¶02 ーは、すぐさまシャンパンのコ
小さな拍手と歓声が湧き上がる。間一髪、ゴミになるのを免れた『シェフの気まぐれ(以下略)』は、エルラガルからニッキーに進呈された。
「で、私もクリスの言った点は非常に気になった。ひじょーに」
「ある意味信頼の証ではあるんだろうけどね」
「私も男だ。違った、いっぱしの女だ。ドンと任せろ、大船に乗った気でいろ。そう言ってやったんだ」
「おぉ、カッコいい」
「カッコいー」
「ちょっと待って。ペートラはどこまで面倒見る気なの? というか、少年Aは誰で、少年Aの想い人って誰なの?」
ニナンナが、一番の疑問をぶつけた。途端、みんなの非難の目がニナンナを貫いた。
誰もが一番聞きたかったことに、直滑降で突っ込んだニナンナへの非難の目だ。
「ニーナ、空気読めない」
「……」
「そうだねぇ。話の腰を折るどころか、真っ二つにしてくれたよ」
「ニッキー、大人しく聞いてた」
「ご、ごめんなさい」
ニナンナは萎縮するばかりだ。まだそれを聞いてないのに、事のあらましをわくわくしながら聞いているみんなは気づいてないと思っていたのだ。だから、よかれとばかりにした質問が仇となった。
しかし、それをとりなしてしまうのが、ペートラだ。
「まあまあ、ニーナも悪気があったわけじゃないし。じゃあ、誰だと思う?」
「え?」
「少年Aの想い人、ニーナは誰だと思う?」
「うーん、ちょっと考えさせて……」
ニナンナは思いをめぐらせる。
まず、ペートラは今回相談を持ちかけられた側なので、対象外。そしてペートラがニナンナに質問するくらいだから、ニナンナが知っている女性だろう。ペートラの友達かつニナンナの友達となると、人数が多すぎて絞り込めない。
(あれ? ならどうしてペートラは今、この話をしてるの?)
ペートラが相談されたのはつい先刻だ。その話が終わった後すぐここへ来て、その恋愛相談の話になっている。もしペートラを信頼して相談を持ちかけたのなら、少年Aの思いをペートラは踏みにじったことになりはしないか。その点も考慮して、少年Aはペートラに相談したはずだ。これがもし、エルラガルにでも相談しようものなら、
『みなさーん、聞いてくださーい! 『少年A』は『想い人』ちゃんが好きだそうでーす! これから告白するので、温かい目で見守ってやってくださぁーい!!』
(やりかねない……想像があまりにもリアルすぎるよ。被害者を出すわけにはいかないよね)
もし、双子の姉に恋愛相談でもしようとする輩がいるのなら、絶対に阻止すると心に誓って、ニナンナは考えを改める。
エルラガルでなく、ペートラに相談したのに、そのペートラは今ここでその話をしているということは、この中の誰かの協力が必要なのだろうか。いや、逆に、
「想い人はこの中にいる。どうだろ」
「ッ!?」
エルラガルがペートラに人差し指を突きつけた。ニナンナのころころ変わる表情を楽しんでいたペートラたちは、突然口走ったエルラガルの言葉に絶句する。
しかし、一番驚いていたのはニナンナだった。先に言われたことからくる怒りではない。全く同じチェックポイントに全く同時に到着したことに驚いたのだ。
「ね、ねぇ、エリィ。どうしてそう思ったの?」
「何となく。こう、ビビッと来たような」
「もー、エリィ。ニーナにヒントあげちゃダメでしょ」
クリステルがエルラガルに掴みかからんばかりに叱った。だが、ニナンナはクリステルをなだめに入る。
「いいの、クリス。私もそう考えてたから」
「えぇ? ウソだ。ちゃっかりヒントもらってラッキーって思ったんじゃない?」
「違う、違うって。私もエリィとちょうど同じ瞬間に、同じこと思ったんだもん」
「何それ? どういうこと?」
「……双子だから」
手元の本から1ミリも視線を動かさず答えたのは、マディソンだ。先刻閉じた本とは別の本、つまり読書は今日の2冊目に突入したらしい。
それを聞いて、あぁ、とニッキーが頷いた。
「双子はたまにお互いの考えてることがわかるって。ランディに聞いたことある」
「テレパシーかなにか? 非科学的な話ね」
「それよりもあたしは『ランディ』の方に引っかかったんだけど」
「どうして? というか、誰それ」
「エリィは『ランディ』のこと嫌いだものね」
「あいつ嫌いだわー何故かは分からないけど、嫌い」
