31 断絶
全国的に梅雨入りしたらしい。午後六時を過ぎ、いつになく暗い。肌寒く、早く家に帰りたい気もしたが、隣にひとみがいる。家までの短い距離が少し恨めしい。ひとみがアジサイに目をとめた。
「あれ・・・何だっけ。『水の器』・・・だった?」
「ハイドランジア、ね。」
一年前のこと。薄い青い花の前で、三九回目を見事にフられた時のことを思い出し、設楽はふっと微笑んだ。あの時もひとみは隣にいたけど、今の方がずっと近くにいる。
「そういえばマンションの下にもアジサイが・・・。」
再び歩き出した時、絹を裂くような音がした。
「え・・・?」
なぜ?大型トラックが見えた。スローモーションでこちらへ向かっている。設楽はとっさにひとみを庇った。衝撃で傘がとんだ。
その直後は何も思い出せない。気付くと、手に冷たいアスファルトの感覚があった。体中が痺れたみたいに動かない。薄目を開けると、暗い中に白い手が見えた。
「ひとみ・・・。」
唇をかすかに動かす。うめき声同然のかすれ声が出た。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・。」
まぶたが重くなり、自然に目を閉じた。
「・・・ありがとう・・・。」
最後に聞こえた言葉はそれだった。後は何も覚えていない。
夢を見た。十二年前の悪夢だ。無機質な白い壁と床の部屋に、白い布のかけられた物の横たわる三つのベッド。まだ五歳くらいの子どもは、頭に包帯を巻いている。
「母さん・・・?」
黒服の大人が数人泣いていた。母の返事はない。
「父さん・・・?めい・・・?」
だが二人の返事もない。子どもが大人達を振り返った。右頬にまだ新しい擦り傷がある。
「ねえ、皆寝ちゃったの?」
大人の一人が涙声で、ええ、そうよ、と答えた。
「起きないよ・・・せっかく皆で隣の町の大きなお店に行こうって言ってたのに。」
今は寝かせてあげましょう、と再び声がした。
「つまんないの・・・。」
大人が手を伸ばした。さあ、皆起きるまでこっちにいましょう、と言う。子どもは素直に従った。
場面が変わった。
「お前、生意気なんだよ。ちょっとモテるからっていい気になるなよ。」
十歳くらいの少年がムッとして答える。
「いい気になんてなってないだろ。」
人を一切信じない、強く突き返す目だ。その視線に押されて、他の少年達が後ずさる。
「ムカつくんだよ、お前のそういう目。モデルなんかしてちやほやされて、有名人は大変だよな。・・・でも、そうでもしねえと、誰もお前のことなんか気にかけないもんな。」
少年は無視して、読みかけの本に目を戻した。他の少年達はその机をガン、と足で蹴ると、背を向けて吐き捨てるように言った。
「見なし子のくせに・・・可哀相なやつ。」
少年は本に集中しているふりをしたが、滲む涙を隠すのに必死になっていた。




