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¶08 ことばは「とりあえずブクマ」。毒を食ら

「本当にこんなところで油売ってていいのかしら」

 そう呟いて、クリステルはパンを口に運ぶ。つり目がいつも以上に険しくなる。

 アカデミィの学生食堂に設置されたテラスに、いつものメンバーが揃っていた。エルラガルの様子がおかしいと感じたクリステルが、無理やりペートラとマディソンを引っ張ってきたのだ。

「いいんじゃない? 本当に誘拐されたかどうかも分からないんだから。専門家に任せて、素人は待ってた方がいいんだって」

「そう。わざわざ引っ掻き回すことはない」

 これはペートラとマディソンの談だ。

「ほら、一応貴族の建前があるからさ。全部自分ひとりでカタをつけなきゃいけない、ってさ。ノブレス・オブリージュってやつ?」

「意味違うし」

 ははは、と笑い声が広がる。笑いながらも、笑い声がひとつ少ないことにそれぞれ気づいていた。気づいていて、誰もそれについて指摘しない寒々しさをうすうす感じ取っていた。

 じゃあさ、とクリステルが話題を代える。

「今ごろ、エリィの家には本物の刑事が来てるってこと?」

「そうなるねぇ」

「そうそう!」

 エルラガルにニッキーが追随する。ふたりとも笑っているが、エルラガルはどう見ても目が笑ってない。余念なく、周囲に気を配っているようだ。

 ぴくり、とマディソンが反応する。

「刑事……見たことない」

「そういえば、あたしも本物の刑事はないな」

「私もないわ」

「刑事というか警察局の人間なら、私は会った事ある」

「ニッキーも! お仕事で会った!」

「貴女たちは特別でしょ。世間一般の人と一緒にしないで欲しいわ」

「どんな感じ?」

「うーん……」

「ピリピリザワザワしてた!」

 ペートラが思い悩んでるうちに、ニッキーが即答する。

 一同、ため息をついた。ニッキーは軍情報部の人間で、公安省、特に警察局とは犬猿の仲である。超法規的措置とやらでなんでも片付けてしまう情報部に対して、いちいち法律に基づいた手段を然るべきところのサインを貰ってからでないと動けない上に、制約にがんじがらめに縛られている警察局は恨みやら憧れやら目の上のたんこぶやらといった印象を持っている。だから、ニッキーの感じた雰囲気は当然想像がつくもので、間違いではないが求めていた答えではない。

 ペートラがぽつりと口を開く。

「法律に基づいた権限で仕事してる、正義の仕事だっていう自信に満ち溢れてたなぁ。自信が行き過ぎて傲慢みたいな?」

「あー、分かる分かる。政府の人間に多いよね。逆に軍人は、信じるものが自分自身だからある意味自分勝手だよね」

「むー、ニッキー違うもん」

「うそうそ、ニッキーごめんね」

 頬を膨らませるニッキーを、エルラガルが慌ててなだめに入る。すると、コロッとニッキーの機嫌が直ってしまう。

 ふと、ニッキーのにへらと笑った顔を見ていて、クリステルは単純な疑問が思い浮かんだ。

「そういえば、ニッキーってなんでアカデミィに来てるの?」

 途端に、ぱっとエルラガルとニッキーがクリステルの方を振り向く。だが、それぞれの表情は違った。エルラガルは明らかに焦ったような顔だが、ニッキーは質問の意味がわからないような表情になっている。

「……は、話してなかった?」

「聞いたことないな」

「エリィとニーナが完全に信頼しきってるし、特に気にも止めてなかったのよね」

「ニッキーはね、これもおしご――」

「はい、そこまで」

 何か言いかけたニッキーの口を、慌ててエルラガルが塞ぐ。あくまでおどけているように見せているが、窒息させかねないような掴み方であることから、確実に本気だ。エルラガルは隠しておきたい話なのだろう。

 ペートラたちは顔を見合わせた。エルラガルの様子を見る分には聞かれたら恥ずかしい話、というわけではない。ニッキーの言う「おしご――」から連想される「お仕事」が正解ならば、情報部の仕事、またはフューラー侯爵に関する件だと見当がつく。深く追求することもできるだろう。だが、ここは外の世界から隔離されたアカデミィである。細かい事、厄介事は試験と色恋沙汰だけで十分満足しており、これ以上は御免だ。

