¶03 ルクを抜いて祝宴を盛り上げる。
なかなか答えを返さないニナンナに痺れを切らしたエルラガルは、ニナンナにずい、と詰め寄る。エルラガルの綺麗な空色の瞳に、ニナンナの戸惑った表情がくっきりと映り込んでいた。まるで鏡のようなその瞳に何でも見透かされているような気がして、ニナンナは目を反らした。
「ごめん、今日はこのあとちょっと予定が入ってて。みんなと遊びにはいけないの」
えー、といっせいに非難の声が上がる。
「ニーナと一緒がいい!」
「あれ? 何か予定入ってたかな」
「ううん。家の用事じゃなくて、私個人のほんとにちょっとした用事なの」
「もう、エリィったら。いつまでも姉妹べったりってわけじゃないんだから、いい加減姉離れしなさいよ」
「違うし! あたしがお姉さんで、ニーナが妹だし! 言うなれば妹離れだし」
「じゃあ、妹になんでも面倒見てもらって始終べったりだってのは否定しないんだ」
「むむう……」
「ニッキーみんな一緒がいい!」
「はいはい、わかったわかった」
「私先に行くね。ごめん、また今度誘って!」
エルラガルたちが声をかける間もなく、手をひらひら振って、ニナンナは小走りで教室を飛び出していった。
取り残されたエルラガルたち三人は、ニナンナの姿が見えなくなってもしばらく教室の出入り口を見たままだった。
「……あやしい」
沈黙を破ったのは、エルラガルだ。いつの間にか、いたずらを思いついた悪ガキの目をしている。
クリステルとニッキーがエルラガルに目をやると、あごに手を当てて、らんらんと輝いた目をしていた。
これは誰かに不都合なことが起こるな、とクリステルは確信した。エルラガルがそのようなわくわくした様子で何やら考えている場合、必ずといっていいほど周囲を巻き込んで何かをやらかしてくれるのだ。その結果、目的となった物もしくは人物は悲劇的な結末を向かえ、巻き込まれた人々は絞りきった雑巾のように疲れに疲れることになる。アカデミィ内でも2,3ヶ月に一度はそういうことが発生し、そのたび毎に火消しに回るのは双子の妹のニナンナとクリステルの仕事となっていた。
「なにがなにが?」
ニッキーがエルラガルに食いついた。クリステルは内心、余計なことを、と毒づく。わざわざエルラガルをヒートアップさせてやることもないのに、どうして燃料投下するようなマネを、と。
ふふん、と満足げな表情で、エルラガルは人差し指を突き出す。
「ニーナは何かあたしたちに話せない後ろめたいことがあるに違いない。いやそうであってほしい」
「後ろめたいことー?」
「……後半本音出てるじゃない」
「そう。先刻あたしがニーナに近づいたとき、ニーナは慌てて目を反らした。そのあと、予定の話を持ち出して逃げるように出ていった。これは何かあるよ!」
「おおっ! 美味しいオカシ隠してて、独り占めしようと取りにいったとかかな?」
「ニッキーは、世界中の人全てが自分と同じ思考回路してると思わないほうがいいと思う」
「ニーナのことだから、オカシって考えはない。きっと、男だな」
「男!?」
「男ー?」
エルラガルの適当な推論に、クリステルは飛び上がらんばかりに驚く一方で、ニッキーは明らかにつまらなさそうな表情になった。
人差し指を上下に振り振り、エルラガルは話を続ける。
「あたしの知る限り、ニーナは何度か不純異性交遊、もとい恋人を作ったことがあるわけだが、」
「何それ初耳!」
「ありゃ、クリスは知らなかった? こそこそ密会を重ねてたようだから、知らなくとも仕方ないよ」
「ニーナ……私の情報網に引っかからない恋愛関係を築くなんて、恐ろしい娘」
「ニーナは隠したり黙ってたり、ってことにはスペシャリストだからなぁ。それはそれとして今回の件だけど、男とのデートじゃないかってあたしは睨んだね」
「どうして?」
「……お昼のペートラの話を思い出して欲しいんだけど、結局『少年A』が誰かってのはうやむやになったでしょ?」
「そういえばそうね。ペートラにこそっと教えて、ってお願いしたけど断られちゃった」
「やっぱりそうか」
エルラガルは、まるで全ての謎は解けた!とでも言いかねない顔で、うなずいた。
だがうずうずしてるのはクリステルのほうだ。ニッキーは完全に興味をなくして、破ったノートの切れ端にケーキの落書きを始めている。この絵がなかなか上手い。ふんわりと描かれたクリームが柔らかそうだ。
