06 満月の夜
設楽が帰ってから、ひとみは自室へ戻った。机の上に置いてあった携帯電話を手に取り、ストラップを眺めた。白のボディに温かみを加える、ピンクの紐製のストラップだ。今年のホワイトデーに、お返しのチョコレートと一緒に設楽からもらったものだった。京都で撮影をした時のお土産だと言っていた。
その時、丁度携帯が鳴った。開くと、笹井の名が表示してある。
「はい。」
「あ、西川?今電話しても大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。どうかした?」
用件はだいたい分かっているのだけれども。
「分かってるくせに・・・。設楽の奴、今日で三八回目だよ。まだ駄目なのか?」
ひとみは溜め息をついた。いけない、幸せが逃げて行く。外の空気を吸いたくなり、ベランダへ出ることにした。
設楽はしばらく月を眺めていたが、少し寂しそうな顔をした後、部屋へ戻った。網戸を閉じた時、隣のベランダの窓の開く音がした。思わず動きを止めてしまう。
「そんなこと言ったって、仕方ないじゃない。」
ひとみの声だ。よせばいいのに、ついそのまま聞いてしまう。電話だろうか。ひとみの声だけが空気を揺らす。
「何よ、それ、どういうこと?」
少しいらついた声。間があって、今度は落ち着いたトーンで、かすれ気味の声がした。小さな声だったが、聞き逃さなかった。
「ずっと言ってるじゃん・・・私は、設楽君が好きなんだって。」
設楽は、地面が揺れたように感じた。全身の血が駆け巡る。その後の会話は、もう耳に届いてすらいなかった。
どういうことだ、わけ分かんねえ。さっきひとみは何て言ってた?俺のことが何だって?ずっと?だったら、なんであんなに拒絶するんだ。ああ、吐きそうだ。やっぱりこういうことはするもんじゃないな。
設楽は網戸を通して入ってくる風を冷たい、と思いつつ、何も出来ずにその場へ座り込んだ。何だか、すごく疲れた気がした。ひとみはベランダで話すのをやめ、電話で誰かと話しながら室内へ入って行ってしまった。
笹井は相変わらずのひとみの答えを聞いていた。
「ずっと・・・ねえ。俺もいつも設楽見てるつもりだけどさ、あいつもあいつなりに必死に頑張ってるんだぜ?何が不満であいつと付き合わないの?」
「別に不満とかじゃなくて・・・いろいろあるの!」
「いろいろって、例えば?」
「・・・もうちょっと。もうちょっとなの。」
笹井は首を捻った。こんな所で小首をかしげてみせたって、誰にも見えないのだが、思わずやってしまう。
「その『もうちょっと』って、何なの?最近そればっかだよね。」
「・・・変な詮索はしないで。もういい?切るよ。」
結局いつもと同じ会話になってしまった。笹井は携帯を閉じると、目をつむった。幼馴染だから分かることだが、ひとみはいつも設楽のことを見ていた。記憶にあるうちからだから、相当な年月に違いない。中学に入ったらきっと付き合うのだろうと思っていた。なのに、この五年間、設楽がどんなに頑張ってみても、ひとみの答えはいつもノーだった。理由を聞いても、最近は『もうちょっと』の繰り返しばかりで、それだけは決して教えてくれないのだ。推測しようにも、思い当るふしなど全くない。絵に描いたような相思相愛の二人なのに。笹井は首を捻るばかりだ。傍で見ていて、あんまりにも設楽が気の毒だったから、そのことだけでも言おうかと思ったが、自分が設楽にひとみの心中を話してみても意味は無いし、奴は直接の言葉しか信じないだろう。それに、設楽には悪いが見てる分には凄く面白い。ひとみの口ぶりからして、あとひと押しってところなんだろうが、ここまで来たら、親友として見届けてやりたい。二人がくっついた暁には、盛大に冷やかしてやろうか、と企む。
しかし、設楽がどこまでこの関係に耐えられるのだろうか、それが気がかりでしょうがない。あいつなら大丈夫とは思うが、もしこれが自分なら、せいぜい二回だ。それ以上フられ続けるなら、きっと耐えられないだろう。




