09 桜色の炎
「設楽君、生放送宣伝お疲れ様。」
にこやかな社長。設楽は曖昧に返事した。とても面倒見のいい人で、この人の前に立つと、いつも何かしら申し訳なさを感じてしまう。それは自分だけではない、他の俳優やアイドル達も、スタッフまでもそう言っていた。仏の社長とも言われている。
「まあ、その分じゃあもう分かってるとは思うけど・・・。」
「あー、その・・・すみませんでした・・・。」
社長は相変わらずにこやかなままだ。真剣な顔になったが、もとがこういう顔なのだろうか。禿げあがって広くなった額の下に、アルカイックスマイルを湛えた目と口がある。
「謝る必要はない、大変なのは君の方だよ。きっとマスコミが押し寄せて来る―なにしろ、俳優の恋愛だなんて、ただでさえ美味しいネタだ。それに三八回もフられたなんてスパイスがかかっている。飛びつかないわけないね。しかも君は今人気上昇中の天才俳優として、広く知られている。今まで君は恋愛の噂がなかったから、余計美味しいね。」
確かに、フられた回数を聞けば、誰だって余計な推測をするだろう。
「初恋は実らない、なんて言うけど、こんなことでそうならないように、くれぐれも注意していきなさい。こっちからも出来るだけ手は打つよ。」
「ご迷惑を・・・本当に申し訳ありません。」
社長は、いいのいいの、と笑うと、話は済んだから出ていいよ、と言った。設楽は一礼して部屋を出たが、なんとも重い足取りだった。
その後のこともよくは覚えていない。写真を撮った時、笑顔はかなり取り直しさせられた。その代わり、カメラマンに、じゃあちょっと物憂げな表情でやってみて、と言われた時は、かなり綺麗に撮れたらしい。撮っている最中に、思わず誰にも聞こえない溜め息をついてしまった。
撮影が全て終わった夜八時には、携帯に笹井から、「大丈夫か?」とだけメールが入っていた。送信時刻を確認すると、朝十時すぎだった。おそらく、あの生放送を見たのだろう。返信しようか迷ったが、あまりに疲れてディスプレイを見るのも辛い。特に送る文面も思いつかなかったので、返信するのは諦め、家まで帰ることにした。
「あれ、記者じゃない?」
高橋がハンドルを握ったまま言った。車を道の端に寄せて停めた。設楽のマンションの前の電柱の陰に、一人の男がいた。スーツを着て、黒い鞄を肩に掛けている。
「今帰ったら捕まるパターンか・・・。」
いくら自分の行い、自業自得だとはいえ、今日は勘弁してほしい。
「どうする、うち来る?」
高橋が目を向けた。
「そんな、悪いですよ。お子さんもいらっしゃるのに。」
高橋の家には、まだ四歳の娘と、ついこの間生まれたばかりの、零歳の息子がいる。記者に捕まるのも嫌だが、彼の邪魔もしたくない。
「構わないよ、嫁も最近設楽君に会ってないから、久しぶりに会いたがってたし。今電話するね。」
高橋は、設楽の返事を待たずに携帯電話を取り出した。高橋が電話でやりとりしている間、設楽はぼうっと街灯の青い光を見ていた。これから、きっと暫くは騒がしくなるに違いない。
高橋家の了承がとれ、結局そちらへ行くことにした。
「しかし君も凄いね。結構長い間マネージャーやってるけど、三八回も告白したなんて知らなかったよ。」
布団の準備をしながら高橋が言った。
「いや・・・もうずっとフられてるし。」
「でも凄いよ、本当に。深くは聞かないし、話さなくてもいいけど、なかなか出来ることじゃない。僕はよくは分からないけど、応援してるよ。」
設楽は、この前ベランダでひとみが話していたことを思い出したが、何も言わずに、おやすみなさい、とだけ言った。布団に入ると、何かを考える暇もなく、引きずり込まれるように眠った。




