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不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第2章 Amorous clover
25/44

25 肩の木漏れ日

 文化祭当日の朝は忙しい。部活の早朝練習にクラスの準備。クラスは食品販売なので、商品が届いてからが大変だ。松田達には悪いが、バンドは本当に一発勝負になってしまった。

 クラスでお揃いのTシャツに着替えた。今年は薄いピンクだ。意外にも、男子がピンクに多く手を挙げたらしい。

 吹奏楽が昼から公演なので、被らないように店番は朝一番だ。幸いそうめんや焼きそばではなく、アイスやお菓子などの軽食を扱うから、客は朝からでも入るだろう。もう十五分もすれば、お客さんが入って来る。

 朝九時半、開祭の放送と共に賑やかになる。そこそこの客足を予想していたが、裏切られた。

「あーっ、設楽優輝!」

「うそー、まじで!この学校なの!?」

「えー、サイン下さい!」

「写メ撮っていいですかあ?」

 気が遠くなる。そうだった、毎年文化祭では展示など、人前に立つことのない出し物ばかりやってきた。今年、店番も初めてやる。すっかり忘れていた。俺は今、「設楽優輝」として見られているんだ。

 容赦ないカメラレンズを向けられ、イラッとした。その手から携帯を叩き落としたい。だが、演技で感情を抑えつける。

「タダ撮りですか?買ってくれないと、店番をしてる意味がないな。」

 ざわめきが一層大きくなり、開店して十分だというのに、飛ぶように売れる。店の外に行列が出来た。お金の受け渡しは他の生徒に任せ、商品だけを扱うことにした。握手を求められるのが嫌で、本当はジュースの水滴を拭く作業に徹したい。そのうち手の感覚が怪しくなってきた。

「大丈夫?」

 ひとみが心配そうに言う。差し出された手には、設楽がサンギェからもらったブレスレットが音を立てている。

「そうだぞ、早めに切り上げてもいい。」

 笹井も言った。

「いや、大丈夫だ。慣れてる。」

 笹井は純粋な目を向けた。

「大変なんだな、有名人も。」

「別に・・・それより、こんな朝から売れまくって、昼から売る物あるのか?」

 在庫は開店三十分にしてもう三分の二近くに減っている。

「大丈夫!絶対こうなると思って、昼に少し仕入れるようにしてあるから。」

 行事委員が笑った。

「設楽がいてくれたら、そんだけでバカみたいに売れるもんな。」

 くそ、やっぱそうか。

「お前ら部活の準備あるだろ?ちょっと早いけど、次のメンバーに交代していいよ。」

 担当時間は各チーム五十分だが、四十分すぎに交代することにした。これから音楽室から体育館へ機材を運び、ステージのセッティングをせねばならない。更に吹奏楽のTシャツに着替える必要もある。昼食もとらなくてはならない。あと一時間半で出来るだろうか。

 音楽室へ向かう途中で、他の五年生とも合流した。機材運びの途中ですら、客の視線が痛い。まだ誰もいない体育館へ入ると、途端にほっとする。

「いやー、凄いな。周りの人が皆じろじろ見てくるんだもん。ストレスになんねえの?」

「なるけど・・・もう慣れたかな。」

 暑さに立ちくらみしつつ、パイプ椅子を並べ始めた。


 客の入りは上々だ。座りきれず、後ろに立っている人もいる。

「設楽効果・・・かなっ。」

 舞台袖からそれを眺め、木村が茶化す。

「俺、本当はアナウンスもしたくないんだよね。」

「何で?・・・ま、大体分かるけどね。でもお前、マネージャーでしょ。仕事だよ。」

「分かってるよ。」

 どんなことになるかは想像がつく。その時、暗い体育館にブザーが響いた。

「じゃ、いってきます。」

 部員がぞろぞろと出ていく。設楽は仕方なくマイクを手に持ち、スイッチを入れた。原稿をライトの下に持ってくる。

「こんにちは。皆様、吹奏楽部の演奏を聴きに来てくださり、本当にありがとうございます。」

 その一言でざわめきが起こった。構わず続け、曲の紹介も終えた。まだざわついている。聴衆はきっと、アナウンスは聞いたが俺が何を話したかまでは聞いていない。

 流れるメロディーに惹かれて、こそっとステージを見た。黄色っぽいライトに、ひとみの姿が鮮やかに浮き上がる。瞬きの瞬間すら惜しい。

 時間にして三十分も経っていない。演奏は全て終了した。アナウンスで閉演を知らせると、設楽はすぐに着替えた。ステージをリセットすると、すぐに軽音楽部の公演が始まる。体育館のカーテンは開けたままでやるらしい。山野が来た。

