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電気羊の異世界プロトコル  作者: みかぜー
第一章 軍神は二度目覚める
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第十五話 『炎の雨が降る』



 クラウディア・ランスタットは焦燥の中に居た。


 怒号と悲鳴が跋扈するこの戦場、状況は控えめに見ても地獄である。

 クォーツの大群に蹂躙されて行く部下の兵士達の姿を本営から見下ろし、彼女は歯の根を鳴らした。前線から上がる狂騒とも言える怒号に当てられ、豊かな金色の毛に覆われた猫耳がビリリと逆立つ。

 彼女のミスリル製の銀剣はまだ鞘に収められたままだ。本当なら前線で奮闘する兵士たちのために今すぐにでも切り込みに行きたい。しかしそれは許されない。彼女が担う指揮官と言う立場がそれを邪魔する。


 彼女は貴族と呼ぶのも憚れる零細貴族の出ではあったが、類稀な剣術の才能と真摯で実直な人格、その他諸々の時流の良さ(・・・・・)が作用し、二十二歳と言う若輩ながらレスタール王国北方騎士団団長に任ぜられた才媛である。

 ひとたび剣を握れば、かの『ラトリアの黒き剣聖』を継ぐ者とも称される恐るべき腕前を誇る彼女ではあったが、指揮官としては至って凡庸な才しか持ち合わせていなかった。


 彼女の振るう剣の冴えも、憧憬に彩られた肩書きもここでは何の用も成さない。

 炎の匂いが漂い血煙が舞うこの地獄では、自らも紫の異形に捕食される運命にあるただ一人の無力な亜人でしかないことを彼女は強く実感していた。


「左翼重装歩兵隊、このままでは抜かれます! 敵集団は長槍(パイク)兵の戦列まで浸透中!」

「下がらせた予備の二百を回せ! 壁くらいにはなる!!」

「予備隊の大半は騎士学校上がりの新米だろうが!! 無駄に死なせるな!!」

「ですがランスタット卿! 既に投入できる部隊は全て――!」 

「ならば、この本営の騎士隊を回せば良い! その胸にぶら下げている上級騎士勲章はただの飾りか!? 休眠中のクォーツを叩き起こしてしまったんだ。貴殿等の無謀な炊き付けによってな!」

「わ、我等はレスタールの国益を最優先に――」

「だから祖国を守るために此処で食い止めると申している。早馬が周辺の村落に辿り着くまで、まだ幾許の猶予を要する。国士様らしく民草のために命を投げ打っての死守。まことに名誉な最期じゃないか――貴殿にも付き合ってもらうぞ督戦官殿」


 クラウディアは彼女らしからぬ皮肉を込めた笑みを浮かべた。

 どうも自分は最後まで貴族の尻尾が跳ねた泥にまみれる運命にあるらしい。


 騎士学校の頃は良かった。貴族と言えども実家の家計は火の車。仕送りは日々の空腹を辛うじて満たせる程度で、余計な遊びを覚える余裕も無かった。

 だがそれで良かった。ただ剣を振るっているだけで良かった。それがどこで間違ってしまったのか。剣術を修め、究めるほどにそれを振るう機会から離れてしまうというジレンマ。

 今自分は中央の貴族達の権益を守るための尖兵として剣を振るっている。幼い頃、寝所で母親に読み聞かせられた物語の主人公のように、勇敢で心優しくか弱き民のために剣を振るう騎士とはかけ離れた体たらくだ。


 こんな回想、自分らしくないと彼女はかぶりを振る。

 その時、混乱の渦中にある戦線の左側で、弾けるような悲鳴が一際大きく上がった。


「左翼、突破されます!」


 肩を紫色の水晶柱に射抜かれた伝令兵が息も絶え絶えに叫ぶ。


 恐らく自分はここまでだろう。

 敵集団を全面で受け止めたため、戦線は横に長く広がっている。故に壁の層は薄い。一点が決壊すれば、戦線はシャボン玉のように弾け、そこを起点としてクォーツ達が殺到してくる事は明白だ。

 クォーツとの交戦開始から三時間余り。北方騎士団の定員の半数である千と、中央から手切れ金の如く渡された弱兵約二百、合わせても僅か千二百に満たないこの集団をここまで持たせて来たのだ。及第点と言っても良い。いや、これも『彼ら』のお陰か。

