

 ユネは小脇にイーノを抱えたまま、握った剣の柄を軸に縦へと大回転。二度三度と勢いを付けた後、回転の反動を利用して、二人分の重量を直上に発射した。

 落下の時とは真逆の、重力に反発する強烈な感覚に怯えるイーノ。その耳元で、ユネの――やはり暢気な声が聞こえた。


「やっぱり垂直方向だと飛距離が足りなさそうですねー。まーくん様なら、今の一跳びで上まで行けたかもですけど、私にはちょっと難しかったかな……」

「え、そんなぁ!? 落ちる! 落ちちゃうよ!?」

「大丈夫です! 一度でだめなら、二度三度って跳べばいいんですよ!」


 ユネの口元が小さく動く。口端から漏れたのは、森祭司(ドルイド)である少年の父が使うそれとは全く異なる、簡潔だが複雑な術式。その呪言が成ると同時、彼女の靴の側面に仄かに発光する魔術紋様が浮かび上がった。

 光を帯びた靴が、空中を舞っていた一枚(・・・・・・・・・・)の落ち葉を踏み締め(・・・・・・・・・)、さらに跳躍。飛び石を渡るようなストライドの大きな足運びで舞い落ちる木の葉を渡って行く。遠目に見れば、空を駆けているかのように見えただろう。


 空を駆ける(・・・・・)と言う字面だけ見れば幻想的な光景だったが、実際イーノの耳に入ってきたのは『やぁっ!』『たぁっ!』『あれぇっ!?』みたいな、何とも気の抜けた声。

 少女の言葉通りの二度三度ではなく、何十回と上下運動を繰り返し、そろそろイーノの三半規管が爆散しそうになった頃、二人は樹冠の下に生い茂る枝葉を突っ切り大樹の頂上へと辿り着いた。


「や、やっと頂上……いや、もう(・・)って言った方がいいのかな……」

「ふー、両手縛りはやっぱり難しかったですねー、でも夜が明ける前に着きました!」


 げっそりと青い顔をしたイーノと、良い運動になったとでも言いたげな淡く紅潮したユネの顔が対照的だった。


 二人が腰かけた世界樹の梢からはこの世界の輪郭が良く見えた。

 眼下の街は道中で見たよりも更に小さくなっている。街の東向こうには、小さな川を何本か挟み、まだ薄い闇を落とす世界最大の草原――ロスフォルの大叢海(だいそうかい)があった。草原を走る街道の所々に灯る小さな火は、野営した隊商の焚き火だろうか。


「わーっ、空の色がどんどん変わって行きますね。すごく綺麗です。ほら、上を見てください。ちょうど、夜が朝に変わる真ん中の時間ですよ。間に合ってよかったあ」


 少女に促されて、少しずつ色を無くして行く空を仰ぐ。

 西に広がる漆黒の帳は東より滲んできたオレンジ色に侵され始め、夜半に煌めいていた星々はその光をゆっくりと隠して行く。そして、東の地平を見れば、短い眠りから目を覚まそうとする陽の光がわずかに覗いていた。


「うん、間に合った……でも、ここに来るまでにお姉さんの力を借りちゃったから、今回は無しかな」

「今回? 無し?」

「僕達の部族は、十二歳になる年の夏に、故郷で一番背の高い樹に登るんだ。何の道具も使わず、誰かの力も借りずに一人で。それが出来たら一人前として、大人の仲間に加えてもらえる。今回はお姉さんに助けられちゃったから今回は無し……でも、助けてくれてありがとう」


 大人になったとしても命あっての物種である。彼女の助けが無ければ、一人前になるどころか命さえも危うかったことを理解し、素直に感謝を述べたイーノであったが、それを受けたユネはどこか申し訳なさそうに目を伏せた。

 そんな彼女の気分を紛らわせるよう、イーノは話題を変える。


「お姉さんは、僕のこと覚えてる?」

「えっ!? も、もちろん覚えてますよ? えーと、あれです、あのですね。五年前から昨日までのどこかの時期にいらっしゃった……アカーナ双大陸かミストロネア大陸、東方島嶼域ご出身の……お耳が長いからハイエルフかフォレストエルフの……」

