38 夏の忘れ物
七月末に、毎年恒例の定演が開かれる。OBは帰ってきてひとみが亡くなったことに皆悲しんだ。だが、やはり大人だ。変に設楽を心配したりせず、かつ丁寧に接してくれる。ありがたかった。設楽は今年は去年のように休みが取れず、ほとんど当日だけの参加という形になってしまった。だが、アナウンス原稿を作ったり、照明やスクリーンの演出を考えたりと、やることは多い。ダンス練習と歌も必死でやった。
「うわー、これ、人収まるのかな?」
会場には人がぎっしりと入った。
「まあ、文化祭でお前、学校ばれたじゃん?もともと吹奏やってたのは公式だったし・・・おまけに今年がラストだから、ファンが来たんじゃねえの?ってか、本当に多いな!」
横で笹井が楽屋のテレビ中継を見ながら言った。
「うへえ、俺ソロあるのにー。キュッてリードミスしたらどうしよう。」
OBとして帰ってきている藤木がうろたえる。隣に時岡がいた。
「安心しろ、リードミスしたら後で俺がキュッと締めてやる。」
「もー、弘司そういうのやめろって。お前が言うと洒落にならん。」
「あー、先輩、もう一部始まりますから、俺達行きますね。」
騒ぐOBをよそに、在校生はぞろぞろと舞台袖に行った。
あっという間に始まった。扉の隙間からステージを見つめた。豊かなはずのハーモニー。流れるメロディー。人数は前と変わらないのに、どこかスポンジのような気がした。ふと視線を移すと、さとみがティンパニのロールで盛大にクレシェンドをかけていた。クライマックスをシンバルが引き継ぎ、さとみはティンパニの余韻を消した。その姿が、ひどく印象的だった。
OB合同ステージになっても、どこか物足りない音は変わらなかった。だが、二曲目を聴いて涙を流した。『弦楽のためのアダージョ』。サミュエル・バーバーの曲だ。なぜか吹奏楽でやる。哀愁漂うメロディーのため、葬儀や追悼式で演奏されることが多い。よく映画にも使われる。
クラリネットから始まる。静かでひたすら物悲しい。ユーフニォウムとオーボエのハーモニーは絶妙だった。
最高潮、高音だらけのフォルテッシモの後、ゲネラルパウゼ。鳥肌がたった。客の何人かが終わったと思って、パラパラと拍手が聞こえた。しかし、また静かなハーモニーが流れる。誰のために奏でているのか、すぐに分かった。設楽はただ祈ることしか出来なかった。
全員退館した。何人かまとまった若者が設楽を見ている。だがそれを無視して六年生は一列に並んだ。後輩から花束や色紙を貰い、今日で引退だ。明日からもう部室に行くこともないが、何も感じなかった。嬉しくも悲しくもない。実感がわかないのは他の六年生も同じらしい。六年生が口を揃えてありがとうございました、と言うと後輩は泣いていたが、六年生は笑っていた。
「ほら、もう遅いから帰りなさい。」
例年と同じ文句で顧問が促す。名残惜しそうに皆帰途につく。
「お疲れっ。」
笹井の声がした。
「え?ああ、お疲れ。」
笹井と小森が並んで帰って行く。切ない笑顔で設楽は見送った。
一年前は・・・幸せだった。ちょうど一年前の今頃。・・・一年、か。恋い焦がれた季節はセピア色にあせたアルバム写真のようだ。時間がただ、本当に川のように流れていく。辿り着く先には何があるんだろう。時間は広大な海に混じるのだろうか。
そういえば、海に連れて行ってやりたいと思ったけど。以前仕事で、ほんの少しだが見たことのある瀬戸内海があまりに穏やかで、あの浜に並んで座って夕日を見れたら、どんなにか素敵だろうと思った。・・・どこで待っていてくれるのか。暫く会わないうちに、俺は君の温度を忘れてしまった?
明日は長野で撮影だ。高橋と担当者がホールに迎えに来て、そのまま車で向かった。ゆっくり行っても朝三時までにはスタジオに着けるという。車に乗ると、花束と色紙を高橋に預け、すぐに眠った。