 パン、とクリステルは手を打つ。

「話したくないならそれでいいわよ。で、ニッキーの情報部のほうは、何か掴んでるのかしら?」

「……?」

「なんできょとんとしてるのよ! ニーナの誘拐についてよ」

「クリスったら何言ってるのさ。情報部が動くはずないじゃない」

「でも、フューラー侯爵家の娘よ?」

「むむぅ……」

 エルラガルはこめかみを押さえてうなり声を上げる。自分の話なのに、きょとんとしているニッキーとは対照的だ。

 軍、特に情報部はフューラー侯爵家と懇意にしており、情報部の権限強化は侯爵家の『五侯会議』での後ろ盾があったから、逆に侯爵家の繁栄は情報部の密偵があったから、などという噂まで持ち上がることがある。実際のところは、侯爵家のエルラガルといえども正確なところは把握しておらず、歴史の闇の中に葬られているようなものだ。

「でも、当主は今はいないし。情報部の人が勝手に動くかなぁ? 『五侯会議』まで日がないのに、余計なことしたら自分のクビを絞めることにもなるから。派手な行動は厳禁だしね」

「あれ? フューラー侯爵は、まだ現地入りしてないの?」

 ペートラがエルラガルに尋ねる。『五侯会議』まであと二日だ。当日に到着しようが個人の勝手だが、普通なら早めに入ってお互いの腹の探りあいやら街の様子を見たりやらすることがたくさんある。

 エルラガルがはっとする。

「そうだった! 実はさ、内緒だよ? 『五侯会議』に間に合わないかもしれないんだよね」

「「うそっ!!」」

「ちょっと声が大きい! 静まれ!」

「そう言うエリィが一番声が大きい」

 マディソンに淡々と指摘され、クリステルとペートラからジト目で見られて、エルラガルには立つ瀬がない。

 何事か、と周囲がざわめくが、いつもの(ひとり足りないが)メンバーであることを確認してすぐ元に戻る。注目されなかっただけ、よかったのだろう。

「じゃあ、どうするの?」

「だからさ、ニーナがいないとあたしが代役で出なきゃならないわけよ」

「えっ!? エリィが出席するの?」

「代役とはいっても、その年で『五侯会議』に出るなんて、もしかして新記録じゃないの? 最小出席者として」

「んあ? 今ペートラなんて言った? もう一回言ってみて?」

「だから、最年少出席者として、って言ったんだよ。別に深い意味はないし」

「そう。だったらいいけど」

 じろり、とエルラガルはペートラを一瞥しただけで済ませる。

 やれやれ、とクリステルはため息をついた。エルラガルはこの中では一番小柄だ。インドア人間のマディソンと並んでも、こぶしひとつかふたつ分小さい。だが、それを殊更にいじって楽しむのがペートラなのだ。実は三年前までペートラの方が背が小さく、それをエルラガルがいじっていたので、その意趣返しであることは間違いない。

 そんなことより、クリステルはエルラガルの友人として確認しておかなければならないことがある。

「エルラガルに代役が務まるかどうかの方が問題じゃないの」

「クリスひどっ!」

「確かにそれは言いすぎだと思うな」

「ニッキーも!」

「な、なによ! みんなして。気にならないのかしら? アカデミィでのほほんと暮らしてるエリィが、社会の荒波を潜り抜けてきた人たちと対等に戦えると思って?」

「はっ! 常識に凝り固まった狭い視野しか持ち合わせ――」

「無理だろうな」

「エリィ、きっと負ける」

「同感」

「なにそれ!? みんな急に手のひら返し?」

「ほーら」

 クリステルが、そら見たことかと腕を組みなおした。瞬時に意見を撤回したペートラたちを、エルラガルは睨みつける。だが、そっぽを向いて目を合わせる者はひとりとしていなかった。

 ぐぬぬ、と唸るエルラガルを尻目に、クリステルたちは昼食の残りを片付けにかかる。そろそろ、昼休みも終わりの時間だ。このうららかな気候の中で、講義をいくつか受けなければならない。だが、退屈ではあるが、苦痛ではなかった。放課後になにをしようか考えたり、エルラガルが投げてくる丸めた紙切れを回避したり、各々やることがあるからだ。

