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不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第3章 Dear my clover
37/44

37 無題

 学校まで高橋が迎えに来て、事務所へ行った。やっと出張から帰ってきた社長が話があるらしい。高橋はまだマスクをしている。事務所へ入ると、社長が設楽を優しく抱きしめた。

「一時は本当にどうなるかと・・・。うん、この間よりも顔色がいいね。」

「あの、お話って。」

 恐怖を感じた。いろいろな思いが駆け巡る。

「ま、入りなさい。ちょうどいらっしゃってる。」

 自分の予想した展開と違って少し安心した。でも、客って?一体誰が?

 社長室の黒いソファーには、OCEANSのメンバーが座っていた。

「設楽君!退院おめでとう!」

「もう大丈夫?」

「お見舞い行けなくてごめんねー。」

 花束を貰った。

「どうも・・・ありがとうございます。あの、ご用って・・・?」

「うん、こっちも時間ないからさっさと喋るね。」

 リーダーの杉田が口を開いた。

「今度のコンサートでのダンスの話――。」

「あ、あれは出来ますよ!もう体も動きます!」

 設楽は焦った。

「いや、もちろん出てほしいんだけど・・・。あれのグループ名ね、『FLAG』でいくから。誰も出るななんて言ってないよ。」

 杉田は半分笑っている。設楽はほっとした。

「それとね・・・君、歌、上手いよね。」

「え?」

 この人達の前で歌ったことはない。テレビで歌ったこともない。なぜ?

「君のとこの文化祭にねー、変装して行っちゃったんだよ。五人で。」

「五人で!?・・・よく目立ちませんでしたね。」

「うん、変装してたし、別行動だったしね。それで、軽音部・・・だっけ?見てたんだけど・・・最後、君、歌ったでしょ?」

「ええ・・・。」

「どうかな・・・歌ってみないか?」

 杉田の目に圧された。

「でも・・・僕はダンサーとして、しかも名前は伏せて、『謎のダンス集団』でいくんでしょう?歌うだなんて・・・。」

「ああそれ、やっぱなしになった。名前公表でいきます。」

「えっ。」

 メンバーが笑っている。モデルや俳優の名前を借りなくても、客を入れる自信があるのだ。

 豊田が設楽の頭をふわっと撫でた。

「曲はまだ作れてないけど・・・君は絶対歌いたくなるよ。けじめ、つけたいんでしょう?」

 何のことかすぐに分かった。滲む涙を堪えると、鼻がつんとした。ヒロが言った。

「曲が出来てから決めてくれればいい。無理にとも言わない。」

 どうやら時間がきたようで、メンバーは立ち上がった。

「でも、君は多分歌うよ。」

 杉田が言うと、メンバーは去って行った。設楽は薄ピンクの花束をそっと抱きしめた。温かかった。

 仕事にもだいぶ復帰したある日、設楽に一枚のCDが届いた。杉田達からだった。このCDを聴いて歌いなくなったら電話をくれ、という内容の手紙も入っていた。CDを眺めて暫くぼうっとしていたが、タイトルの分からない曲を聴いてみることにした。

 バイオリンソロから始まり、ピアノが重なる前奏。だんだんと音の厚みが増していく。誰が歌っているのだろう。少し懐かしいような声。分からない。何より、歌詞に惹かれた。ただ、感謝と愛を伝える。そこにいる人、ある物。今この瞬間。過去、そして約束されていない未来。辛さも悲しみも全て。存在することへ、溢れるこの気持ちへ。流れる世界に幸せを感じる。気づけば泣いていた。誰とは言わない、一緒に聴きたい。俺の声で聴かせたい。

 一回聴き終えてすぐ、杉田へ電話した。忙しいかと思ったが、杉田は暇そうな声だ。

「聴いてくれたんだね、良かった。・・・で、どうだった?」

 設楽は明るく、しかし涙声で答えた。

「歌わせて下さい、どうかお願いします。」

「やったね!ほら、言ったでしょ?歌いたくなるって。」

「ええ・・・。ところで、あの曲、何てタイトルですか。どこにも書いてなくって。」

 少し間があった。

「ああ、あれ。まだ決まってないんだ。・・・良かったら、君がつけてよ。」

「え・・・!」

 真っ先に『Requiem』が浮かんだ。だが、違う。これではない。

「じゃあ・・・『NONTITLE』で。」

「え?何?『NONTITLE』?」

「ええ。」

「・・・どうして?」

 設楽は深く息を吸った。

「今、一番に『Requiem』って思いついて。でも、それって俺だけじゃないですか。この曲は、きっと聴く人によって違う形になります。だから、むしろタイトルは邪魔だと思って。」

 杉田は少し考えた。

「・・・うん、『NONTITLE』か。いいんじゃないの。よし、これでいこう。設楽君、ありがとうね。詳しくはまた連絡するから。」

「いえ、こちらこそ。」

 電話を切ったあと、繰り返してその曲を聞いた。途切れ途切れに口ずさむ。ベランダに続く窓のカーテンを揺らして入ってくる風が髪を撫でた。

 俺にできるだろうか。カーテンの隙間から、青い空が見えた。歌いたくて堪らない。先程繰り返した曲は、いつの間にか終わっていた。


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