「設楽、本番一回だけど、頼むぜ!」

「ああ・・・でも、歌詞とんだらごめんな。」

「何言ってんのー。今から気にすんなよな。」

 今更ながら、設楽はふと疑問を口にした。

「俺が歌ってる間さー、松田どうすんの?何か楽器やるとか?」

「・・・え?いや、ハモるけど?」

「・・・おい!初耳だぞ!」

 山野が焦ったように言った。

「そういや、あの音源、ハモリ入れるの忘れた!」

「マジかよ・・・。」

「まあ、設楽は音源通りにやってくれれば問題ないからさ。演技だと思え、天才俳優さん。」

 こいつ、天才の意味を履き違えてる。そう思ったが、とりあえず目の前の壁を越えなければ。そうこうしているうちに、開演となってしまった。設楽の出番は一番最後だ。なにもそんな危なっかしいオオトリをしなくても、と進言したが、山野の部長権力が発動したらしい。高橋さんに知れたら、なんか言われるかなあ。

 下級生のバンドは可愛らしい。それにひきかえ、学年が上がるごとにだんだんおっさんらしくなっていく高校生はどうだ。見ていて暑いと、思った。人前で歌うのはどちらかというと苦手だ。変に緊張してしまう。

「えー、本日最後の曲に入る前に、ゲストの紹介でーす。」

 能天気な松田の声に、一気に現実に引き戻された。

「設楽くーん。」

 名前が呼ばれ、ステージに出た。客席から悲鳴のような歓声に混じって、うそー、とか、まじで、とかいろいろ聞こえる。マイクに入らないようにして、やっぱスゲエな、と松田が呟いた。設楽は適当に挨拶し、松田と二人で喋る間にメンバーがチューニングする。松田は心なしか緊張しているようだ。

「それでは、準備も出来たのでお聞きください!CD化も再演もありません、最初で最後のcandleオリジナルソングナンバー二十六、『overcome now』。」

 今を乗り越える、という意味。しんとなった体育館に、キーボードがピアノの音で響く。ベースが入り、ドラムがそれに重なるように加わる。しっとりしていて青っぽい曲だ。山野が創ったと聞いた。設楽はマイクのスイッチを確認し、口元へ持っていった。歌詞は、メンバー全員で考えたのだという。

 一つ一つ、噛みしめるように言葉を紡ぐ。久しぶりに人前で歌うのは気持ちよかった。数少ない言葉で表現する世界にのめりこんでいく。気持ちが音に乗る。届きますように。歌に、祈った。歌詞には、溢れるようなメンバーの想いが詰まっている。頬に一しずく、伝うものを感じた。

 割れるような拍手をもらった。アンコールには応えなかった。胸がいっぱい、というのはまさにこんな感じだろうか。張り裂けてしまいそうだ。 なぜ泣いてしまったのだろう。涙はもう乾いている。舞台裏へ戻ると、そこが何だか酷く暗い気がした。


「いやー、今年も無事済んだな。」

 浜原がごみ袋を片手に呟いた。笹井はその隣を歩きながら頷いた。客がいなくなると一気に静かになり、少し寂しい。まだ興奮気味の中学生の高い声が響く。

「あーあ、結局あの二人、今日どうしたのか分かんなかったな。」

「あの二人?」

 笹井が聞き返した。

「設楽とー、西川。」

「部活や当番で忙しくて回れなかったって。」

「一緒にってこと?」

 笹井はこくん、と頷いた。

「あいつらなあ、見ててつい手を出したくなるんだよ。付き合ってひと月ちょっとか?浦部と小林なんてさ、付き合って一週間でもうキスまでいったらしいぜ。」

「マジかよ。」

 他人のことに興味はないが、確かにあの二人は見ていてもどかしい。

「でも、お前も何とかしろよ。」

「ああ・・・。」

 笹井は曖昧に返事をした。ふっと、小森の顔が浮かんだ。

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