「エリィはランディ嫌い? ご飯いっぱい食べさせてくれるから、ニッキーはランディ好き」
「ニッキーは食べ物もらえるなら誰にでもホイホイついていきそうだな」
「……それはよくないわね」
クリステルの一言に、エルラガルは慌ててニッキーの肩を鷲掴みにした。
「いい、ニッキー? 美味しいものあげるからついておいで、って言われても、知らない人について行っちゃダメだからね、絶対!」
「うん? 美味しいの食べさせてくれる人いい人じゃないの?」
「いや、そうじゃなくて。騙して連れ去ろうとする人がいるかもしれないってことなの」
「? 悪い人いるの?」
ニッキーに言い聞かせるエルラガルをわき目にしながら、クリステルはつぶやいた。
「……こうして見てると、エリィとニッキーって姉妹みたいだよね」
「お似合いだよねぇ。どうした、ニーナ」
ペートラがニーナの方を見ると、何かいろいろ考えが渦巻いてるような顔をしている。試しにニナンナの目の前で手を振ってみるが、何の反応もない。エルラガルを見据えたままだ。
「どうしたの?」
「ダメだこりゃ。自分の世界に入り込んじゃったかな」
ペートラは肩をすくめる。ふとテーブルを見ると、パスタにほとんど手をつけてなかったことに気づいて、急いで食べる。
話の続きだけど、と前置きながら、クリステルはペートラに切り出した。
「結局、想い人って誰なの?」
「ふふ、気になるの?」
「べ、別に、それほど気にはしてないけど、ずっとお預けくらってるみたいで、なんか落ち着かないから! それだけ!」
「へぇ……」
ペートラは、未だにニッキーの肩をゆするエルラガルを見、ついで呆然とするニナンナと黙々と本を読むマディソンを見て、最後に真剣ににらむような眼差しのクリステルを見た。かなり距離を空けた建物の影から、こちらを見ている者も目線の端に映る。
ふいに、ペートラはいいことを思いついた。
「それはまた今度、ということでもう少しお預け」
がらぁん、と時を告げる鐘の音が、アカデミィ全体に重く響き渡る。
校舎のあちこちから、生徒たちの重苦しい空気が抜けてゆくような気配が漏れ出てくる。
今日一日の日程は、この鐘の音をもって終了したことになる。
アカデミィの生徒には、決まったクラスも時間割もない。個々人が自分のやりくりできる時間に合わせて、講義を取れるようにしてあるからだ。これにはもちろん理由がある。アカデミィの最初期は、当時のダニリャン侯爵が自らの子息の教育のために、配下の者の子息と一緒に学ばせたことに端を発する。当時はまだまだ各家々の格式が重視されていたために、たとえダニリャン侯でも配下すべてに子息の教育を一律に強制させることが難しかった。また、それぞれの家で家庭教師を雇って教えるということが一般的でもあった。そのため、ダニリャン侯は全員の強制参加となる科目をなるべく少なくして、自由に聴講できるよう体制作りをしたのが始まりである。
時を下って、エルラガルたちが通うアカデミィでは、その体制をなるべく引き継ぐ方向で、生徒に合わせて柔軟な時間割と遅れを簡単に取り戻せる講義スタイルを主としている。貴族が家庭教師を雇って、子弟を教育するというスタイルは現在でも一部の家で行われているが、ほとんどの家ではアカデミィに通わせることが主となっている。これは、ダニリャン侯の後ろ盾もさることながら、アカデミィに通わせることが親の間で一種のステータスにもなっており、また将来のコネ作りにも役立つという暗黙の了解があるからだ。通う子どもたちにとってみれば、ただ単にたくさんの友達が作れる、友達に会える、という目的にも合致しており、双方ウィンウィンの関係になっている。
だが、それだけ生徒主体の体制にしたとしても、ダメな生徒はダメになる。
「ねぇ、まだ寝てるの?」
「うん。ぐっすりで全然起きそうにない」
「……くぅ」
クリステルとニナンナの目の前で、ノートを広げたまま机に突っ伏して寝ているのは、エルラガルだ。ペンを持ったまま眠りに落ちたのだろう、一本のまっすぐな線がノートに残っている。
「なんだぁ? フューラー妹はまだ寝てるのか?」
教室の一番前から声がかかる。歴史専門の男性教師だ。ちょうど教室から出て行くところだったようで、まだ残っているニナンナたちに声をかけたようだ。
ニナンナが反論する。