「ニーナはあのつまらない歴史の講義の間に、あることに気づいてしまったのだ。ペートラの言う『少年A』は、ニーナの現在の彼氏、『想い人』はこのあたしなのではないか、とね!」
「どうして!?」
「……できれば全員集めて話したいけど、まあいいか。ペートラは、『少年A』に恋愛相談をされた後すぐにあたしたちのところで、その話をしたよね? そのことからあたしとニーナは、ほぼ同時にあの6人の中に『想い人』がいると考えた」
「双子は相手の考えてることがわかる、ってやつね。信じないけど」
「あの6人の中で誰が『想い人』かというと、まず相談されたペートラは違う。本の虫のマディソンもない。マディソンなら図書館で本を読んでるときにいつでも声をかけられるから。ニッキーも違う。食べ物でいくらでも釣れる」
「ニッキー美味しいもの好き!」
「だからって、ほいほいついてっちゃダメだからね。クリスは……まぁ、何かいろいろ理由があって、ありえない」
「なんでさ! そこは理由言ってよ! 断固直訴する!」
「えー。だって、男に人気ないもん」
「……え? ウソ……私、嫌われてる? 男子に嫌われてるの?」
「ニッキー、クリスのこと好きだよ?」
「う、ウソ、ウソだよね」
「ち、ちが……違うって。クリスは分け隔てなく接するから、男に異性として見られてないってそれだけの話だってば」
「そ、そうなんだ。よかった。よくはないけど……」
「本筋に戻るよ? で、残るのは、あたしとニーナだけど、ニーナが今回ああやって動いた。だから、『想い人』はあたし、『少年A』がニーナの彼氏ってことになるわけ」
「ふーん、なるほどね」
「なるほどー」
「ニッキーも分かってくれたか」
生返事のニッキーにも反応して、エルラガルは、うんうんとうなずく。
なるほどーやっぱり頭いいなー、と場が完全に納得しかけた時、
「って、そんな推理で納得するはずないでしょ!!」
「ええっ!?」
クリステルが机を思い切り叩いた。
「最後が粗い! 粗すぎでしょ。エリィとニーナが残って、ニーナが急に帰ったからニーナの彼氏がエリィのこと好きになったって、無理やりにもほどがある!」
「そうかな?」
「ニッキーはよく分かんない」
エルラガルとニッキーは顔を見合わせる。クリステルは、どうにかふたりに理解させようとして、諦めた。論理的に説明するのにかなり時間がかかりそうだったからだ。
でもでも、とエルラガルは手を上げる。
「ニーナが出かけたのは、男だと思う」
「どうして?」
「双子の勘、かな」
「……またそれか。信じてもいいの?」
「とーぜん!」
何故か請け合ったのは、ニッキーだった。手元の髪の切れ端をぐしゃっと握り締めている。もう我慢の限界が近いようだ。
エルラガルはニッキーを手で制止させつつ、続ける。
「で、あたしはニーナの修羅場を見たいので、これから追いかけようと思ってる」
「最低な姉」
「それよりニッキーは美味しいもの食べに行きたい」
「ねぇニッキー、マディソンやペートラも誘って行きたくない?」
「行きたい!」
即答。エルラガルは、よーしよしとニッキーの頭をなでてやる。
それを見ていたクリステルは、ため息を吐いた。エルラガルもニッキーもみんなでわいわいやるのが好きな方なので、すぐ全員に声をかける。ただし、エルラガルは、自分の妹の修羅場をネタに友達と笑いあうつもりなのだ。実際に修羅場かどうかは、わからないが。
でも、クリステルは他人の不幸を笑うような悪い趣味はしていないと自分では思っている。今回はパスしようと決めた。
「それなら、私は……」
「来ないの?」
「ちょっと今回は……」
「男からモテモテのニーナがどうなるのか、見たくない?」
「うっ……」
「そうだ、ニッキー。マディソンとペートラ探しておいでよ。校門のところで待ってるから」
「わかったー」
それだけ言うと、ニッキーはものすごいスピードで飛び出していった。美味は偉大だ。
さて、とエルラガルはクリステルの真正面に立つ。クリステルは、一瞬食指が動いてしまったことを後悔した。
「クリス、先刻言ったことはウソじゃないよ」
「……えっ?」
「だから、男に人気ない、って話」
