04 黒い砂時計
午後六時に正門が閉まるので、それまでに下校しなければ先生達に捕まってしまい、そうなると、部活が出来なくなる、というペナルティがつく。冬と違い、六時でもまだ明るい。オレンジとも桃色ともつかない、この朱色の空が好きだ。
自宅は、学校から自転車で十分もかからないマンションだ。荷物を肩にかけ、コンクリートの階段を上がっていく。エレベーターもあるのだが、止まった瞬間のふわっとする感じがどうも苦手で、必要でなければなるべく階段を使っている。
三階の突き当たりから三番目のドア。三○三号室の鍵穴に、鍵を差し込む。確かな手ごたえで、鍵が開いたのが分かる。
ドアを開け、入ってすぐの所にある電機のスイッチを押した。うす暗い室内が、一気に明るくなる。靴を脱いで、端に寄せた。無言のまま、手を洗い、部屋へ向かった。各部屋は引き戸で仕切られている。その引き戸を開け、静かに荷物を降ろした。部屋の電気を付け、背の低い棚の方へ歩み寄る。上には、写真立てが置いてあり、破れた写真が入っている。
「ただいま。」
語りかけた写真には、笑顔で写っている髪の長い女性、がっしりとした体つきの男性、それから二つに髪を結った、三歳くらいの少女が並んでいる。一番左端は丁寧に破かれているが、あと一人分はありそうなスペースだ。
家族は、いない。十二年前の事故で、生き残ったのは自分一人だった。それからは親戚のもとで過ごしたが、どうも折り合いが悪く、中学に進学した時、自分で稼ぐことを条件に家を出た。もともと雑誌などのモデルとして知られていたので、いくらかコネやツテはあった。加えて幸いにも、というのだろうか。この隣の三○二号室は、幼馴染の西川家だ。何かと面倒を見てもらっている。自分のマネージャーを呼んだっていいのだが、彼には彼の生活がある。それを奪ってまで誰かと居ようなどと思ったことはない。
着替えてから、キッチンへ向かった。何を作ろうか、と考えながら手を洗う。その時、玄関のベルが鳴った。こんな時間に。誰だろう。
「はい・・・。」
チェーンロックをしたまま、ドアを開いた。
「設楽先輩。」
「さとみちゃん。どうしたの?」
ドアの前に立っていたのは、西川ひとみの妹だった。髪型は姉そっくりで、長い髪を二つに分けて結っている。性格は姉よりもおてんばだ。吹奏楽部の後輩でもある。
「夕食、まだでしたら御一緒しませんかって、母が。なんでも、スーパーでいいお肉が手に入ってたくさん買ったから、焼き肉にしようって。」
「ああ、助かる。今、夕飯何にしようか悩んでたんだ。お邪魔でなければ、是非。」
「良かった。じゃあ、父が帰って来た頃にまた呼びに来ますね。姉もその頃には塾から帰ってきますから。」
言い返す間もなく、さとみは去って行った。
ああ、ちょっと気まずいかも。いくら日常化しているとはいえ、今日またフられたばっかりなのに。どんな顔して行けばいいんだ。
ぐだぐだと考えるのを諦め、さっさと弁当箱を洗った。ひとみの父親が返ってくるのは、いつも七時半頃だ。あと一時間程ある。学校では、各教科で特別に指示がなければ、基本的に宿題はない。どうも勉強する気は起こらず、次のドラマの台本を手にした。その下から、以前撮った映画の台本が出てきた。来週の日曜日に公開される時代劇で、平安時代が舞台だ。高貴な貴族の男が身分の低い姫君相手に恋をするという、ありがちなラブストーリーだ。その映画では、主人公の弟という設定で出演した。なかなかいい役どころで、ポスターのキャスト欄にも名前を入れてもらえた。そのせいか、近頃少し仕事が増えた。喜ばしいことだが、スケジュールはいっぱいだ。公開前日の朝には、テレビ局まで行って、生放送のバラエティで宣伝しなければならない。
ドラマの台本の、最後の方をめくっていくが、頭に入ってこない。字が目の前を通り過ぎて行く。今まで主演を務めたことはないが、脇役でもセリフはなかなか量がある。今週末に撮影する分はもうほとんど覚えてしまったから、後はこの数ページなのだけれど、なぜか頭を素通りしていく。