「先生、私寝てません」
「え? その青い髪のちっこいの、フューラー妹だろ? そのひとつ前の塊は、ネコミミのあいつだ」
無駄に記憶力はいいな、とクリステルは内心思った。これでは自分が寝ているときに目をつけられていた可能性が十分にある。
そんなクリステルの心配をよそに、ニナンナは教師に詰め寄る。
「確かに、エリィの前で寝てるのはニッキーですけど、フューラーの妹は私です」
「エリィ?」
教師は手元の出席簿を確認する。
「ニナンナ=スカンディアン=フューラー?」
「私です。妹の方です」
「エルラガル=ナヴィアン=フューラー?」
「向こうで寝てるほう。私の姉です」
「そっかそっかー」
ははは、と男性教師はから笑いする。自分の間違いを棚に上げるときに、よく使う手だ。
「小柄だし、いつも暴れまわってる方が妹だと勘違いしてたよ。ニナンナはあっちと違って、しっかりしてるしな」
「まぁ、よく言われるからいいんですけど。でも先生、もう先生の講義取ってかなり経つんですけど」
「じゃあ逆に聞くが、講義中名指しで指名したり、出欠に点呼とったりしたか?」
ニナンナは一瞬答えに詰まった。そういう制度がないから、悪く言えばいくらでも代打できるからこの科目を取ったからだ。
「……いえ、そんなことはなかったです」
「なら、お互い様ってことで」
また、ははは、と笑う。
男性教師はそのまま教室を出て行こうとして、扉を開けたままでニナンナの方を振り返った。いつもはぼーっとした目をしているのに、やけに真剣な目をしている。
「かのフューラー侯はそういうところに厳しいから、爵位を継ぐのは向こうで寝てる方になるのかな」
「そのはずです。叔父は継承しないことを明言してますし、彼女が現当主の第一子ですから」
「あれでいいのか……っとと、いやいや、言い過ぎたか。侯爵家の後継者問題に口を出せる立場ではなかった」
「そうですよ。この校舎を一歩でも出れば、私たちはフューラー侯爵家の嫡流の人間です。それに、後継者問題なんて存在しません。注意してください『先生』」
ニナンナが『先生』に力点をこめて言うと、その男性教師とニナンナは笑いあった。
傍から聞いていても、寒々しいほどの乾いた笑い声だ。そういった危ういバランス関係の上に、アカデミィは成り立っている。
エルラガルとニナンナはフューラー侯爵家、クリステルはミュルダール伯爵家、ペートラはカーネマン伯爵家の貴族である。一度アカデミィから出てしまえば、畏れ多いお嬢様という立場になる。一方でマディソンとニッキーは政府関係者の娘であり、元は平民だ。その社会的格差を踏み越えて、何の利害関係もない『同窓生』という関係を築けるのも、アカデミィの重視される理由のひとつだ。
「んっ、んんーーっ」
フューラー侯爵家次期当主のお目覚めである。イスに深く腰掛けたまま、ネコのように両手足を前方へと伸ばす。頬についたペンの跡と相まって、威厳も形無しだ。
「エリィ、やっと起きた?」
「あたし寝てたの?」
「そりゃもう完全に。先生も呆れてたよ」
一歩引いたところから見ていたクリステルが状況を説明する。
「まぁ、そんな些細なことはどうでもいいんだけど」
エルラガルはその一言で済ませて、目の前で極楽の境地でぐっすり眠るニッキーの肩をゆする。
「ほら、ニッキー起きて。帰ろ」
「う〜〜〜〜にゅぅ」
「帰りに何か買い食いして帰るから」
「……むぅ?」
ピク、とニッキーに反応があった。食べ物のにおいでも感じ取ったのだろうか。
クリステルは、やれやれと肩をすくめた。
「ニッキーは本当にゲンキンなヤツね」
「む? むむむっっっ……」
「さぁ、起きた起きた」
ゆっくりと伸びをするニッキーに声をかけながら、エルラガルが持ち物の後片付けに移る。ただかばんの中に、持ち物を放り込んでいくだけだが。
「さぁ帰ろ、すぐ帰ろ」
「エリィ、何食べるの?」
「ニッキー、あんたやっぱり食べ物のことしか頭にないのね」
「んー。どーしよっか?」
「食べ物だけじゃない! ニッキーちゃんと難しいことも考えてるもん!」
「それはどうかなぁ?」
「ほらニッキー、持ち物片付けて。ニーナは何か食べたいものある?」
「……え?」
エルラガルにとっさに話を振られて、ニナンナは慌てる。全然聞いていなかったわけではないが、別のことを考えていたのだ。