表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第1章 Green clover
3/44

03 A♭の不協和音

 部室は音楽室だ。併設されている楽器庫に足を踏み入れた。

「設楽君!待ってたよー!」

 そう言って抱きついて来たのは、六年生、つまり高校三年生の笹井隆宏だ。六年生は、七月の定期演奏会を最後に引退する。新年度と同時に部長など、仕事は後輩に回すものの、引退まではほぼ、雑務に六年生が付きっきりだ。

「先輩・・・暑苦しいです。」

 嫌な予感しかしない。

「待ってたって・・・そんなに仕事が溜まってたんですか?」

「おっ、感がいいね。そう、このファイルの書類。お願いします。先生のハンコがいるのがあるから、ハンコもらって生徒会へ届け出といてくれると助かるな。」

「拒否権は無いんですよね。」

「うん。」

 そう言って開いたファイルには、十枚程の書類が入っていた。市民ホールの練習許可書や、校外活動届などだ。ざっと目を通した限り、書くことは少なそうだ。これなら、先生を捕まえてハンコをもらいさえすればすぐ済む、と考えた。楽器庫は音楽室にも、音楽教諭室にも直接繋がっている。ドアをノックしようとした時、後ろから笹井が声をかけた。

「あ、設楽。何、先生捜してるの?」

「ああ、書類のハンコがいるから。」

「先生ならこっち、音楽室だよ。今指導中。そろそろ終わるかもね。」

「サンキュ。」

 音楽室のドアノブに手を掛けた。開けようとした時、向こうから先に開いた。こちらから押すドアなので、勢いで転びそうになった。

「あっ、ごめん!」

 驚いて顔を上げた。声の主は、西川ひとみ本人だ。よく外で練習するせいで、少し陽に焼けた肌。黒い長い髪は、下側で二つに結ってある。

「あ、いや、俺こそごめん・・・。」

 何とも曖昧な返事をした。ひとみは先程のことは微塵も気にしない風で、楽譜の詰まった棚の方へ駆けて行った。仕方なく、設楽は顧問の背中を見つけると、そちらへ歩いて言った。

「設楽先輩!」

 元気のいい声がした。振り返ると、一つ年下の女子の後輩がいた。嫌いではないが、こういういかにも上目づかいをしてくるタイプは苦手だ。だが、そこは決して表に出さない。演技することは得意だ。

「どうかした?」

「あの、今日お時間ありますか?」

「うん、そう思うけど。」

 『お時間』を必要とするのが今か、部活の終わった後なのかが良く分からなかったが、適当な返事を返した。

「よろしければ、これからセクション練するんで、見てほしいんですけど・・・。」

「ああ、構わないけど。」

 マネージャーなんて、書類関係の雑務くらいしか仕事がない。いい息抜きになる。

「じゃあ、これから始めるんで、十五分頃に、音楽室のベランダに来て下さい!」

 ベランダと言っても、それは廊下のことだ。音楽室は校舎から出っ張っているから、廊下は屋根があるものの、片側が吹きさらしである。だから、誰も廊下と呼ばずに、ベランダと言うのだ。

 十五分・・・あと七分だ。さっさとハンコをもらって、書くこと書いて、生徒会に提出しに行こう。

 顧問の教官は初老の男性だ。中年太りしているが、テノールの声は耳に心地よい。そして、相変わらず優しい。会う度に、無理するなよ、と気遣ってくれる。


「Asの音・・・ユーフォとホルン。もっとピッチ合わせて。ホルン高めに、そうそう、そんな感じ。周りの音をよく聞いて。・・・じゃあ、さっきのところから、もう一回やってみて。ダルセーニョの手前まででいいよ。」

 スコアを片手に目をつむる。その姿に、何人かはすっかり見とれていた。設楽は薄目を開けてそれを確認した。ユーフォニウムとホルンの織りなすはずの、シルクのように絶妙なハーモニーが、目の粗い麻のようだった。

「あのね、俺の顔見たって仕方ないからさ、楽譜かメトロノーム見ようぜ。集中、集中。」

 すみません、と後輩が口をそろえる。何だってこんなことしてんだ、俺は。心の中でぼそっと呟いた。その時、背中から声が聞こえた。

「おお、設楽が先輩やってる。」

 笹井が銀のトランペットを持って立っていた。

「悪いな、後輩の面倒まで見てもらって。」

「お前も入れよ。しごいてやる。」

「はは、勘弁。セクションやってんの?じゃあ、俺も設楽と聞いとこうかな。」

 そう言うと、笹井は設楽の隣に並んだ。後輩の、ええー、という甘えたような声が耳障りに聞こえた。じゃあさっき言ったとこから、と言って拍をとった。先輩になりたてのトロンボーンパートの二年生が、スライドポジションを微妙に調節しているのを、微笑ましく思った。ふと顔を上げると、すぐそこに開きっぱなしの音楽室のドアが見えた。その向こうに、誰かいる。一瞬目が合うと、逸らされた。迷うことなく、ひとみだ、と確信した。胸が針で刺されたように、ちくりと痛む。

「先輩、今の、どうでしたか?」

 後輩が目を輝かせながら尋ねてきた。

「えっ?」

 気付けばもう、先程指定したところは吹き終えていた。

「設楽~。」

 笹井が気付いたようで、にやにやしながらこっちを見ている。後輩もつられて笑った。設楽は観念して目を閉じた。

「すみません、聞いてませんでした・・・。」



「As」の音は、ラのフラットです。いろいろ他にも変なとこあるかもしれないです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