「……覚えてないんだね」

「すみません……」


 両手で顔を覆ってユネが白状した。


「僕の名前はイーノ。西アカーナ大陸の東にある『大楡の村』出身のフォレストエルフだよ。三年前のクォーツ進行で村から焼け出された所を、お姉さんと銀色の鎧を着た金髪のお兄さんに助けてもらったんだ。あともう一人の白髪のお姉さんから、持続回復薬(リジェネポーション)ももらったんだけど……」

「白髪の女の人……イナバさん? から、持続回復薬(リジェネポーション)を……あっ、あのときのご兄妹のお兄さん! 妹さん、確かお怪我をされていましたよね……?」


 少し自信が無さそうなユネの問いにイーノは頷いた。妹のアーシャは健在で、今も元気にこの街で暮らしている。今は自宅の二段ベッドの上で可愛い寝息を立てていることだろう。


「うん、アーシャの腕も術師の人に治してもらって、無事にここまで逃げてこれたよ。あの時は時間が無かったから術も中途半端で、少し痺れが残ってるみたいだけど、生きててくれたのだからそれだけで十分」

「お辛いようでしたらお館に来るように、と妹さんに伝えてください。魔術の素養に長ける人が部位蘇生を施されると、後遺症が残る場合があるみたいなので……お館にはとてもすごい魔術師の方がいらっしゃって、治癒術師(ヒーラー)さんでもないのにどんな傷でも治してくれんですよ。ちょっとだけ……ほんのちょーっとだけ、痛いかもしれませんけど」

「う、うん……」


 少女の言葉に物騒な響きを感じたイーノは曖昧に頷いた。妹に言わせれば、マナの気が濃い場所にいると少し傷口が疼く程度らしいので、頼らなくても済みそうだった。


「でも、ごめんなさい。本当のことを言うと、それ以外はよく覚えていないんです……その頃は色々とだめだめな時期で……目の前のことで精一杯だったので……」


 精一杯という言葉通り、あの時イーノが出会ったこの少女は、この上なく張り詰めた空気を纏っていた。それこそ、彼に微笑みかける今の穏やかさとは程遠く、本当に同一人物かと疑いたくなるほどに。


「大切な人がいなくなって、どうしようもなく悲しくなってしまって……けれど、ここは冷たくて、苦くて、人にとって(・・・・・)優しくない世界(・・・・・・・)になってしまっていて……」


 小さく言葉を結い始めたユネは続ける。


「せめて、あの人が大好きだったこの世界を、あの人の中にある想い出のまま、綺麗なまま、幸せなままの世界にしておきたい。そう願っている内に、色々なものに刻まれ、砕かれ、灼かれて――いつの間にか、自分が赤錆びた剣の一本になったかのように、何も見えなくなっていました」


 彼女の言葉は抽象的で的を射ない。しかし、今のイーノ自信が抱えている不安や苦悩に似通うものを感じ、彼は頷いた。

 記憶の中にいる血濡れた彼女の姿。自らの身体を戦火の只中に投げ入れ、その身を灼かれ続けた少女と、ただの子供でしかない自分を比べるのは失礼かもしれない。それでも少年は言葉を続ける。


「もう、このリィベルラントは来年まで持たないって聞いたんだ。傭兵のおじさんに」

「え……?」

「レスタール王国の騎士様や傭兵の人達、もちろん人間の人達もあの大叢海の向こうでクォーツと戦ってくれてる。でも、もうそれも限界に近い。今まで支えてこれたこと自体が奇跡だって……それを迎えたら、レスタール王国は瞬く間に奴らに滅ぼされて、その勢いのままこの街を飲み込むんだってさ」


 父の営む診療所で、前線から落ち延びてきた傭兵は口々にそのようなことを口にする。王国よりやってくる行商人の言葉も同じ論調で、北のアーレスト大陸に逃れる術を模索している者も多い。その滅びの足音はこの街全体に、小さな陰を落としていた。


「僕が今日イリスの樹に登ろうとしたのもそれが理由なんだ。樹に登って一人前として認められたいって言うよりも、新しい故郷になったこの街の綺麗な姿を覚えておきたいって言うのが本当なのかもしれないかな」