「あ、その話ね。ちょっと傷ついたわ」
「ごめん。でも、事実だし。しょうがないんだよ。別にクリスは悪くない。ただ、環境の問題なんだよ」
「環境?」
「そう。相対的に見た結果、そうなっちゃってるにすぎない。だって、いつもすぐ近くに…………」
「…………」
「……近くに、だ、ダイナマイト……ダイナマイトボディーがあったら、男……バカな男どもは、そっちにしか目が行かないんだから……ッ」
「うッ……」
エルラガルがひざから崩れ落ちる。クリステルはそれを見ながら、手を伸ばす気力すら失っていた。
無意識に、クリステルの口の端から言葉がもれる。
「そうか、それが原因だったのか……」
ニナンナのそれは、遠目でもそれと分かるほどあからさまで、他とは違う神々しさのようなものを纏っていた。そのために、比較対象にされた面々は必要以上の逆境に立たされていたに違いない。
比較的早く立ち直ったエルラガルだったが、あえて目を反らしていた現実と向き合ったために深い心の傷を負っていた。未だどん底に暗い闇の中にいるクリステルに肩を貸してやる。
「だから、さ。見届けにいこう、クリス」
「そ、そうね…………私たちは、見届けなくては、ならないはず、だわ」
カーディナル戦役もかくやといった体で、エルラガルとクリステルは前に一歩踏み出した。ふたりの進む先に、増援部隊があると信じて、進む。
「ホントにここであってるの?」
「もちろん! デートの待ち合わせといったら、ここでしょ」
「そりゃそうかも知れないけどさ、もう相手の男と逢っちゃってるかもよ」
「そもそもデートとは限らない」
「これ美味しい! おかわりー」
驚異的な探知能力でマディソンとペートラを探し出してきたニッキーと合流したエルラガルとクリステルは、ニナンナを追いかけて街へと繰り出していた。
有名な待ち合わせスポットとなっている、街一番の時計台の前。そこをちょうど見渡せる席がある喫茶店に、エルラガルたち5人は陣取っている。下手をすれば、待ち合わせしている向こうからも丸見えになりかねないが、喫茶店のオーナーに無理を言って、間仕切り板を勝手に置かせてもらっている。そのお詫びのしるしになるかどうか怪しいが、5人とも高そうなケーキと紅茶をオーダーしていた。
「マディソンの言うとおりで、そもそもニーナはデートかどうかも分からないんでしょ」
「……」
ペートラの当然の疑問に、エルラガルもクリステルも答えが見つからない。
早くも、クリステルは後悔していた。エルラガルに乗せられて、ほいほい着いて来てしまった自分に嫌気がさす。その一方で、エルラガルはケーキに舌鼓を打つばかりで、既にニナンナの件について興味を失くしてしまっている。
「ぶっちゃけた話、そのことはもうどうでもいいかなぁ。このケーキ美味しいし」
「もう、エリィったら! いい加減にしてよ」
「ノリノリだったクリスに言われてもねぇ?」
「私は、仕方なくエリィに付き合ってあげてるだけなんだからね!」
「ちょっとあんたたち、ケンカなら余所で――」
「来た」
ニッキーの真面目な声に、ペートラは言葉を途中で遮られた。マディソンは手にしていた本を閉じ、ケーキに顔をほころばせていたエルラガルでさえも、表情が硬くなる。
5人は各々用意した間仕切り板の穴を覗く。
「いたいた」
「あの様子は、本当に男を待ってるな」
「え、どこ?」
「ほら、時計台の端。アカデミィの時と服が変わってるけど」
「服装変えたから、あたしたちより早く出たのに遅く着いたんだな」
5人の目線の先、先刻までアカデミィにいた時と服装の違うニナンナは、忙しなげに周囲を見回していた。それぞれ思惑は違えど、エルラガルたちのテンションは高まっていく。
1分が経ち、2分が経過し、5分過ぎた。
「飽きた。これは持久戦だよ。クリス、後はよろしく」
エルラガルはそれだけ言い残してテーブルに戻ると、ぬるくなった紅茶の残りを飲み干す。
任されたクリステルはたまったものではない。一瞬だけ乗り気になったとはいえ、当初から他人の不幸を笑うようなことを嫌っていたのに、勝手に重要なポジションを任されてしまったのだから。ひとり抜け、ふたり抜け、そうしていく間にもほとんど目を反らさなかったのは、クリステルの責任感の為せる業だろう。