 虎の子の魔術師隊は周辺の村落への伝令と言う名目で既に後退させている。願わくば我らの屍を礎として、彼らがレスタール王国再興を成し遂げん事を。


「父様、母様――クラウは参ります」


 胸元のペンダントを握り締めて小さく呟く。


「……総員抜剣!!」


 悲壮とも聞こえる凛とした声を以って彼女が剣を掲げる。

 その瞬間、前方を埋め尽くすクォーツの集団、その一角が壮絶な破砕音を上げて弾け飛んだ。






 同時刻、クォーツの集団の中央右翼側で、孤立無援で奮闘する集団があった。


 鈍色の甲冑と緑色のインナーを制式装備としたレスタール王国北方騎士団とは異なり、その服装は一様ではない。兵種も様々――重騎士(ヘビーナイト)人形使い(ドールマスター)死霊術士(ネクロマンサー)等が円陣を組み、迫り来るクォーツの大群を相手に戦闘を繰り広げている。

 反対側の左翼に炸裂した大爆発を見た青年が歓喜の声を上げた。


「よっしゃー! ユネちー達間に合ったっすよ!」

「ユネたんキター! 絶体絶命のピンチに颯爽と表れるユネたんマジヒロイン!」

「貧乳萌えの私としては、咲耶たんこそ大正義なわけで」

「黙れロリコン。とっとと魔術打ち込めよ、突破されるぞ」

「って、ユネちーの後ろにいる男って誰よ? おーい、『鷹の目(イーグルアイ)』持ちの奴いねーの?」

「はーい、あたしあたし~……ってあれ、ヒビキ様だよっ!?」

「うっは、あのへらっとした顔に洗濯の大変そうな白マント、マジでヒビキ様じゃん!」

「きた! ヒビキ様きた! メイン最弱きた! これで勝つる!」


 伝統あるネットスラングを吐き散らすこの集団こそ、『風見鶏のとまりぎ』ロスフォル大叢海(だいそうかい)南部駐屯部隊が十八名。

 十八名と言う少人数でありながら、レスタール王国北方騎士団の戦線瓦解を三時間の長きに渡り、最前線の更にその先で食い止めてきたこの戦最大の功労者達である。

 欠員は無いが誰も彼もが大なり小なりの傷を負っている。身に着けた装備もボロボロで疲労感も濃く表情に出ていたが、全員が喜色を満面に浮かべ歓声を上げた。


 歓声の先には、彼らが信頼する銀剣を携えた少女と、その後ろで白い外套を纏い飄々と佇む青年の姿があった。






「第三班と第四班、火属性遠距離投射――できるだけ強いやつで。五分後にMPの七割くらいまで自然回復できれば良いよ。投射地点は――うーん、俯角三十度くらいで適当にばら撒いて。いつも通り十五秒間隔の斉射三回で行こうか」


 僕の視界には『情報管理』スキルで展開できる様々な種類の戦術ウィンドウが浮かんでいる。周囲のローカルマップだったり、気候条件やマナ濃度を示す環境ウィンドウだったり、とにかく色々だ。

 システム機能によるウィンドウは使えなくても、技能(アーツ)によるウィンドウは展開できるのだから全く不思議な話である。


 勝利条件は周囲に存在する全てのクォーツの討伐及び、後方にそびえ立つ(ネスト)内部の『コアクォーツ』の破壊――これ以上無く単純な戦いだ。


 目の前に浮かぶ数多のウィンドウを整理し所定の位置に移動させると、ユネが小さく笑った。


「マスターのへにゃっとした指示の仕方、EGFの頃みたいでとても懐かしいです」

「ここが現実の異世界なのかEGFの中なのか、まだ僕には見極められないけど、仕様(・・)が変わった今じゃ僕の知識と力がどこまで通じるか分らないからね……頼りにしてるよ、ユネ」


 一度大きく息を吸って吐く。

 上空からでも感じられるこの戦場の空気は、僕がEGFで経験したものとは明らかに異なる。きっと、剣で刺されれば痛いのだろう。炎で焼かれれば熱いのだろう。


 しかしそこに恐怖は無い。僕は小心者だ――だったはずである。本来の僕ならば頭を抱えているはずの恐怖は無く、僕の内面は気味の悪い程に凪いでいた。名取響一という人間を形作っていた要素の一部がぽろりと抜け落ちてしまったかのような、そんな感覚さえ覚える。


