33 悪夢
「西川ひとみさんは・・・亡くなったよ。」
設楽は糸の切れたようになった。
「事故から今日でもう十日経つんだ。ちょうど一週間前に葬儀も済ませたらしい。」
「十日・・・そんな・・・。」
声が震える。警察官はちらりと設楽を見た。
「不謹慎だが・・・幸いにも、と言うべきか・・・即死だった。」
「え・・・?」
「つまり、痛みを感じる間もなかったってことだ。」
胸がざわついた。
「嘘、だ・・・。」
「え?」
「嘘だ・・・。俺、ひとみに言ったんです・・・大丈夫だって。ひとみは確かに答えた!・・・『ありがとう』って・・・。」
警察官二人は顔を見合わせた。
「でも、ねえ・・・。写真、見るか?ご遺体のだ。・・・やめておいた方がいいと思うけど。」
それでも設楽は頼んだ。すっと一枚の写真が渡された。絶句した。
「顔が・・・。」
頭がなかった。確かにこれでは即死だ。けど。
「でも・・・確かに聞いたんです。ひとみの声だった。『ありがとう』って。」
涙が溢れた。聞き間違うはずがない。頭の中で、あの一言がこだまする。
結局、その後は設楽はずっとぼうっとしていた。いつ警察官と医者が部屋を出て行ったかも覚えていない。ただ、覚えているのもいくつかある。トラックの運転手は突然の心筋梗塞が原因でハンドルを誤り、その運転手も亡くなったこと。世間でも学校でも、設楽の一日も早い復帰を望んでいること。道路に黒い木の実のビーズが散らばっていたこと。そして、ひとみの左手にはそれと似たビーズで出来たブレスレットがはめてあったこと。自分の左手にはブレスレットがなかった。ルシュナから貰ったやつだ。
「ひとみ・・・。」
声が虚しく消えていった。もういないのか?隣の家に。音楽室に。教室に。俺の隣に・・・。いることが当たり前だった。
病室のドアが静かに開いた。西川家のご主人だった。げっそりと顔色が悪い。
「優君・・・。」
「おじさん・・・。」
気まずい沈黙が流れた。
「あの、ひとみを・・・。」
ご主人が顔を上げた。
「ひとみを・・・守れなくて・・・ごめんなさい・・・。」
「・・・君だけでも助かって、良かったよ。」
その言葉に、泣いた。ご主人は設楽の濡れた頬に手を当てた。子どもをあやすように撫でる。
「俺、大嘘つきだ・・・。ひとみに、大丈夫だって言ったんだ。でも、全然大丈夫なんかじゃなかった。俺は・・・っ。」
ご主人は黙って聞いていたが、少しして口を開いた。
「さっきそこで警察の方に聞いたよ。ひとみは『ありがとう』って言ったんだって?不思議な話だ・・・けど、ひとみはきっと心からそう言ったんだろう。君は、最期までひとみを一人ぼっちにはしなかった。・・・ありがたいと思ってるよ。」
「でも俺・・・!」
ご主人はそれを制すように首を横に振った。
「君が生きていて良かった。」
設楽は声をあげて泣いた。こんなに、こんなふうに泣いたのは初めてかもしれない。今まで、泣いたら負けだと思っていた。
暫くすると、泣きつかれてそのまま眠ってしまった。ご主人はそっと病室を出て行った。




