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不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第2章 Amorous clover
28/44

28 入りにし人の

 雪が降っている。地面に向かってゆっくり落ちながら、白い妖精が舞っているようだ。

「何だって正月早々・・・。」

 設楽がぼやく。結局クリスマスも仕事だった。昨日、大晦日も仕事だった。

「でもまあいいじゃないですか。」

 設楽の隣には平井えみがいる。目の覚めるような赤の着物を着ている。『しだれ桜』で着たことのある衣装だ。設楽も映画で使った衣装を着ている。三位の袍に、襲は壷菫(つぼすみれ)。本当は今は旧暦の十二月だが、今日の装いは春だ。表は薄い紫の地に紫の糸で凝った刺繍がしてあり、裏は薄い青緑だ。初詣に来た人々が何事か、と見ている。

 映画で使われたこの神社をPRしてほしいのだという。特番の中の企画の一つで、中継が始まるまでにもう少し時間がある。

「み吉野の・・・」

「え?」

 平井がきょとんと振り返る。


み吉野の 山の白雪ふみわけて 入りにし人の おとづれもせぬ (壬生忠岑)


 ひとみはどうしているだろう。正月は西川家は毎年どこへも行かないのだが、今年は母方の実家へ行く、と言っていた。

「設楽先輩。」

「へ?」

 聞き慣れた声。着物姿で手を振っている。

「さ・・・さとみちゃん?何で?」

「あー、ほらやっぱり。明けましておめでとうございます。」

「あらあ、優君じゃない。明けましておめでとう。お仕事って聞いてたけど・・・?」

「西川・・・さん・・・?」

 ということは。

「何してるの・・・その格好・・・。」

 照れたように顔を背けるひとみがいた。

「何って、仕事・・・。そっちこそ、母方の実家に帰るって・・・。」

「ああ、この近くなのよ。」

 夫人が答える。まじですか?

「設楽君、何してるのー!そろそろだよ!」

 高橋が呼ぶ。すぐに行きます、と返事をして、西川一家に会釈してカメラの方へ急いだ。


 撮影を終え、着替えて戻って来ると、西川一家が売店の前でいろいろと物色していた。設楽は伊達眼鏡をかけ、帽子も被っていたが、ご主人が気づいた。

「おっ・・・。では、改めまして・・・。昨年はお世話になりました、今年もよろしくお願いします。」

 深々とお辞儀する。

「いえっ、こちらこそ。」

 つられて設楽もお辞儀した。ご主人は腕時計を見た。午前八時。「じゃあ、九時半に鳥居集合にするか。」

「優君はどうする?さとみはこっちに来させるけど。」

 何だか知らない間に親公認な感じだが。ありがたいけれど・・・。

「昼から僕、仕事なんで・・・、でも、ちょっとだけなら。」

「じゃあ、ひとみのこと頼んだわ。」

 西川夫人はさとみを引っ張って、うきうきとどこかへ行ってしまった。ご主人はもう見えない。二人は暫く夫人達を見送っていたが、顔を見合わせた。

「えっと・・・どこ行く?」

 ひとみはちょっと考えたが、神社へ目を向けて言った。

「お参り・・・まだしてないなら、行く?」

「俺はまだだけど・・・でもさっき、家族で行って来たんだろ?」

「うん。でも、おみくじ引かなかったから。」

 それなら、と二人は歩いて行った。屋台が増えると人も増える。はぐれそうになって、設楽はひとみの手をぎゅっと握った。冷たい手だ。その冷たさにすら、どきどきする。外の気温に反して、頬が熱くなる。


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