 怖くは無い。だけど気乗りはしない。

 フェロー達の命に対する責任は僕の掌の上にある。


 この世界での『消滅』が彼女らにとって真の死であるのかまだ明示されてはいないが、僕はりっちゃんみたいな達観の境地には至れていない。

 だからその責任は僕にとってまだ重い。そしてその責任が重いと感じるのは、僕の中にまだ良心と言う名の迷いが残っている証拠であるとも言える。


「はい、今も昔もユネはマスターの剣ですから。マスターがご自身の意を以ってそれを選ばれたのなら、たとえ道を外されたとしても私はマスターの隣にいます」


 この腕を振り下ろせば歯車が動き出す。そしてそれはどのような意思や力を以ったとしても、もう止める事はできないだろう。ユネを伴って逃げるという選択肢を選べるのは今が最後だ。


 しかし、その咲いたようなユネの笑顔は僕に理由を与える。

 ユネが皆と共に生きることを望むのなら、僕はそのために剣を取ろう。


「それじゃあ、始めようか。君たち(・・)がこの大地に生きる事の正当性を証明するために」


 そして僕は腕を振り下ろした。


 僕が発した合図と同時、各騎の周囲に技能(アーツ)発動に伴うエフェクトが発現する。

 ユネの火魔術スキルの中位技能(アーツ)『イグニス・ジャベリン』と、咲耶の火魔術と神仙術の二元技能(デュアルアーツ)『六獄炎環』、その他魔術師系ビルドのフェロー八人による火属性技能(アーツ)の雨が戦場の一角に降り注いだ。


 それはまさに炎の雨だ。


 僅かな時差を伴った炸裂音と共に、上空まで届く爆風がマルー達の巨体を僅かに押し上げた。

 飽和射撃と呼ぶに相応しいその高密度の火力は、荒れた地面ごと周囲のクォーツ達を抉り取っていた。

 着弾地点は僕の想定通り北方騎士団の左翼の少し前方。その半径五十メートルほどの円形範囲が最初から何も無かったかのようにぽっかりと空白を空けていた。


「ぶっつけ本番でここまで出来るなんて流石だね。やっぱり皆は最強だ。こんな皆のパーティリーダーをやらせてもらえるなんて、プレイヤーの一人として誇りに思うよ」


 笑顔を作りフェロー達を労うと、彼ら――と言っても女性比率が大分高いが、は照れたように笑った。

 これまでいくつもの死線を乗り越えてきたのだ。日々を余裕無く過ごしてきた彼らにとって、EGF時代のように自らの力を賞賛されるのは久しぶりだったのかもしれない。


「それじゃあ、次は剣を以って君たちの力を見せて欲しい。少し泥臭くなるけど下に降りて進むよ」

「……せっかくの優位な位置取りを放棄してしまいますが、良いんですか?」

「近くの(ネスト)には飛べる奴もいるんでしょ? それに今の僕らには空戦なんて無理だ。『ワイバーン』や『グリフォン』なんか相手に出来るわけない」


 他のフェローには聞こえないように小声で話す。

 クォーツ達は現状の自分達の戦力では対応できない状況に陥ると、近隣の(ネスト)から仲間を呼び寄せるらしい。一方的に攻撃できる優位な状況に固執して、相手に仲間を呼ばれたのでは目も当てられない。

 目下に蠢くクォーツ達の総数は大小合わせて三千体余り。僕が動かせる戦力と比較して、自軍への被害をある程度コントロールできるギリギリの数だ。外部要因は可能な限り排除しておきたい。


 フェロー達の攻撃によって穴が開いた地点にマルー達を降下させるように指示し、地面まで数メートルと言う所で全員が騎獣から飛び降りた。身体機能的には問題無いが、なまじ感覚が現実世界のそれと等しい今のエヴァーガーデン、僕にとっては玉ヒュンものである。


 荒れた地面に降り立ってまず感じたのは鼻を突く戦場の独特な臭いだった。

 炎と赤錆、土煙がごちゃ混ぜになった苦い臭い。遠くに響くのは北方騎士団がクォーツと繰り広げる剣戟の音だろう。

 足元には誰かの脚の一部が落ちていた。それ以外にも戦場には原形をとどめていないほどに分解された、かつて『人』だった物体の一部と思しきモノが乱雑に転がっていた。

 乱暴に食い千切られた断面からは筋繊維の糸が尻尾のように垂れ下がっている。人間にも赤身と脂身があるらしい。EGFでは断面が赤く発光する事によって『切断』という状態をマイルドに表現していたが、それとは全く異なるリアルな断面。