 だらけきった気持ちをもう一回、引き締め直そうと誰もが思ったとき、

「申し訳ありません、少々失礼いたします!」

 遠くから、急いで駆けて来る声が聞こえた。その声は人の波を掻き分け、だんだんと近づいてくるようだ。

 エルラガルが首を高く上げる。まるで、獲物がいないか周囲に気を張る猛獣そのものである。猛獣は聴覚を研ぎ澄まして、声の主や方向を特定しようと試みる。

「来る!」

 突然、エルラガルはカッと目を見開いた。美味しい獲物を聞き分けた猛獣は、舌なめずりする。

 すると、ほどなくして、

「お嬢様、申し訳ありません! 緊急にお伝えすべきことがありまして、参上いたしました!」

「エリカ! どうしたの?」

 エルラガルたちのいるテラスにやってきた、騒ぎの声の主はフューラー家の使用人であるエリカだったのだ。本当に急いでやってきたのだろう、荒い息づかいで肩を上下させて、濃いグレーのツインテールを揺らしている。

「お、おじょう、さま、じ、じつは……」

「いい、落ち着け。息を整えてでいいから」

 エルラガルは手を振って、エリカを制止させる。こくこくとうなずいて、エリカは深呼吸する。

 その間に、クリステルはエルラガルの袖を引っ張った。

「ねぇ、エリィ。この娘は?」

「ウチの使用人。エリカっていうんだ」

「……使用人と仲いいのね?」

「クリス、なにが言いたいの? はっきり言いなさいよ」

「分かってやってるんだろうけど、ちゃんと立場を弁えた付き合い方をしたほうがよくありません?」

「…………」

「ちょ、ちょっとクリス、言い過ぎじゃ――」

「いいよ、ペートラ。クリスと同じ考えの貴族が大半なんだから。主人と使用人の立場は明確かつ完全に分断されてなければならない、使用人は貴族の所有物であって労働者ではない、って」

「だったら、何故その流れに逆らおうとするのかしら?」

「別に。気に入らないから」

「気に入らない? エリィってば、またそんな子どもっぽいことを!」

「へぇ? なら、クリステルお嬢様はさぞかしご立派な『大人』でいらっしゃるんでしょうねぇ」

「なによその言い方は! とにかく、常識なんだから使用人との関係を改めなさいよね!」

「ほら来た! 『常識』! 二言目には常識常識、ってさすがは立派な大人ですこと」

「いい加減に――」

「ほら、そこまでだ」

「ケンカ、ダメ!」

 取っ組み合いのケンカに発展しかけていたエルラガルとクリステルを間に入って止めたのは、ペートラたちだ。

 ふたりは急に頭が冷えるのと並行して、周囲の状況が見えてくる。一番最初に目に入ったのは、エリカの戸惑ったような怯えたような顔だ。今にも決壊しそうなほど、グレーの目に涙を溜めている。『貴族』の『使用人』に対する普通の対応をまざまざと体感させられ、その一方で自らの主人は否定しかばってくれた。そして自分のために、大切な友人と口ゲンカをさせてしまった。嬉しさ、寂しさ、その他いろんな感情がぐるぐると渦を巻き、一体どんな表情をしているのか、エリカ自身ですら見当がつかない。

 それでも、エリカは最後の自尊心で、頭を深々と下げた。涙を一滴もこぼさない。これは、使用人としての自尊心だ。

「お嬢様、ありがとうございます。ですが、私のような者のために、ご学友の方と仲違いする必要はありません」

「そ、そう……」

 そう言われては、エルラガルは何も言うことはない。長く青い髪をかき上げるだけだ。そしてクリステルも、エリカのお辞儀に圧倒されて、口をつぐんでいる。

 ここぞとばかりに、ペートラは慌ててエリカに話を振る。

「それで、あなたはなにをしに来たの? かなり慌てていたようだけど」

「それが、新しい犯行声明が――」

 エリカが言い終わる前に、エルラガルはエリカの取り出した紙をすばやく奪い取った。

 クリステルたちの非難も一切無視して、エルラガルは犯行声明の文章に目を走らせた。筆跡は、前回のものと同じようだ。プロが見れば違いがあるのかもしれないが、素人目には完全に同一人物の筆跡だ。

『娘を返して欲しくば、五侯会議で情報部の解散を決定しろ』

 チッ、と小さく舌打ちして、エルラガルはその犯行声明の書かれた紙をテーブルに放り投げた。



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