 イーノは不安を払うように身体を伸ばした。


「僕たちはアーレスト大陸に渡るお金が無いから、この街にクォーツが攻めてきたらここで死ぬか、この大陸の北に逃げるしかない。北部は魔物だらけで亜人が住める土地じゃないからもう安住は出来ない。だから、ここがきっと僕たちの最後の故郷」


 住み始めて二年も経ってないけどね、とイーノは笑う。


「だから見ておきたかったんだ、最後に」


 まだ十二歳の少年の言葉である。あどけなさの残る笑顔の裏で死の気配を感じ取り、それを咀嚼してなお、絶望に身を委ねることなく自分の成すべきことを考え、それを行動に移した心の強さ。クォーツによる大陸侵攻で多大なる苦労を重ねた経験の成せる業なのだろうか。


 しかし、そんな少年の悲しげな笑顔を、


「大丈夫です」


 と、少女は真っ向から両断した。


「マスターがいますから」


 ユネが咲いたように微笑んだ。

 楽観や不識に基づく、取り繕ったような笑顔ではない。現実がそうでなかったとしても、彼女が真実そうである(・・・・・・・)と信じたものは、事実、彼女が生きる世界の真理である。


「すごいんですよ、マスターは! 具体的にどこがすごいのか言えないところが、フェローの私的にはそこはかとなく悲しいんですけれども! いえ、そこもある意味マスターのすごいところと言いますか!」

「は、はぁ……」


 力説するユネにイーノは話の腰を折られた感覚を覚え、気の抜けた返事をした。


「でも、嬉しいです。イーノ君がこの街を好きになってくれて。あ、いえ、本当の故郷が無くなってしまったのはとても悲しいことですけど。ですけど……うーん……」

「うん、みんなこのリィベルラントが大好きだよ」

「リィベルラント? この街のことですか?」


 初めて聞いたその単語にユネは小首を傾げた。

 この街は『風見鶏のとまりぎ』のギルドホームであり、街としての固有名詞は付いていない。単に彼女達は『ギルドホーム』と呼んでいる。自分達のホームに固有の名称を付けるギルドも多いが、『風見鶏のとまりぎ』にはそれが無かった。


「うん、リィベルラント――リィンベル様の土地だからリィベルラント。最初はリィ()ベルラントだったんだけど、言いにくいからリィベルラントなんだって」

「それは素敵なお名前ですね。何と言うか、まぁるいけど、でも凛としてて、りっちゃん様に似合ったすっごいいい感じな響きです!」


 名前の件については全面的に気に入ったらしい。


「惜しむらくは、そこにマスターの要素が入っていないことですが……いえ、入れたらそれはそれでマスターとりっちゃん様の愛の結晶みたいで、何かもやもやします!」

「あ、そろそろ陽が昇る……」


 頭を抱えるユネを横目に、イーノが立ち上がった。

 東に広がる大草原の向こうに橙色の輪郭が顔を出しつつあった。

 柔らかな光の波は草原を柔らかに浚い、生命に溢れた夏の緑を露にして行く。やがて眼下に広がる街並みの光と陰の色彩をくっきりと描き出して行った。

 ランプの熱が消えた街に、人々の生活の熱気が灯り始める。商店が店を開け始め、始発の駅馬車が大門を超えて行く。静寂に包まれていた街並みには人々が繰り出し始め、今は少しだけ賑やかだ。


「今日もきっと良い日になりますね」


 ユネが笑うと、彼女の金色のような薄緑色のような、不思議な色合いを呈する髪が朝日に照らし出され小さく輝いた。


 少女の言葉に登場した『マスター』なる人物が如何なる者なのか、イーノには分からない。しかし、あの日、炎と血に塗れたあの記憶の中、死の淵にあった彼と彼の妹を煌めく銀の剣で掬い上げたこの少女。彼女がこの上ない信頼を置く人物なのだ。

 もしかしたら、この街に影を落とし始めた不安を――もしかしたら、あの草原の向こうに座する紫の絶望すらも薙ぎ払う、この曙光のような者なのかもしれない。


 そう思い、イーノは頷いた。





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