「リアルすぎる……」

「マスター、大丈夫ですか……?」


 思わず呟いた僕の顔をユネが心配そうに覗き込む。


「うん大丈夫だよ……昨日のアレでもう慣れた」

「『ワーム』との一戦だけで慣れたなんて、やっぱりマスターは凄いですね……」


 いや、僕が言っているのはユネと再会したその時のことだ。


 クォーツの水晶柱に乱暴に胸を開かれたユネの姿はまだ脳裏に焼きついている。

 体格通りの華奢な骨とか、薄く脂のついた肉とか、綺麗なピンク色の内臓とかその他諸々の惨状。

 最愛の人のグロシーンなんてそうそう目に出来るものじゃないし、今後一切見たいとも思わない。その時の衝撃と比べれば、今の状況なんて鍋に入っている牛モツを指差してグロいと言っているようなものだった。


 居住まいを整えて、僕は号令を今かと待ちわびていたラシャを呼んだ。


「ラシャはさっき説明した通り、先行してユーゴさん達に合流してね」

「はーい! 合流したらヒビキ様の指示を聞くように伝えれば良いんだね?」


 素直に答えるラシャの視線まで顔を下げて、僕は優しく頷く。


「うん、向こうと合流できれば合わせて四十八人――マルチパーティ二つ分になるから、大分余裕が出来る。これが出来るか出来ないかが、この戦いの一番大事な所だからね。敏捷性(AGI)と単独での生存性に特化した暗殺者(アサシン)のラシャにしか出来ないことだよ。期待しているからね?」

「えへへ……なんか、ヒビキ様に改めてそう言われると照れちゃうなぁ……」


 悪い笑顔を浮かべる僕に、ラシャは素直に頷く。頭に付けられた課金アイテムの狼耳と尻尾がぱたぱたと動いていた。


「それじゃあ、行ってきまーす! 向こうに着いたらすぐに連絡するから、期待してて待っててね!」


 そう元気に手を上げると、ラシャはこちらを包囲しつつあるクォーツ達の間隙を縫って駆けて行く。ユネに匹敵する風のような速さだ。

 小型のクォーツの横を擦り抜ける時、ラシャは置き土産とばかりに、両腕に握った二本の短剣でその首を容易く撥ねて行った。


「『シャドウ・リッパー』か。『暗殺術』の中級技能(アーツ)なのに、よくもまぁあれだけクリティカル出せるもんだなぁ……」

「四年前とステータス的に変わりありませんが、才能や経験を根とするプレイヤースキルはクォーツとの戦いを経て大分上がっていますので」


 装備の点検を終えたアルフが僕の隣に立って言う。


「ラシャ殿のやる気を無闇に炊き付けて……全く悪いお方ですね、ヒビキ様も」

「りっちゃんの真似をしただけなんだけどなぁ」

「リィ様のアレは天然モノですから。自覚の無い分、ヒビキ様よりたちが悪いです」


 アルフは苦笑したが、何故かその声は誇らしげだった。


「マスター、攻撃後の混乱が少しずつ収まってきています。そろそろ時間みたいです」


 ユネが腰に下げたヒュペリオンソードを抜く。アルフは既に自身の得物である斧槍(ハルバート)と大盾を握っている。

 僕は白い外套の懐に手を差し入れた。外套にはアイテム収納の能力が備わっており、そこから黒革の鞘に納まった一振りの剣を取り出す。

 抜けば薄い橙色の炎が揺らめく赤い刀身。

 『ファーレンハイトの炎剣』と言う伝説級武具の一つ。威力や付加能力の有用性については神話級武具であるユネの『ヒュペリオンソード』に遥かに及ばないが、要求パラメータが筋力(STR)魔力(MAG)精神力(MND)器用さ(DEX)に分散されているため、バランス良く低パラメータの僕にも装備できる都合の良い愛剣だ。


「ユネ、アルフ」


 僕の声に二人が振り向く。


「今まで苦労をかけたね。ここからは僕の仕事だ」


 りっちゃん達プレイヤーが命を落とし、頼るべき相手を失ったフェロー達。

 彼らの忠誠と尽力にここで応えよう。


 例えそれが『ユネを守る』――『ユネだけを守れればそれで良い』と言う僕の歪んだ本質が生む副産物を以ってだとしても。


「さあ、君達の世界を土足で踏み荒らす礼儀知らずなクォーツ達に、『最弱の廃プレイヤー』の戦い方を見せてやろうじゃないか」





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